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女のいない男たち 村上春樹著 「居心地のよい場所」からの放逐

2014/4/28付
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日本経済新聞 朝刊

前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』からちょうど一年、この小説家としては九年ぶりの連作短編集である。必ずしも秀作揃(ぞろ)いとはいえないが、かなりの激情をひめた、未来性ある一冊という評価が可能である。

(文芸春秋・1574円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(文芸春秋・1574円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

配列順に「ドライブ・マイ・カー」を頭に、書き下ろしの「女のいない男たち」まで、六つの短編からなるが、まずそれぞれを単独に読む限り、悪くはない、しかし少しマンネリかな、とでもいうような、一種あてどない感想を読者はもつかもしれない。

展開されるのは、まえがきにいうように女性に去られた男たちを描く作品である。それらは一種奇異な感じを湛(たた)えるこの作家特有の短編としては必ずしもキレがよいといえない、ストライクとボールがはっきりした、好投手にも時に訪れるだろう、どちらかといえば不調時に属する投球内容の作品群である。

「ドライブ・マイ・カー」は堅固な細部に富むが、最後、登場人物が「女っていうのは」式のコメントを行うあたり、停滞しており、凡庸である。「イエスタデイ」も狙いはわかるが比喩がユルく、話が全体としてもっさりしている。「独立器官」にいたってはユダヤ人強制収容所の経験をある意味で浅瀬で気安く渡りすぎており、ゲイの青年への鈍感な言及を含め、全体の記述が少々軽薄ですらある。最終の書き下ろし作もいま一歩。すると楽しめるのは残りの「シェエラザード」と「木野」くらいとなる。

とはいえ、執筆順序からすると第一作とともにはじめに書かれたらしい第五作の「木野」は、そういう読者をも立ち止まらせるただならぬ力をもつ秀作であって、なぜこの短編集がかくも「不揃い」となったかをも考えさせる喚起力をもっている。妻に不実を働かれて会社をやめた主人公が都心の一角に小さなバーを開く。しかしやがてこの自分の「居心地のよい場所」から奇怪な事情で放逐される。その理由を作者は彼が「正しからざることをしないでいる」ことに自足したからだと書く。彼はむしろ「正しいことをしな」くてはならなかったのだと。

そしてこの作品は、主人公が「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかった」、「本物の痛みを感じるべきときに」「肝心の感覚を押し殺してしまった」、「痛切なものを引き受けたくなかったから」だと思いいたり、最後、「深く」「傷つ」き、「涙を流す」ところで終わる。

作者は「居心地のよい場所」から自ら求めて追い出された。外は雨である。次に書かれる長編に私は期待する。

(文芸評論家 加藤 典洋)

[日本経済新聞朝刊2014年4月27日付]

女のいない男たち

著者:村上 春樹
出版:文藝春秋
価格:1,700円(税込み)


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