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バラ色のパリ、着飾る庶民を活写 都市と田園のきらめき(上)
美の美・ルノワール

2016/2/14 3:30
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日本経済新聞 電子版
19世紀後半、産業化が進んだパリでは、庶民のための文化が花開いた。若い男女が集うダンスホール、色とりどりのファッション、ボート遊び――。こうした都市の最新流行を誰よりも生き生きと描いたのが、若き日のルノワール(1841~1919年)だった。

パリの地下鉄ブランシュ駅を降りると、老舗キャバレーやパブが立ち並ぶ歓楽街が広がる。喧噪(けんそう)を抜け、うねうねした細い路地を15分ほど上っていくと、丘のてっぺんに白亜のサクレ・クール寺院。真昼の太陽に照らされたパリ市街を眺めようと、カップルや観光客でにぎわっている。

厳しい冬になる前の昨年9月末、パリ北東部のモンマルトルをそぞろ歩いた。いまから140年ほど前、30代のルノワールが居を構え、余暇を楽しむパリっ子の姿をとらえた街だ。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
(1876年、油彩、カンバス、131.5×176.5センチ、オルセー美術館蔵、(C)Musee d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF)

ムーランは風車、ギャレットは小麦粉でつくる焼き菓子のこと。風車を広告塔代わりにしたギャレット屋が1855年、戸外にダンス場を備えたガンゲットとしてオープンした

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
(1876年、油彩、カンバス、131.5×176.5センチ、オルセー美術館蔵、(C)Musee d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF)

ムーランは風車、ギャレットは小麦粉でつくる焼き菓子のこと。風車を広告塔代わりにしたギャレット屋が1855年、戸外にダンス場を備えたガンゲットとしてオープンした

「毎日のように『ルノワールは、ここで食事したの?』ってお客さんから聞かれるよ」。ひと休みしたレストラン「ラ・ボンヌ・フランケット」で、若い店主がニコニコしながら話しかけてきた。サクレ・クール寺院からほど近いこの場所で、400年前から営業しているという。

「ルノワールが若い頃、うちみたいな店は『ガンゲット』(安酒場)って呼ばれていた。若者が飲んで、踊って、楽しんだんだ。彼もこの店に来て、仲間とのおしゃべりや恋を楽しんだかもしれないよ」

産業革命が進んだパリは、地方の労働力を集めて人口が一気に増えた。その頃、庶民の憩いの場として栄えたのが、安い酒を出すガンゲットだった。手ごろな酒や料理に加えて、ダンス場をそなえた店が流行した。

特に多かったのがモンマルトル。1860年にパリ市に編入されたばかりで家賃が安く、労働者や画学生が住みついていたからだ。彼らは休日になるとひいきの店に集まり、日ごろのうっぷんを晴らしていた。

父は仕立屋、母はお針子(はりこ)で、庶民の出だったルノワールにとっても、ガンゲットは仲間と過ごす格好の場所だったに違いない。76年、丘の中腹にある人気店「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を舞台にした大作を手がけている。ムーラン(風車)がトレードマークのこの店は、緑あふれる戸外のダンス場がウリ。日曜の午後3時から深夜までダンスパーティーが開かれ、めいっぱいおめかしした庶民が集った。

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作品を見てみよう。木漏れ日が降り注いでいるから、昼間なのだろう。数え切れないほどの人が画面いっぱいに描かれている。手前のテーブルには飲みかけの酒が入ったグラス。ストライプのドレスをまとった笑顔の女性は、友達のうわさ話でもしているのだろうか。その奥ではシルクハットの男性に耳元で愛をささやかれた女性が、「そんな……」と声を漏らしているように見える。陽気に歌をくちずさみ、ステップを踏む男女も。あ、ピンクのドレスを着た女性と目が合った!

