ひこうきのり子 村田隆 交遊抄 1月31日 「ゼロからの人との出会いが人生を味わい深くしてくれる」。沖縄石油ガス会長の幸喜徳子さんの言葉だ。沖縄県警本部長だった10年ほど前、幸喜さんが県公安委員会の委員だった縁で親交が始まり、たくさんのことを教えられてきた。 かつて日本航空の客室乗務員として世界を飛び回った国際派だ。小型飛行機の操縦免許を持つことから名前の前に「ひ」を付けて「ひこうきのり子」と呼ばれていた。沖縄の伝統舞踊や文化にも精通する ひこうきのり子 村田隆
達人剣士 蝦名和博 交遊抄 1月30日 青森の高校を卒業し金沢大学法学部に入学した。中学・高校時代と同じく剣道部の門を叩いて出会ったのが金沢大学名誉教授の恵土孝吉師範だった。 第一印象は小柄で眼光鋭い方。当時、教育学部の教授で50歳を超えていたが、私の竹刀は師範に全く当たらなかった。どれだけ早く竹刀を振っても、見切られていた。師範は全日本学生剣道選手権で2度優勝し、全日本剣道選手権大会でも準優勝した達人剣士だった。 非常に合理的な指導 達人剣士 蝦名和博
プロになる決意 吉原由香里 交遊抄 1月28日 囲碁棋士を目指しながらもプロ試験に合格できない日々が続いていた18歳の春、慶応義塾大学に進学した。湘南藤沢キャンパスでひときわ輝いていたのが、伊藤櫻エリーサさんだ。中国語のクラスで一緒になり仲良くなった。 北京に短期留学したときは寮の同室で暮らした。髪が凍ってしまうほどの寒さに震えたり、お酒を飲みながら恋愛話をしたり。囲碁漬けの生活を送ってきた私にとって新鮮な時間だった。 棋士になりたいという思 プロになる決意 吉原由香里
黄金の三遊間 黒岩清 交遊抄 1月27日 中学・高校・大学と人生で最もセンシティブな時期を共に過ごした友人がいる。長野県経済連(現・JA全農長野)を経て、現在は松本市に行政書士事務所を構える山岸修治君だ。初めて出会ったのは須坂市の墨坂中学校。軟式野球部で私がサード、山岸君がショートを守り「黄金の三遊間」と誇った。 不器用な私は、試験勉強で教科書を全部読み返さないと気が済まない。彼は省エネ戦法に徹し、範囲を絞り効率的に点を稼ぐタイプ。発想 黄金の三遊間 黒岩清
試練与える師 山口拓己 交遊抄 1月26日 「今できないことでもやり続けないと30代で次のステージに行けないよ」。主に20代後半を過ごしたアビームコンサルティング(当時はデロイトトーマツコンサルティング)で出会った田尾啓一さんは、試練を与えて成長を促す師だった。 大学を卒業して山一証券に1年在籍後、ネットベンチャーに転職したが、力不足を痛感した。キャリアを立て直したいと志望したのがアビーム。最終面接で拾ってくれたのが当時役員の田尾さんだっ 試練与える師 山口拓己
ハンデは無用 福田健次 交遊抄 1月25日 「この後、教官室に来なさい」。司法研修所に入って間もなく、検察教官の中鶴聳(なかつるすすむ)さんに声をかけられた。緊張して赴くと、見どころがあると思ってもらえたのか「弁護士志望らしいが、検事になる気はないのか」。2度司法試験に落ちた身としては誘われたことがうれしく、法曹界でやっていく自信にもなった。 後に大阪地検特捜部長や広島高検検事長も務めた中鶴さんは「学問的なことはよう教えん」といい、手掛け ハンデは無用 福田健次
今度はどこへ 福田信夫 交遊抄 1月24日 駐韓日本大使の相星孝一君とは中学から50年以上交流が続く。鹿児島市のラ・サール学園の同級生でそろって東京大学に入学した。彼は外交、私は化学と違う道に進んだが、今もグルメや旅行を一緒に楽しむ。 海外勤務が増え、お互いの駐在先を訪ね合うようになり付き合いは深まった。新婚旅行は相星君夫婦がフランスを案内してくれた。彼が同国駐在中にサッカーW杯を現地観戦したこともある。私の中国在任時には麻雀博物館など現 今度はどこへ 福田信夫
飛び出すアイデア 若山健彦 交遊抄 1月23日 尊敬してやまない人生の大先輩がいる。管材・住宅設備機器の総合商社である橋本総業ホールディングスの橋本政昭社長だ。今から10年ほど前、経済同友会の産業懇談会の場で初めてお会いした。当時の橋本さんは同会の世話人を務めており、リーダー的な存在だった。こわもてな印象を受けたのをよく覚えている。 経済について議論したり、一緒に展示会を視察したりする中で同じ私立麻布中学校、麻布高校の卒業生であることがわかっ 飛び出すアイデア 若山健彦
蜘蛛の糸 岩井俊二 交遊抄 1月21日 僕が飛び込んだ世界はまるで戦場だった。労働時間度外視の現場。次々リタイヤしてゆく新人たち。先の見えない日々は過酷ではあったが、若さはむしろそんなスリリングな生活を楽しんでいた。 そんなある日、仕事で出会ったミュージシャンが西崎憲さんだった。澁澤龍彦や種村季弘の本が書棚に並んでいる人とは話が合った。塚本邦雄を教えてくれた。オープンリールのマルチレコーダーで宅録をする西崎さん。スピーカーから流れてく 蜘蛛の糸 岩井俊二
壁をなくす 鬼頭芳雄 交遊抄 1月20日 慶応大スキーサークルの2期後輩で、プライスウォーターハウスクーパースなどの社長を歴任した椎名茂君とは2、3カ月に1度食事をしている。頻繁に会うようになったのは7年ほど前から。日本障害者スキー連盟の副会長も務めていた彼が、連盟のスポンサー探しで声をかけてきたのがきっかけだった。 当社が障害者雇用に熱心なのを知っていたらしい。熱い思いに共感し、喜んでスポンサーを引き受けたが、パラリンピック後の報告会 壁をなくす 鬼頭芳雄