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大相撲の町なのに…なぜ「横綱」でなく「横網」?

2013/9/18 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

15日に始まった大相撲秋場所。横綱白鵬が27度目の優勝を遂げるのか、大関稀勢の里は再び綱取りの起点をつくれるのか。東京・両国国技館で15日間にわたる熱戦が繰り広げられている。ところでこの国技館の所在地、東京都墨田区の後に続くのは「横綱」か「横網」か? 国技館といえば相撲の聖地。だからもちろん横綱だろう、と思いきや、正解は横網。実は街区表示板やその周囲にも「YOKOAMI」「よこあみ」「ヨコアミ」とはっきり書かれているのだ。

「よこあみ」の読みが強調された両国国技館の街区表示板(東京都墨田区)

「よこあみ」の読みが強調された両国国技館の街区表示板(東京都墨田区)

「綱」と「網」の誤解、今もなお

両国国技館に実際に掲示されている街区表示板には、表示板の横に「あみ」「アミ」の部分を赤く塗ったしつこいまでの注意書きが先日まで添えられていた。表示板があるのは駐車場出入り口脇の警備員詰め所だ。

国技館を管理する日本相撲協会によると、かつて「横綱の間違いではないか」と警備員に尋ねる通行人が多かった。「車の誘導中に声をかけられたりしたら双方が危険。(横網で正しいことを明示するため)前もって貼ってある」のだという。

注意書きが貼られてから「少なくとも10年になるのでは」と男性警備員。ただかえって興味を引いてしまうためか、今でも時々「本当に横網なのか」と聞かれるそうだ。

この勘違いがどれだけ浸透しているかを示す証拠は事欠かない。

誤って「横綱」と表示されている隅田川テラスギャラリーの案内(東京都墨田区)

誤って「横綱」と表示されている隅田川テラスギャラリーの案内(東京都墨田区)

協会に届いた郵便物には間違った「横綱」の宛名書きがあるわあるわ。とりわけ、手書きに多いようだ。キーボードのキーを押して変換する過程を挟まず、流れで書くため、相撲からの連想で条件反射的に筆が滑ってしまうのだろうか。

国技館のそばを流れる隅田川の堤防の壁面に大相撲などの錦絵を展示するために東京都建設局が設けた「隅田川テラスギャラリー」の案内にも、同様の誤字がある。

古い例では、朝日新聞社や文芸春秋で校正を務めた加藤康司氏の著書「校正おそるべし」(1959年)で、横綱と活字を拾ってしまったエピソードが紹介されている。

区が横綱への地名変更を打診

あまりにも間違いが多いことが、横網地区の町内を巻き込んだ騒動になったこともある。60年代半ばごろ、区が地元に対し「横綱」への地名変更を打診。町内には「冗談じゃない」と猛反発する声が上がったという。当時町会の副会長だった鍛冶健一さん(90)は「世間話で出た、冗談半分の話」と断りつつも、「ちょんまげの時代からの町名をなくすわけにはいかなかった」と振り返る。

町名変更への猛反発も無理はない。1875年(明治8年)に明治政府の指示で編さんされた「東京府誌 巻第六十八」によれば、そもそもこの地区は江戸時代の貞享年間(1684~88年)には既に「南本所横網町」と称していた伝統ある地名なのだ。

1872年(明治5年)に「本所横網町」となり、1911年(明治44年)に「横網町」、66年(昭和41年)に現在の「横網1丁目・2丁目」となる。

伏線になったとみられるのは、町名変更騒動と前後する形で62年に制定された「住居表示に関する法律」。それまでの複雑で分かりにくい町名地番を効率化する目的のために、数多くの伝統的地名が消えたのは広く知られているところだ。

町名が横綱に変更されなかった理由はもうひとつ考えられる。現国技館の横網への移転は85年のことで、当時の国技館は蔵前(台東区)にあったからだ。

横に網を干していたから?