「ざわめきが聞こえるようでしょ。自分もダンスパーティーに参加している気分になる」。昨年末までオルセー美術館絵画部門主任学芸員を務めたシルヴィ・パトリさんは言う。「ルノワールが当時の風俗に関心を持って、描きとめたのがわかりますね」

19世紀後半に活躍した印象派の画家は、神話などの伝統的な画題ではなく、同時代の日常を描いた点で斬新だった。その筆頭がルノワールだ。

画家はモンマルトルに自宅があるのに、わざわざ店のすぐ近くにアトリエを借り、半年ほど通いつめて制作した。ポーズをとったのは画家の友人たち。この店の常連だったモンマルトルの女性や、評論家のジョルジュ・リヴィエールらだ。リヴィエールによると店まで毎日、巨大なカンバスを担いで持って行ったから、風の日は飛ばされそうになって大変だったらしい。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が立っていた場所には同名のレストランが現存している。往時をしのばせる風車がトレードマーク。撮影した昨年9月は改装の真っ最中だったが、現在は営業している

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が立っていた場所には同名のレストランが現存している。往時をしのばせる風車がトレードマーク。撮影した昨年9月は改装の真っ最中だったが、現在は営業している

当時のモンマルトルについて、町の歴史を調べるジャン=マニュエル・ガベールさんは「粉ひき風車がくるくる回り、ブドウ畑が広がるのどかな町だった」と言う。70年前後の絵画や版画には、古ぼけた建物と近代的なガス灯が混在していて、発展しつつあった町のようすが伝わってくる。風車はムーラン・ド・ラ・ギャレットの目印。

その場所に、今も同名のレストランが営業していると聞いて訪ねた。残念ながら改装休業中だったが、背後の茶色い風車が往時をしのばせる。工事中の店内を見せてもらうと、お目当ての庭がない。ダンス場だった庭には数十年前にマンションが建ち、風車もその敷地内にあるという。

町の面影は変わったが、「変わらないものもある」とガベールさんは言う。「ルノワールはモンマルトルの打ち解けた感じが好きだった。じつはこの町は今でも少し田舎めいていて、ご近所が仲良し。ここにくれば、その雰囲気を感じることができますよ」

レストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」から数分歩くと、薄桃色のモンマルトル美術館が立つ。この町の資料を集めた場所だ。もとは貴族の邸宅として建てられ、19世紀には画家たちがアトリエとして使った。ルノワールも1876~77年に滞在して、この建物の庭を「ぶらんこ」に描いた。

ルノワール「ぶらんこ」
(1876年、油彩、カンバス、92×73センチ、オルセー美術館蔵、(C)Musee d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF)

 モデルは「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」にも登場したモンマルトルの女性、ジャンヌ。木漏れ日を表現するため、白地のドレスにつけた青色の影は、発表当時「脂のシミ」と酷評された

ルノワール「ぶらんこ」
(1876年、油彩、カンバス、92×73センチ、オルセー美術館蔵、(C)Musee d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF)

 モデルは「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」にも登場したモンマルトルの女性、ジャンヌ。木漏れ日を表現するため、白地のドレスにつけた青色の影は、発表当時「脂のシミ」と酷評された

栗色の巻き毛、黒い瞳が美しい女性は、ルノワールが道でモデルにスカウトしたモンマルトルの女性。恥ずかしそうに男性から目をそらしつつも、恋の予感に胸をときめかせているのがわかる。身にまとうのは、白地に青のリボンが映えたドレス。

服飾史家のフランソワーズ・テター=ヴィトゥーさんは絵を見てずばり、「76年のファッションね」と言い当てた。腰の部分をふくらませた細いシルエットは「バスル・スタイル」と呼ばれるもの。ふわりと広がったスカートに代わり、70年代に大流行した。袖は刺繍(ししゅう)を施した白い布を内側に付けて、少しだけみせるのがおしゃれ。やや紫がかったブルーも流行色だ。

「布は綿か、質の悪い絹で、ザラザラとした質感。安物ね。モンマルトルにはお針子(はりこ)がたくさんいたから、ファッション誌を研究して、近所のお針子に縫ってもらった可能性もあるわ」

19世紀後半には服飾業界でも機械化が進み、手ごろな価格で流行の既製服が手に入るようになった。百貨店やカラーのモード誌も生まれた。庶民もおしゃれを楽しむ時代の到来だ。

父が仕立屋だったためか、ルノワールはファッションに人一倍敏感だった。帽子が好きで、自らこしらえたものもある。「服を見れば、何年の作品かわかる。彼は『モードの画家』ね」とヴィトゥーさんは言う。

