リオへの道 〜日本代表 頂への挑戦〜

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青き23人の勇士たち、
彼らは勝つために集まった

 ワールドカップ(W杯)ブラジル大会に臨む日本代表23人のうち、欧州組は過去最多の12人に上った。「史上最強」と呼ばれるゆえんだ。いよいよ決勝の地、リオデジャネイロを目指した日本の挑戦が始まる。

 今回の代表の特徴は何といっても攻撃力にある。4年前から代表を率いてきたザッケローニ監督は「攻撃的な選手をたくさん選んだ。主導権を持って日本のサッカーをするには、このメンバーが正しいと思った」。FWにエースの本田圭佑(ACミラン)ら8人を選んだことから、日本の「攻め勝つ」というメッセージを読み取ることができる。

 もちろん、セットプレーへの対応など守備の不安はなお残っている。リオへの道のりは平たんではないだろう。それでも、イタリア人指揮官が掲げた「日本が成長している証しを残すサッカー」を実現するため、23人は集った。チーム一丸となり、確かな足跡をブラジルの地に刻んでくれるに違いない。

サムライブルーの軌跡

ジョホールバルから始まった

 かつて日本にとって、サッカーのW杯とは出場すらかなわない夢の舞台だった。最終戦で力尽きた1993年の「ドーハの悲劇」など、アジア予選を突破できなかった日本が初めてW杯切符を手にしたのは97年11月16日。マレーシアのジョホールバルでのアジア第3代表決定戦、イラン戦は延長にもつれこむ死闘だった。決勝点が生まれたのは2―2で迎えた118分。中田英寿の左足シュートがGKを強襲、はじいたボールを途中出場の岡野雅行が押し込んだ。

〔写真=共同〕

’98フランス大会、高かった世界の壁

 初出場した1998年フランス大会で日本を率いたのは岡田武史監督だ。アジア予選の途中に解任された加茂周氏にかわってコーチから昇格し、日本をW杯に導いた監督が掲げた目標は、1勝1敗1分け(勝ち点4)での1次リーグ突破だった。しかし、結果は3戦全敗。すべて1点差だったとはいえ、3試合で1得点と世界の壁の厚さを思い知らされた。

 日本は井原正巳を中心にセンターバックを3人置く3―5―2の布陣で臨んだ。分厚く守り、トップ下の中田英寿やボランチの名波浩、山口素弘の球回しから好機を作るもくろみだったが、初戦のアルゼンチン戦、2戦目のクロアチア戦とも無得点に終わった。惜しかったのはクロアチア戦の33分。中田英寿のパスを受けた中山雅史のシュートはGKに阻まれた。

 最終戦のジャマイカ戦は2点を追う74分に中山雅史が初得点したが、1点及ばず。中山雅史が骨折しながら最後までプレーしたことが明らかになるのは試合後のことだった。

’02日韓大会 初の決勝T進出、大いなる躍進

 2002年大会は日本と韓国の共催となり、W杯の熱狂が初めてアジアにもたらされた。予選免除で出場した日本は、初戦にベルギーと引き分けて初めて勝ち点を手にすると、ロシア戦は稲本潤一が2試合連続のゴールを決めてW杯初勝利。1次リーグ最終戦のチュニジア戦は森島寛晃と中田英寿の得点で快勝、H組1位となって初めて1次リーグを突破、16強入りを果たした。

 フランス人のフリップ・トルシエ監督が掲げた戦術は、最後尾の3人のDFが果敢にラインを上げる「フラットスリー」。左外のMFにパスの名手、小野伸二を置き、ボランチの稲本潤一が果敢に前線に飛び出す攻撃的なスタイルは、日本サッカーの進歩を世界に印象づけた。

 宮城県で行われた決勝トーナメント1回戦、トルコ戦は雨の中の戦いだった。痛恨の失点は12分。コーナーキックから豪快にヘディングシュートを決められた。守りを固めたトルコに逃げ切りを許し、ベスト8進出はならなかった。


’06ドイツ大会 孤高のヒデ、涙で幕

 2002年大会の経験者を主力に据え、ブラジル人のジーコ監督率いるチームは史上最強の呼び声も高かった。3大会連続出場の中田英寿をボランチに下げ、左利きのゲームメーカー、中村俊輔を2列目に置くチームには技術の高い選手がそろっていたのに、期待を裏切る1次リーグF組最下位に終わった。

 痛恨だったのは初戦のオーストラリア戦の逆転負け。前半に中村俊輔が先制しながら、残り6分から立て続けに3点を失った。獅子奮迅の活躍だったGK川口能活が84分に失点すると、日本の守備は一気に崩壊した。長身選手を投入して空中戦を仕掛けてきた相手のヒディンク監督の采配に対応できなかった。

 衝撃的な敗戦から立ち直ることはできなかった。布陣を3―5―2から4―4―2にかえて臨んだクロアチア戦は無得点で引き分け。ブラジルに挑んだ最終戦は1―4で大敗。ピッチに寝転がって涙した中田英寿は、ブラジル戦を最後に29歳の若さで現役生活を終えた。


’10南アフリカ大会
チーム一丸、再び決勝Tへ

 日本サッカーの再構築を託されたイビチャ・オシム監督が脳梗塞で倒れたのは2007年11月のこと。急きょ再登板となった岡田武史監督に率いられたチームは、順当に4大会連続のW杯切符を獲得したものの、本大会直前になってふがいない戦いを続けていた。苦悩した監督は4―2―3―1の布陣をあきらめ、トップ下を外すかわりに、DFとボランチの間に1人を配置する現実的な戦いへと方向転換。批判の逆風にさらされていたチームは守備的なサッカーを一致団結して遂行、海外開催のW杯では初の16強入りを果たした。

 中沢佑二、田中マルクス闘莉王の両センターバックが空中戦で強さを見せ、初戦はカメルーンを1―0で完封。オランダには1失点して敗れたが、デンマーク戦は本田圭佑と遠藤保仁がFKを決めて快勝、E組2位に入った。パラグアイとの決勝トーナメント1回戦は0―0のままPK戦へ。日本は3人目の駒野友一が失敗、惜しくもベスト8入りを逃した。