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ホーム トニ・モリスン著 人種問題の最深部に向かう旅

2014/3/10付
ニュースソース
日本経済新聞 朝刊

 トニ・モリスンがノーベル賞作家であることも、アフリカ系の大ベテラン作家であることも、この際忘れてしまおう。なぜなら、『ホーム』と名付けられた彼女の小説には、肩書きなど必要ないのだから。濃密でありながらみずみずしく、力強く、誠実なこの物語は、それ自体で磨き上げられた光を放っている。

(大社淑子訳、早川書房・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(大社淑子訳、早川書房・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 今いる場所(ホーム)を離れ、東から西へ移動する物語を軸としてきた白人男性の「アメリカ」文学を解きほぐすようにして、モリスンの小説は進行する。朝鮮戦争から退役し、戦争のトラウマによって精神を蝕(むしば)まれているフランク・マネー。その彼に、妹のシーの命が危険にあるという知らせが届く。彼女を救うべく、フランクは西海岸の病院から抜け出し、シカゴへ、西から東に移動し、次に南部に向かう。ジョージア州、かつてはあれほど憎み、捨てたはずの故郷を目指して。暴力の傷痕を抱え込んだ兄と妹の旅は、アメリカの人種問題の最深部にたどり着く。

 もちろん、二人にとって回復は容易ではない。「ホーム」とは彼らにとって残酷な記憶をもつ場所でもあるのだから。それでも、兄と妹は故郷の人々に支えられつつ自身と向き合い、再生に向けて歩み出していく。

 絡み合う伏線や社会背景、さらには宇宙的なイメージまで、モリスンの文章は厳密かつ濃密に構成されている。饒舌(じょうぜつ)になることなく豊穣(ほうじょう)に紡がれていく物語には、胸を締め付けるような美しさがある。

 だが、語りはおのれに酔いはしない。小説のなかでフランクは繰り返し「ぼく」として登場し、語り手に呼びかけてくる。ぼくについての真実を、あなたはどこまで語れるのだろうか、と。物語であることの功罪を絶えず見据えつつも、なお語りを続けようとする、モリスンの作家としての強靭(きょうじん)な姿勢が、そこにはある。

 兄と妹の物語は、遠い彼方(かなた)のものに思えるかもしれない。それでも、モリスンの小説は人種も国籍も時代も越えて旅を続け、無数の読者というホームと出会っていくだろう。「ホーム」とは旅のなかばにある、過去と未来が出会う場所なのだから。

(同志社大学准教授 藤井光)

[日本経済新聞朝刊2014年3月9日付]

ホーム (トニ・モリスン・コレクション)

著者:トニ モリスン
出版:早川書房
価格:2,520円(税込み)


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