□      ■

同じ頃、鉄道網が発達して、セーヌ川沿いの行楽地へのピクニックも流行した。人々はつらい日常を忘れ、食事や水浴、ヨットやボート遊びに興じた。中でもルノワールが愛したのがセーヌ川の中州にあるシャトゥー島。

その風景を確かめようと、現地に向かった。パリのサン・ラザール駅から電車で20分足らず。橋を通って島に下りるとキラキラと光る水面、水辺に揺れる木々が美しい。静かな場所だ。

ルノワール「アルフォンシーヌ・フルネーズ」
(1879年、油彩、カンバス、73.5×93センチ、オルセー美術館蔵、(C)RMN-Grand Palais (musee d'Orsay) / Herve Lewandowski / distributed by AMF)

パリ近郊の行楽地、シャトゥー島のレストランのテラスが舞台。ルノワールはこの店を気に入り、画家のカイユボットやジャーナリストのポール・ロートらとたびたび訪れた

ルノワール「アルフォンシーヌ・フルネーズ」
(1879年、油彩、カンバス、73.5×93センチ、オルセー美術館蔵、(C)RMN-Grand Palais (musee d'Orsay) / Herve Lewandowski / distributed by AMF)

パリ近郊の行楽地、シャトゥー島のレストランのテラスが舞台。ルノワールはこの店を気に入り、画家のカイユボットやジャーナリストのポール・ロートらとたびたび訪れた

少し進むとレストラン「ラ・メゾン・フルネーズ」がある。お昼時で忙しそうに動き回っている店の主人が、こちらに気がついた。「いらっしゃいませ、マダム。先週まで雨だったから、ラッキーだね。今が一番、いい時期だ」

レストランがオープンしたのは60年。もともと貸しボート屋を営んでいたフルネーズさんが、増築してレストランに変えた。ルノワールはここで、川魚のフライに舌鼓をうったという。すっかりフルネーズ家と仲良くなり、絵をプレゼントする代わりに勘定はなし、なんてこともあったらしい。

「アルフォンシーヌ・フルネーズ」は、フルネーズさんの娘がモデル。2階のテラスで川をバックに腰掛け、左ひじをテーブルについてくつろいでいる。リラックスした表情が、画家と親しかったことをうかがわせる。

すぐ近くの行楽地、ラ・グルヌイエールのガンゲットにも、ルノワールはたびたび訪れ、作品を手がけた。一帯の歴史を紹介するラ・グルヌイエール美術館を訪ねると、1枚のあやしいポスターが目に飛び込んできた。淫靡(いんび)な笑みを浮かべた水着姿の女性のイラストが描かれている。「19世紀後半、ここは男女の出会いの場所だったんです」と同館のステファニー・ワトゥールさんは意味深な笑みを浮かべる。

グルヌイエールは「カエル」。暗に、ふしだらな女性をさした。ここでは夏の間、毎週木曜にダンスパーティーが開かれていた。最終電車が深夜まで走り、人々は羽目を外して享楽に身を委ねた。モーパッサンの小説には、いかがわしい様子が赤裸々に記されている。光と色彩に満ちたルノワールの作品からはかけ離れた現実に、面食らった。「彼は下品なものを描きたくなかったのでしょう」とワトゥールさん。

モーパッサンは「ルノワールはいっさいをバラ色に見る」と言った。ルノワールの息子、ジャンの「わが父 ルノワール」には、こんなエピソードが紹介されている。父にとっては「カエルたち」も、「善良な娘たち」だったと。画家は彼女たちとも分け隔てなく接し、モデルにもなってもらった。

ルノワールに描かれた庶民の日常は幸福感にあふれ、眺めていると「あなたもいらっしゃい」と誘われている気持ちになる。ブルジョワ出身のほかの印象派の画家とちがって、ルノワール自らも一員となって近代生活を謳歌していたからだろう。ゆかりの地を巡り、当時に思いをはせるうち、画家の優しいまなざしに気付いた。

文・佐々木宇蘭

 「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」を4月27日~8月22日に東京・六本木の国立新美術館で開催します。展覧会HPはこちら

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