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武道館に学べ 迷走する新国立競技場の屋根問題
編集委員 北川和徳

2015/6/19 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

新国立競技場の建設をめぐる迷走が続いている。とにかく2019年秋のラグビー・ワールドカップ(W杯)に間に合うように完成させることが大前提。フィールド上を覆う開閉式屋根の設置を20年東京五輪・パラリンピック後に先延ばしにした上で、総額2500億円を上回るとみられる建設費をどこまで圧縮できるかという部分で、建設会社と日本スポーツ振興センター(JSC)、文部科学省の交渉が続いているようだ。工期を間に合わせるためには人手を増やして集中投下することになるが、それがまたコストアップを招くから悩ましい。

19年までに完成させるしか選択肢なし

いまさら「メーン会場を用意できません」と言って、五輪やラグビーW杯の開催を返上するわけにはいかない。予算や工期に無理があったのは明らかだから、JSCや文科省の見通しの甘さは厳しく責任を追及するとしても、建設費がいくら膨れようが、本来のデザインとかけ離れることになろうが、間に合うように完成させるしか選択肢はない。

ただ、巨額の投資をするのだから、さまざまな意味において大きな価値を生み出す施設にしなければならない。単なるスポーツイベント会場ではなく、20年以降の東京へ、日本へ、世界中から人々をひき付けるエンターテインメント性あふれる空間となり、日本の文化や先進性、技術力を世界に発信し、20年大会の記憶をみんなが誇りとともに共有していけるような記念碑的なシンボル――。新国立について、そんなイメージを個人的には持っていた。もちろん、完成後は、赤字を垂れ流さないよう改修費を含めた運営コスト以上の収益を上げるのは最低条件。それが大会の「レガシー(遺産)」というものだ。

武道館は「音楽」と「武道」の殿堂

ところが、今回の騒ぎではコストを削減し工期を短縮するために、機能を削ることばかりが求められているようで悲しくなる。間に合わないのなら屋根の設置を先送りするのは仕方ないが、この雰囲気では五輪が終わってしまえば、屋根のないまま放置されるのではないか。そうなるとスポーツ施設以外での活用は限られる。エンターテインメント空間も日本の文化、技術力の発信も縁遠いテーマとなるなら、なんのために1964年五輪の大切なレガシーである旧国立競技場を消滅させたのかと悔いばかりが残る。

前回の東京五輪の代表的なレガシーの一つに日本武道館がある。「日本武道の殿堂」は五輪開催を契機に建設が決まり、五輪で初めて実施された柔道の会場となった。20年五輪でも柔道の舞台となることが決まっている。総工費は当時の金額で約20億円。国の資金と寄付などで賄われた。日本武道館五十年史によると、当初柔道は水泳競技の終了後にプールに板を敷いて会場とする計画だったが、ぎりぎりになって武道館での開催が決定。わずか11カ月余りの突貫工事で開幕まで1カ月を切った64年9月15日に完成した。曲線を主体とした屋根のデザインは富士山の裾野をイメージしているという。

コンサートで稼いで本業を支える

同時に日本武道館は「音楽の殿堂」でもある。66年にビートルズの日本公演の会場になったのが転機だった。「武道の聖地をロックバンドに使わせるなんて」と文化人を巻き込んでの大論争が起きたが、その後は集客力のある海外のトップバンド、ミュージシャンが相次いで日本公演の会場に選ぶようになった。日本で1万人以上を収容できる屋内施設が少なかったうえ、日本文化を強烈に投影する舞台が海外アーティストには魅力だったのだろう。80年ごろからは日本のアーティストにとっても「武道館公演」が一つの目標となり、さまざまなコンサートが競うように開催された。

80年の山口百恵さんの引退コンサート、今年4月のポール・マッカートニーさんのビートルズ以来半世紀ぶりの武道館――。日本の音楽ファンの多くが武道館コンサートの思い出を一つや二つは持っている。武道館がなければ日本の音楽シーンの様相は変わっていたはずだ。

正直、頭の硬いイメージのある武道関係者が、これほど柔軟に日本武道館を活用できるのが不思議で仕方なかった。武道館は国の施設ではなく「公益財団法人日本武道館」が所有、運営している。敗戦後の日本で武道が危険視された時期があったことで、国中心で設立できない事情などがあったようだ。結果的にそれが国の補助金に頼らない運営につながり、想定外の新たな価値を武道館に付加することになった。同法人の三藤芳生事務局長は「うちは自分で稼がないと干上がってしまいますから」と苦笑いする。

もちろん、武道の普及振興が最大の目的であることは今も同じ。毎年4月29日は柔道日本一、11月3日は剣道日本一を決める場所となる。使用料は日本選手権でも1日50万円。一方、コンサートなど興業は550万円。毎年9月中に武道関係の翌年のスケジュールを固め、10月以降に一般の申し込みを受け付ける。今年度予算をみると、一般の使用料収入は約15億3000万円で施設維持運営事業として計上され、本業の武道関係の使用料の40倍以上を稼いでいる。「昔は武道以外に使わせるなという意見もありましたが、今はこうした収入が武道のために使われていると理解されています。それに、文化の振興と考えれば、東京の中心にこれだけの施設があれば、日本を豊かにするために活用すべきでしょう」。

目先のコストより将来の可能性を

国立競技場は日本武道館とは規模が違い、天然芝の養生などのためにフル稼働できない事情もある。単純に比較することはできない。ただ、現状は新国立を将来、どんな形で活用するのか、東京や日本にどんな付加価値をもたらすのかというテーマを置き去りにしたまま、ただの会場整備としてコスト削減、工期短縮の議論ばかりが先行している。民間主導の運営にすることも前提となるが、日本武道館の例を見れば、東京の一等地にある大規模施設は、お金に換算できない価値を生む可能性があると分かる。

五輪・パラリンピック後に、国立競技場のある神宮外苑地区は、神宮球場や秩父宮ラグビー場の建て替えにともなう再開発が計画されている。オフィスビルや商業施設も数多く、民間を巻き込んだ、大開発となりそうだ。時間の制約があったとはいえ、本来は新国立のコンセプトもこの計画の中で熟慮して固めるべきものだろう。目先のコスト削減ばかりを求めて、将来の大きな可能性を失ってはいけないと思う。


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