古賀信行 私の履歴書(28)博多祇園山笠 古賀信行 私の履歴書 1月29日 福岡市博多区の伝統の夏祭り、博多祇園山笠。男たちが山笠を担いで市内を疾走する「舁(か)き山笠」が、2022年に3年ぶりに復活したそうだ。 私も山笠の上に乗る「台上がり」を経験したことがある。18年7月13日。フィナーレとなる「追い山」の2日前、「集団山見せ」だ。この日は博多にゆかりのある知名人などが山笠に上がるのが恒例になっている。 私も祭りの存在は知っていたが、台上がりを経験するとは思ってもみ 古賀信行 私の履歴書(28)博多祇園山笠
古賀信行 私の履歴書(27)中西会長 古賀信行 私の履歴書 1月28日 2018年(平成30年)から、私は経団連の審議員会議長を務めたが、その時の会長が、日立製作所の社長・会長を務めた中西宏明さんだった。残念ながら21年にお亡くなりになった。 経営者として日立を立て直し、経団連会長に就任してからは就活ルール見直しなどの先頭に立った。多くの功績を様々な人が語り継ぐ。その人物に間近で接することができたのは、私にとって大変に幸せなことだった。 ずばりと本質をついて方向性を 古賀信行 私の履歴書(27)中西会長
古賀信行 私の履歴書(26)財界総本山 古賀信行 私の履歴書 1月27日 2014年(平成26年)6月から経団連の副会長を務めた。就任する時、私はひとりの野村証券の大先輩を思った。秘書として2年間仕えた田淵節也元会長だ。 田淵さんは1991年の証券不祥事の責任をとり、経団連副会長を辞任した。90年12月に証券業界初の副会長に選ばれてから、わずか半年後のことだった。 田淵さんの副会長辞任について、メディアから「解任」と評されたことがあった。しかし、これは田淵さんが時の経 古賀信行 私の履歴書(26)財界総本山
古賀信行 私の履歴書(25)証券業界 古賀信行 私の履歴書 1月26日 2008年(平成20年)から野村証券の会長になり、11年には持ち株会社野村ホールディングス(HD)の会長を務めるようになった。一般に証券会社の会長は業界活動が増え、日本証券業協会の役職につくことが多い。私の場合はそれよりかなり前から日証協に関わってきた。 田淵節也さんが日証協会長を務めた1987年に協会長秘書を務め、それからも日証協との付き合いは続いた。常務時代に株式店頭市場の運営を議論する特別 古賀信行 私の履歴書(25)証券業界
古賀信行 私の履歴書(24)サブプライム 古賀信行 私の履歴書 1月25日 「なぜ、これほど低いのですか?」 野村ホールディングス(HD)が自己資本利益率(ROE)15%を記録した2006年3月期決算に対する、米国投資家の反応だった。事業に必要な資金をもっと借り入れで賄うようにすれば、ROEをさらに上げられるではないか、というわけだ。 実際、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど証券業を専門とするウォール街の投資銀行は、こうした財務手法を駆使して20〜30%の 古賀信行 私の履歴書(24)サブプライム
「テスラ株は割安、強気に投資」米アーク幹部に聞く NQNスペシャル コラム 1月24日 「ハイテク株の女王」と呼ばれるキャシー・ウッド氏率いる米アーク・インベストメント・マネジメントは昨年、運用する上場投資信託(ETF)で苦戦を強いられた。2023年も高金利が成長株投資の逆風となりそうだ。同社でクライアント・ポートフォリオ・マネジャーを務めるレナト・レッジ氏に今後の投資戦略と展望を聞いた。(聞き手はNQNニューヨーク 川上純平) 長期目線で銘柄探し 相場下落は割安投資の好機 ――2 「テスラ株は割安、強気に投資」米アーク幹部に聞く
古賀信行 私の履歴書(23)ROE15% 古賀信行 私の履歴書 1月24日 私が社長になった2003年(平成15年)に野村ホールディングス(HD)は、指名・監査・報酬の3委員会を持つ委員会等設置会社へと移行した。野村の企業統治(コーポレートガバナンス)が大きく変わった。 この年4月施行の商法で認められた委員会等設置会社は、経営の執行と監督を分離する「米国型企業統治」と肯定的に評価されていた。とりあえず様子を見る日本企業も少なくなかったが、野村は「やるからには最初に」と考 古賀信行 私の履歴書(23)ROE15%
経済予測のゼノデータ、野村HDなどから3億円の資金調達 金融機関 1月23日 人工知能(AI)を使って企業業績などの予測サービスを展開するゼノデータ・ラボ(東京・渋谷)は、野村ホールディングス(HD)などから約3億円の資金を調達する。調達した資金を元手に予測対象を上場企業の四半期業績や株価に広げ、予測データや分析結果を野村HDで活用する。 同社が提供する「xenoBr 経済予測のゼノデータ、野村HDなどから3億円の資金調達
古賀信行 私の履歴書(22)社長の覚悟 古賀信行 私の履歴書 1月23日 2003年(平成15年)の1月。野村証券はお客さま向けの新春セミナーを大阪で開いた。その夜、氏家純一社長にホテルの部屋に呼ばれ、告げられた。 「次の社長をお願いしたい」 私は聞き返した。 「なぜ、私なのですか。氏家さんが良いと思ったからだけですか」 最高経営責任者(CEO)になるのは覚悟が要る。私は覚悟を決める材料が欲しかったのだ。氏家さんは「取締役会に諮れば全員、賛成してくれると思う」とも言っ 古賀信行 私の履歴書(22)社長の覚悟
古賀信行 私の履歴書(21)持ち株会社化 古賀信行 私の履歴書 1月22日 氏家純一社長の下で私は企画担当の取締役を務めた。システム企画も管掌に入り、西暦が1999年から2000年に変わる時の「Y2K」問題を経験した。 最も汗をかいたのは、グループ会社の見直しだ。 野村証券は2001年3月に持ち株会社体制への移行を決めた。その前段階として持ち株会社の傘下に入る「野村証券グループ」の会社と、そうでない「野村グループ」の会社とをきちんと分ける必要があった。複雑な株式の持ち合 古賀信行 私の履歴書(21)持ち株会社化