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本当に15年ぶりの円高? 外貨投資の誤解(6)
編集委員 田村正之

2010/8/30 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

15年ぶりの円高と言われるけれど・・・・・・

15年ぶりの円高と言われるけれど・・・・・・

本来「外貨投資シリーズ」は前回の5回目で終了し、新たに生命保険シリーズを始める予定だった。しかし、ここへきて円が急伸、8月24日には一時1ドル=83円台をつけた。連日のように「15年ぶりの円高で日本が危機」という報道があふれている。

もちろんそれはそれで事実であり、政府の毅然(きぜん)とした対応が望まれる。ただし物事はそれを測る「モノサシ」次第で見え方が変わってくる。為替も同じで、普段のニュースで触れられている「名目レート」とは別に、「実質レート」という考え方があることを知ると、景色がやや違って見えてくる。外貨シリーズの最後にそれを書いておきたい。

まずグラフAを見てほしい。実際の円・ドルレート(名目レート)は確かに急速に円高に進んでいて、1995年の円高時と同水準になっている。

ただし為替の強弱は本来、米ドルだけでなくユーロや中国人民元、英ポンド、豪ドルなど様々な通貨との関係で総合的に見るべきだ。このように貿易額などで計った相対的な重要度で多くの通貨をウエイト付けして算出したものを「実効レート」という。現在、日本銀行は58カ国の通貨との間で実効レートを示している。

そしてもう一つ重要なのが「為替は物価水準を考え合わせて議論するべきだ」(東大教授の伊藤元重さん)という視点。

例えばインフレ率の高い国の通貨は、その通貨で買えるモノの量が少なくなる。つまり通貨価値が下がる。為替は2つの国の通貨の交換比率のことなので、通貨価値の下がった国の通貨は長期的には下落しやすいわけだ。

次ページ→「実質実効レートで判断すべき」

今度はグラフBを見てほしい。JPモルガン・チェース銀行の佐々木融・債券為替調査部長が1990年以降の約20年間を対象にして作成したもので、インフレ率が高い通貨ほど、長期的には大きく下落しがちなことがわかる。

例えば90年以降、米国の消費者物価は約7割も上昇しているのに対し、日本は1割弱で、6割強も差がある。

もしも為替相場が20年前と同じだったとしよう。例えば日本企業が国内で材料を調達して米国に輸出するとしたら、7割も材料が上昇した米国企業に比べて、圧倒的に競争力で有利になってしまう。「そんな状態が放置されるはずがない」(佐々木さん)ことから、長期的にはインフレ率が高い通貨は下落して(ドル安になって)調整されるというわけだ。

このような考え方で2国間のインフレを調整して算出したものを「実質レート」という。グラフAで示したもう1本の線、「実質実効レート」は、多くの国との総合的な関係(実効レート)をインフレ率の違いも調整(実質レート)したうえで示したもの。いわば「円の本当の実力」だ。これは日本銀行のサイトで誰でも見ることができる。

前置きが長くなったが、グラフAの「実質実効レート」の線(数字が大きいほど円高)を見ると、さほどの円高ではなく、むしろ2004~06年に大幅な円安だったのが、修正されているだけのように見える。

そして「本当の輸出競争力は、名目レートではなく、実質実効レートに左右される」(立正大学の林康史教授)。「15年ぶりの円高」と騒がれながらも、企業の間で95年当時ほどには悲鳴が聞こえてこないのは、こうした背景もありそうだ。

次ページ→「国内のデフレを止めることこそ必要」

もちろん、通貨安が今の日本にとってありがたいのは当然。企業の状況も様々なので、今の円高が堪えられない輸出企業も多いだろう。「企業の海外進出の加速は国内の雇用減を生み、特に若い世代が苦しむことになる。政府の危機感は薄すぎる」(林教授)。

ただし、実質レートの考え方に立った場合、円高の本質的な原因は、日本の長年にわたるデフレ体質(低いインフレ率)にこそあることになる。

円高による輸入価格の下落もデフレの要因の一つなので、円高とデフレは「鶏と卵」の関係でもある。ただしデフレの要因は、国内の需給ギャップ(生産能力が需要よりはるかに大きいと、価格下落圧力が働く)や金融政策など様々なので、円高だけをデフレの原因にするのも無理がある。

「国内のデフレを止めることこそが、長期的に考えた場合の円高の本質的な対策」(佐々木さん)なのではないだろうか。

金融・財政政策などを総動員して、そうした本質的な対策が取られないと、円高は長期的にさらに進む可能性がある。

グラフAで分かるように、実質実効レートでみた95年の水準は、現在より約3割も円高。当時と実質的に同じ水準まで円高が進むとすれば、ドルで計算すると1ドル=57円だ。そうなったら、本当に日本は沈没してしまうかもしれない。

個人が外貨に投資する際も、名目レートだけを見て「今の円高は経済実態を表していないのだから、絶対に円安に戻る」と決めつけて大幅な外貨投資をすると危ないかもしれない。

「実質実効レートで考えると、さらなる円高があってもおかしくない」という視点を頭の隅に置いておき、外貨に投資する場合も時期を分散することでリスクを抑えることが大切ではないだろうか。

もちろん、何かのきっかけで急に円安に反転し、「あの時に大量に外貨投資をしておけば」と後悔する可能性はあり得る。でもそれは、リスクを抑えながら投資をするために支払うべき必要なコストと言えるだろう。


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