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広がるビッグデータの活用 暮らしへの影響は?

2013/6/4 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 プラスワン
 「最近、ビッグデータという言葉をよく聞くけど、私たちの暮らしに影響はあるのかしら」。近所の主婦から質問を受けた探偵、深津明日香は「データの量が増えると……」と、言葉を詰まらせた。「少し時間をください。よく調べてきます」

■情報の山 近未来を予測

「ビッグデータとは何ですか」。まず、調査会社、IDCジャパン(東京都千代田区)の門をたたいた。アナリストの林一彦さん(56)は「企業などが蓄積している大量のデータのことです」と説明した。これまでの技術は、生年月日、名前といった"定型"情報の処理が中心。位置情報、短文投稿サイト「ツイッター」でのつぶやき、音声、画像など多様かつ大量のデータの組み合わせから、消費者の行動パターン、事故や災害の発生時期などを高速で分析したり予測したりできる点が新技術の特徴だ。

「成功事例が出てきました」と声をかけてきたのは野村総合研究所ビッグデータビジネス推進室長の増田有孝さん(52)。一例として家電量販大手のビックカメラと共同で今年初めまで実施した実証実験を紹介した。実験の対象は、過去10年間に東京・池袋本店などで商品を購入したポイントカードの会員だ。顧客の位置情報をもとに、店舗の近くに5分以上滞在している人のスマートフォンに当日限定のクーポンを配信。プリンターの購入履歴があればインクカートリッジを安くするといった情報を伝え、来店を促した。雨天でもクーポンに反応する人が多いなど顧客の行動を分析できたという。

次に訪ねたのはインターネットによる業務支援を手がけるネットイヤーグループ。「企業の意識改革が進めば応用範囲は広がるはずです」と、取締役の篠塚良夫さん(53)。KDDIは昨夏からauのサービスに関する、ツイッターでのつぶやきを自動的に集め、担当者が直接、"回答"している。例えば、「つながりにくい」という、つぶやきを見つけると、ツイッターで解決策を示したり、担当部署に改善を促したりする。

この仕組みを提供したのがネットイヤーグループ。「顧客の生の声を取り入れてサービスや商品を改善しなければ企業は生き残れません」

もっとも、ビッグデータを使いこなしている企業は現状では少数派だ。IDCジャパンが関連ビジネスの市場規模を推計したところ、2012年の国内市場(実績見込み)は197億円。国内企業1050社を対象とする調査では、12年春の時点でビッグデータを活用するIT(情報技術)システムを導入済みとの回答は2.6%だった。

■安全性の確保が課題

「思ったよりも少ないわ」と首をかしげる明日香。次に、ウエブ・マーケティングを展開するIMJ(東京都目黒区)に向かった。「データストラテジスト」という肩書を持つ小林孝嗣さん(39)は「大量のデータをどう生かすのか、"目利き"ができる人材が足りないのです。データを活用して売り上げ増や経費削減を実現する方法を助言しています。費用対効果がはっきりすれば企業は動きます」ときっぱり。

ビッグデータを活用する企業を支援する日本IBMも訪問した。データ分析の専門家「データ・サイエンティスト」の中林紀彦さん(41)に聞いた。「顧客データの分析を望む企業が当社の取引先ではほぼ半数を占めます。お薦め商品の表示などの販売促進やマーケティングに役立てたいと考えているようです」。プライバシー保護、安全性の確保が課題となるが、「多くの企業が情報管理の強化に取り組み始めています」。

「これからビッグデータを活用する企業が急増しそうです」と報告する明日香に、「販売促進や苦情処理に利用するだけなら世の中が大きく変わるとまでは言えないな」と厳しい目を向ける所長。明日香は再び調査に向かった。

日立製作所情報・通信システム社(東京都品川区)の安田誠さん(54)に質問すると、「企業は短期間で効果が表れやすい営業・マーケティングへの応用を先行させていますが、開発・製造、経営・企画、保守・サポートなど様々な部門で活用できるはずです」と答えた。安田さんが今後の活用を期待するのは「モノ」から生まれるデータ。電車やエレベーター、ビルの空調設備などの稼働状況のデータを基に事故や故障を防ぐシステムが普及すると予想する。

新しい技術やアイデアが普及する条件は何か。1960年代に「普及学」理論を提唱した社会学者のロジャースは「優位性」「わかりやすさと複雑さの適度なバランス」「効果を観察・実感できる」などを挙げた。日本リサーチ総合研究所・主任研究員の藤原裕之さん(44)は「現状では販売情報の管理など既存のサービスを強化する"オペレーション型"の利用にとどめる企業が目立ちます。『これまでにないサービスが始まった』と多くの人が実感できる"イノベーション型"の活用が進むかどうか、今が分岐点です」と解説した。

■実感できるのはまだ先

「ビッグデータに注目しているのは企業だけではありません」。事務所に戻ろうとする明日香に声をかけてきたのは千葉市役所の三木浩平さん(42)。三木さんは千葉市がIT化を推進するために民間から採用した「CIO補佐監」と呼ばれる責任者だ。「健康診断のデータを分析し、適切な健康指導をすることで医療費の削減につなげる行政サービスなどを検討中です」

「東日本大震災の津波被害を機に、国や自治体から数値計算による津波シミュレーションの業務委託が増えています」。伊藤忠テクノソリューションズ科学システム事業部の秋山伸一さん(54)を支えているのはビッグデータ。「いくつもの波源モデルを用意し、あらゆる事態を想定するには従来の技術では不十分です。沿岸の堤防や港周辺の工事、家屋までモデル化した詳しい予測を計画しています」

「医療、農業なども大きく変わるでしょう」。次に訪ねた富士通の小林午郎さん(47)は「データ分析の精度が上がるにつれて、人やモノの動きを明確につかめるようになり、様々な現場での活用が進むのでは」と指摘した。近い将来、健康情報の分析で医療の効果が上がり、自然環境の分析で品質の良い野菜を栽培・収穫できるといった事例が出てくると予想。データ分析の専門家である高梨益樹さん(51)も「分野ごとに具体的な成果を示すことが大切」と力説した。

再び野村総合研究所の増田さんに連絡をとった。「企業や国、自治体などが連携し、データを共有できる分野が広がれば、データ活用に弾みがつき、多くの人が生活の変化を実感するでしょう」との説明に、明日香は納得した。

報告後、「うちの事務所でもビッグデータを活用しましょう」と提案する明日香に「もう少し依頼人が増えて調査データの蓄積が進まないと……」と所長がポツリ。

(編集委員 前田裕之)

[日経プラスワン2013年6月1日付]


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