すごい転校生 内藤弘康 交遊抄 8月10日 年をとるほど昔話をしたくなるのはなぜだろう。古くからの友人で集まると「あの時はこうだった」などと思い出話に花が咲き、当時の情景が鮮やかによみがえってくる。沖縄県豊見城市で心療内科を営む中嶋聡君は中学高校大学と同窓で学んだ旧友で、今でも連絡し合う仲だ。 出会いは神奈川県在住時の中学3年生。転校してきた中嶋君は物おじしない性格で、米国人担当の英語の授業では、簡単なフレーズだけで会話してみせた。英語を すごい転校生 内藤弘康
ガラス細工の星 芹沢ゆう 交遊抄 8月9日 クレディ・リヨネ銀行(現クレディ・アグリコル銀行)で働いていた1982年、インターン生として来たのが、現在仏LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンの日本法人で社長を務めるノルベール・ルレ君だった。ベルギーなどで育ち、パリ政治学院に通った私は感覚的にほとんどフランス人。ルレ君もフランス人でありながら、その後結婚することになる当時の彼女は日本人。自然と意気投合し、家族ぐるみで付き合うようになった。 忘れ ガラス細工の星 芹沢ゆう
濃密な友人度数 深田晃司 交遊抄 8月6日 誰かを自分の友人でございと紹介するとき、相手も自分のことを友人だと思っているだなんて厚顔な思い込みじゃないのか、とつい自信をなくしてしまう。オトナになり、人との出会いが遊びを伴わない仕事の場が中心になると、ますます「仕事仲間」や「同僚」は増えても、「友人」度数の濃い関係性は減ってくる。 そんな自意識過剰気味の自分が、友人としか呼びようのない友人と仕事をともにした希少な作品が25歳の時に監督した中 濃密な友人度数 深田晃司
入れ違いの人生 竹内弘高 交遊抄 8月5日 キリストの再来。経営学者の安田隆二さんは、そう思わせる「いい人」だ。他人の悪口は言わない。人のために尽くす。ただポーカーになるとブラフ(はったり)の名人。その両極端が面白いのだけれど。出会いは50年前、米カリフォルニア大学バークレー校の博士課程。既婚者の貧乏暮らし同士、互いの家でポーカーに興じた。私は当時、経営学修士(MBA)を取得し、米マッキンゼーでコンサルタントになるつもりだった。一方、隆二 入れ違いの人生 竹内弘高
タイの兄弟 桜井克年 交遊抄 8月4日 1981年の暮れ、京都大学農学部土壌学研究室に、タイのコンケン大学からの留学生テッパリット・トラピタクさんを迎えた。私は修士課程の1年生でチューターを仰せつかった。彼は、私の恩師である久馬一剛教授の焼き畑プロジェクトでの働きが評価されて大学院に入ってきたのだ。 3歳年上だが、京大では私の方が先輩。日本では私が兄、逆にタイではトラピタクさんが兄のような役割を務め、仲の良い"兄弟"になった。毎晩飲み タイの兄弟 桜井克年
公園通りの仲間 渡辺寿信 交遊抄 8月3日 中央大学2年のときに夢中になったのが、東京・渋谷公園通りのイタリア料理店「Capri」でのアルバイト。目が回るほど忙しかったが、仲間たちと味わうビールやまかないは格別だった。仕事の基本や向き合い方など社会人の原点を学んだ場だ。 「この店で通用するなら社会に出ても楽勝だぞ」と豪語していたのは、ホール長だった松岡伸幸さん。忙しいほど燃えるタイプで、今は独立して不動産会社を経営している。指を骨折しても 公園通りの仲間 渡辺寿信
美声の兄貴 数原滋彦 交遊抄 8月2日 医薬品卸のアステナホールディングス(HD)社長の岩城慶太郎さんは、兄貴のような存在と言っていいかもしれない。知り合ったのは2016年。マイナビの中川信行社長(現会長)が開いてくれた若手経営者が集まる勉強会でのことだ。 岩城さんは母校の慶応で中学からずっと1学年上の先輩だった。人となりは知っていたが、実際に会ったことはない。勉強会では初対面にもかかわらず意気投合し、会話の8割を私たちの掛け合いが占 美声の兄貴 数原滋彦
世界を変える人 大和隆志 交遊抄 8月1日 世界を変える人。ハーバード大学教授のスチュアート・シュライバー博士は、まさにそういう人だ。化学的手法で生命現象を解明する「ケミカルバイオロジー」と呼ばれる、新しい学問領域を切り開いたことで知られる。 出会いは1996年まで遡る。91年にエーザイに入社した私は、生命現象の謎に光を当てるケミカルバイオロジーが今後の創薬のカギを握ると考え、シュライバー研究室への留学を願い出た。 研究室に合流して驚いた 世界を変える人 大和隆志
海が見える家 岩崎加根子 交遊抄 7月30日 一緒にいると気持ちが軽くなる。歯科医師の伊野千恵子さんには、いつもお世話になりっぱなしだ。疲れていると、何も言わなくてもすぐに察されてしまう。 出会いはいまから25年ほど前。とある演出家が企画した米ブロードウェーの演劇を見に行く会で、10歳年下の伊野さんを紹介された。幼い頃からバレエをたしなみ観劇が趣味だという。前田美波里さんと3人で街を歩いたことを思い出す。数年後、関わっていたボランティアクラ 海が見える家 岩崎加根子
軽やかな転身 村上英之 交遊抄 7月29日 1979年に入学した九州大学経済学部。1年次のクラス分けは五十音順だったから、今でも親しい友人は「ま」行の名字が多い。時代背景やおおらかな校風もあり、ひたすら自由を謳歌した。湯布院にある友人の父君の別荘に押しかけてギター片手に歌を作ったり、酒を飲んで語り合ったりと懐かしい思い出ばかりだ。 卒業すると、友人のほとんどが東京の大手金融機関に就職した。金融業界が激動するなか、新たな道を歩む人も多い。そ 軽やかな転身 村上英之