とはいえ横網と角界とは浅からぬ縁がある。1909年に完成し、蔵前移転まで使われた初代国技館があったのは、JR両国駅を挟んで目と鼻の先の両国地区。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火の犠牲者供養のために両国地区に建立された回向院の境内で、公共事業の資金集めに勧進相撲が興行されたことが、大相撲の起源につながっている。横綱白鵬が所属し、元横綱吉葉山が1960年に再興した宮城野部屋も、80年までは横網2丁目に部屋を構えていた。

それでもなお残る謎は、地名の由来だ。隅田川に注ぐ日本橋川沿いにある小網町(現中央区日本橋小網町)と同様、横網も網の字が隅田川沿岸の漁業と関係しているといわれている。「東京の地名由来辞典」(2006年)はこんな説を披露している。「郷土史家によれば、漁師が横に網を干していたからともいう。江戸時代初期にこの辺りは海苔(のり)干場が広がっていたことから海苔採り網を干す風景からの呼び名か」

心理学からも裏付け

それにしてもなぜ横網と横綱の間違いが今もなくならないのか。「国技館がある相撲の町」との思い込みや、綱と網は同じ糸偏で、旁(つくり)も5画目まで一緒という単純な類似性だけでは片付けられない。臨床心理士でもある森田麻登・帝京学園短期大学助教(心理学)は「事実(この場合は横網という字)をそのまま見て処理しているのではなく、先入観や元から持っている知識で補完して頭の中で再構成するために、本当のものが見えなくなっているから」だと解説する。

例えば横に続く字が糸偏で、つくりに冂(けいがまえ)が使われている時点で、冂の内部を確認しないままその文字が綱だと判断してしまうといった具合。記憶を処理する際、既に持っている固定観念などで補ったり、細部をはしょったりするほうが日常生活では効率的であり、心理学的にも裏付けがある現象だという。

「ところどころ誤字脱字等で間違った文章でも、本来意図した通りの字で読めてしまう」とも指摘する。実際にはない音や声が聞こえたように感じる「空耳」の視覚版として近年注目されるようになった「空目(そらめ)」も、元から持っている知識で補完しているということで、同様に説明できるわけだ。

例えば「北海道の道庁所在地、礼幌市の花屋でドライフワラーを買う」を「札幌」「フラワー」と錯視するようなもの。空目は最近できた造語ではなく、平安時代の10世紀後半に成立した「宇津保物語」でも使われている由緒正しき言葉。千年の時を経てもなお、人の世から見間違いや読み間違いはなくならない。

歴史の古さでも横網に軍配

名古屋場所で史上3位となる26度目の優勝を遂げた横綱白鵬

名古屋場所で史上3位となる26度目の優勝を遂げた横綱白鵬

横網という地名が1684~88年まで遡るのは先述の通り。それでは横綱の起源は? 日本相撲協会が初代横綱と認定する明石志賀之助は、より以前の寛永年間(1624~1644年)に活躍したとされる。ただ明石は実在したかどうかが疑わしく、架空の人物というのが通説だ。近年、実在をにおわせる史料も見つかったが、仮に実在したとしても、実は横網のほうがより古いという点には影響を及ぼさない。なぜならこの時代の力士の最高位は大関で、横綱という地位は存在していなかったからだ。

史実として初めて横綱の語が確認できるのは1789年(寛政元年)。第4代横綱谷風と第5代横綱小野川が「横綱之伝」を免許され、横綱土俵入りを行っている。横網の地名がついた時期より100年近く後の可能性がある。

横綱が最高位であると規則に明文化されたのも1909年(明治42年)になってのこと。ちなみに大関の由来は「大関取(大いなる関取)」と字面からも分かりやすい。横綱はというと、土俵入りの際に化粧まわしの上から締める白い麻で編んだしめ縄の綱を「横綱」と呼んだためだという。

マイナスイメージの例外、横綱

横の字といえば「横意地を張る」「横紙破り」「横車を押す」「横やりを入れる」「横恋慕」など、とかくイメージが悪い言い回しと結び付きやすい。「オウ」と音読みしたところで「横行」「横死」「横着」「横柄」「横暴」などと傾向はあまり変わらない。辛うじて「力がみなぎりあふれるほど盛ん」という意味の「横溢(おういつ)」がある程度か。

だが横綱という言葉は例外だ。明鏡国語辞典第2版(大修館書店)も「同類の中で最も優れたもの」「歌謡界の横綱」という意味・用例を載せている。こうしたプラスのイメージと結び付く横綱。相撲の町の地名を巡り綱と網の"綱引き"が今もなお続いていることと、あながち無関係ではないのかもしれない。(中川淳一)


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