春秋 春秋 6月6日 20世紀最後の年。ホンダが二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」を発表したときの記者会見は、当時のわくわくした気分とともに記憶に残る。背丈は小学生くらい。ずんぐりした体つき。腰を少し落とし気味に両手を振って歩き出すと、報道陣から歓声がもれた。 ▼その姿が一生懸命に見えて「転ぶなよ」と心のなかで声援を送っていた。機械に感情移入してしまう自分がおかしかった。ロボット学者から「不気味の谷」という言葉を 春秋
春秋 春秋 6月5日 女性ロックバンド、ガチャリックスピンの「カチカチ山」が小気味いい。感情の揺れをリズムの緩急にたくみに乗せる楽曲とあわせ、ぐっとくるのはその歌詞だ。わずらわしい人間関係を昔話に例えて描く詞のトーンが、上司をやっつけて喜びたいと思った瞬間変わる。 ▼桃太郎の話をふと思い出し、どっちが正義なのかと自問してこう気づく。「鬼だって生活も守りたいものだってあるもんね」。平和を愛する鬼を桃太郎が退治する短編を芥 春秋
春秋 春秋 6月4日 「子どもは2人まで」。1974年7月4日、東京で開かれていた日本人口会議は中国の産児制限を思わせるような大会宣言を採択した。増え続ける人口を支えるための住宅や工場、公共施設、農地などを「このせまい国土のどこにどう割り込ませたらよいのか」――。 ▼民間の主催だったが当時の厚生省がバックアップし、会議には著名人が顔をそろえた。半世紀前、ニッポンは人口増の不安におびえていたのである。ところが、ちょうどこ 春秋
春秋 春秋 6月3日 南方から台湾をめざすように進んできた台風2号。進路をぐいっと右に曲げて沖縄を直撃し、けがや停電などの被害を与えた。その後は台風接近の影響で本州や四国など列島各地が大雨に見舞われている。何かが南の海からこの国に近づく時、まず上陸するのが沖縄だ。 ▼1945年、同様に進路を急に変えたのがコニー台風だった。6月4日から5日、沖縄近くにいた米艦隊は台風の動きを読み違え、空母や艦載機に多大な損害を出す。気象 春秋
春秋 春秋 6月2日 与謝野晶子は1929年夏、夫と鹿児島・霧島を旅した。晶子には初めての土地だ。「華やかに鳴る山川を数しらず脈とするなり若き霧嶋」。霧島連山の絶景に感激したのだろう、躍動感ある歌をいくつも詠んでいる。同じ年のうちにこの旅を主題にした歌集も出した。 ▼人々を魅了してきたその秀峰の麓に生まれ、しこ名に戴(いただ)いたのが元大関霧島(現陸奥親方)だ。細身に練り上げた怪力。巨漢を吊(つ)り出す和製ヘラクレスは 春秋
春秋 春秋 6月1日 きょうは気象記念日だそうだ。1875(明治8)年6月1日、気象庁の前身にあたる東京気象台が業務を開始したことに由来する。いまのホテルオークラのあたり。英国で調達した機器類を備え、当初はお雇い外国人技師が1人で観測した、と気象庁のサイトにある。 ▼日本初の天気予報は9年後の同じ日だった。「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但(ただ)シ雨天勝チ」。一文で日本中をカバーするのは驚きだが、内容もずい 春秋
春秋 春秋 5月31日 母親は、食卓で息子に語りかけた。「これだけは覚えておいてほしいの。お母さん、史朗さんがゲイでも犯罪者でも、史朗さんのすべてを受け入れる覚悟はできているつもりよ」。2019年にテレビ東京などで放送された人気ドラマ「きのう何食べた?」の一場面だ。 ▼2LDKのマンションで同居する料理上手な弁護士・筧史朗(シロさん)と、気のいい美容師の恋人、矢吹賢二(ケンジ)の日々の食卓を描いた作品である。母の心配と愛 春秋
春秋 春秋 5月30日 世界三大映画祭のひとつ、カンヌ国際映画祭で役所広司さんが男優賞を受賞した。受賞作「パーフェクト・デイズ」のヴィム・ヴェンダース監督は小津安二郎監督のファンで知られ、小津映画の往年の名優の名をあげて「わたしの笠智衆」と役所さんを紹介したという。 ▼映画の主人公は渋谷の公共トイレの清掃員だそうだ。渋谷では2020年ごろから建築家らによる個性的なトイレがつくられた。ふだんは透明で、使用者が入ると不透明に 春秋
春秋 春秋 5月29日 よく行くスーパーに、あさりの姿を見かけなくなって、もう1年以上がたつ。最初はこんなに長引くとは想像しなかった。熊本で発覚した産地偽装をきっかけに、なぜか他の国産あさりまでことごとく店頭から消えた。たまにあっても粒が小さく高いので手が伸びない。 ▼おかげで好物のボンゴレも酒蒸しも味噌汁も食卓に上らなくなった。正直に中国産と書いてあっても当方は構わず買うのだが、世間はそうではないらしい。表記を「熊本」 春秋
春秋 春秋 5月28日 東京帝大の民法の大家、末弘厳太郎教授は官吏を巡る随筆を多く残している。昭和初期の「役人学三則」では、役人たるもの(1)広く浅い理解(2)法規を盾にした形式的理屈(3)縄張り根性――が要ると説いた。要は皮肉なのだが、1世紀近くを経てもなお洞察は色あせない。 ▼裁判官にも手厳しい。いわく、一般の役人に比べ、裁判官の公正と正義には多くの国民が信頼を寄せている。ただそれは、裁判官と同質の人間にだけ通じる内 春秋