作家 堂場瞬一(5) こころの玉手箱 6月2日 コロナ禍前には、大リーグの試合を頻繁に観(み)に行ったのだが、「物理的な思い出」はほとんどない。帰りの荷物が重くなるのが嫌で、グッズを積極的に買う習慣がないからだ。 しかし、試合球が一つだけある。レギュラーシーズン終了後に行われる「アリゾナ・フォール・リーグ」の公式試合球だ。 会社を辞めて作家専業になった年の秋、マイナーリーグをテーマにした連載小説の取材で、アメリカに飛んだ。 サンフランシスコを 作家 堂場瞬一(5)
作家 堂場瞬一(4) こころの玉手箱 6月1日 子どもの頃はSF少年だった。 それが、ミステリ、というよりハードボイルド愛好家に変わったのは、高校生の頃である。何がきっかけだったかは忘れてしまったが、「ハードボイルド御三家」と呼ばれるダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドを手当たり次第に読み漁った。 中でもハメットには夢中になった。特に「マルタの鷹(たか)」の世界観にはどっぷり浸ったものである。 この作品は、三人称に 作家 堂場瞬一(4)
作家 堂場瞬一(3) こころの玉手箱 5月31日 休日に、近所の蕎麦(そば)屋に行く時に履いていくような気軽な靴、ありますよね。手軽なスニーカーとか。 先日、その「休日蕎麦」用のスニーカーを、実に10年ぶりに買い替えた。コンバースの「ワンスター」、色は黒である。 コンバースといえば、キャンバス地のバスケットシューズ「オールスター」がそれこそ定番中の定番で、いつの時代にも人気がある。一方ワンスターは分厚い革のモデルで、軽さではオールスターに劣るも 作家 堂場瞬一(3)
作家 堂場瞬一(2) こころの玉手箱 5月30日 ギターを弾き始めて45年以上になる。これまで何十本というギターが手元を通り過ぎていったが、30年以上も愛用している特別な一本がある。 「結納返し」だ。 結婚した三十数年前、男性が女性に婚約指輪などを贈って、代わりに「結納返し」をもらう場合、腕時計などが一般的だった。 しかし私は、つい「ギターでいい?」とリクエストしてしまった。寛大な妻は、「いいよ」と許してくれたものの、怪訝(けげん)そうな表情を 作家 堂場瞬一(2)
作家 堂場瞬一(1) こころの玉手箱 5月29日 「物語性のあるもの」が好きだ。中でも腕時計をめぐる物語には、心がときめく。 いわく「初めて月に行った」「水深1万メートル超の深海でも無事に動作した」「歴代アメリカ大統領が愛用した」などなど。 普通の人が月に行けるようになるのはずっと先だろうし、水深1万メートルの深海で作業をすることもまずないから、完全にオーバースペックなのだが、そういうバックボーンには憧れる。 そんな私が、若い頃からずっと気にし 作家 堂場瞬一(1)
映画監督 犬童一心(5) こころの玉手箱 5月26日 父は苦労人だった。熊本県人吉市に近い小さな村の農家の次男として生まれ、福岡で大工の修業をしながら夜間高校に通い、その後に上京した。そして夜間大学で学び、建築会社を立ち上げた。時代は高度経済成長のまっただ中、その波に乗り、常に忙しい日々を送った。 若い頃、自分に遊ぶ時間などなかったせいか、子どもの私には「勉強しろ」とか「バイトでもしたら」などと言うこともなく、自由に好きなことをさせてくれた。 そん 映画監督 犬童一心(5)
映画監督 犬童一心(4) こころの玉手箱 5月25日 「会う時間を作ってもらえないか」。仕事先に突然、そんな電話がかかってきたのは、映画「二人が喋(しゃべ)ってる。」(1995年)の完成後、しばらくたってからだ。その人はCM界の巨匠で、「BU・SU」(87年)、「東京兄妹」(94年)などの映画監督としても注目されていた市川準さんだった。 話は少し遡る。実は「二人が喋ってる。」は、大阪・道頓堀のキリンプラザ大阪で記念上映されたが、一般公開の予定はなか 映画監督 犬童一心(4)
映画監督 犬童一心(3) こころの玉手箱 5月24日 大学卒業後、就職したのはCMプロダクションだった。在学中も自主映画作りは続けていて、池袋の文芸坐に助けられ、漫画家の大島弓子さん原作「赤すいか黄すいか」(1982年)、「夏がいっぱい物語」(83年)などの作品を手掛けた。 卒業すると、周りの友人たちは映画の世界に向かった。だが、私はその気持ちになれなかった。収入が不安定なのはわかっていたし、生意気にも生活のために興味のない作品に参加するのも嫌だっ 映画監督 犬童一心(3)
映画監督 犬童一心(2) こころの玉手箱 5月23日 映画中毒になっていた私は、高校生になると自分でも映画を作りたいと思い始め、8ミリや16ミリフィルムの自主映画も見始めた。大林宣彦さんの個人映画や、当時まだアマチュアだった大森一樹さんや黒沢清さんに大きな刺激を受けた。そして、高3になろうとする春休み。父にねだって8ミリフィルムのカメラと編集機、映写機を手に入れた。 だが、いざとなると何を撮ればいいのかわからない。1970年代終盤、若者はいわゆる「 映画監督 犬童一心(2)
映画監督 犬童一心(1) こころの玉手箱 5月22日 私の映画の歴史には、いつも「彼」がいた。俳優で監督のクリント・イーストウッド。初めて画面で彼を見たのはテレビ西部劇「ローハイド」。私はまだ随分と幼く、家のテレビは白黒だった。カウボーイたちの長い旅でおこるトラブルや出来事を描いていた。長身と笑顔が画面に映え、とにかく「カッコイイ!」のだ。 そして小学4年生、とうとう「荒野の用心棒」に出合う。日曜洋画劇場で淀川長治さんの解説付きだった。イタリア製マ 映画監督 犬童一心(1)