2017年11月21日(火)

FWジェコ、ボスニアのダイヤ輝く

2014/6/27 3:30
保存
共有
印刷
その他

 子どもの頃、目覚まし時計でなく銃声で起きていた。1990年代半ばのボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビアからの独立に伴う内戦のただ中。FWジェコの故郷、サラエボはセルビア人勢力の軍隊に3年半、包囲されていた。

 友人、親族の悲報が相次ぐ中で唯一、全てを忘れられるのがサッカーだった。砲弾飛び交う中でプレーを諦める少年も多かったが、文字通り命懸けで続けてきた。ある日、広場でボールを蹴っていると、母親に呼ばれた。駆けていくと、直前までいたところで爆弾が破裂していた。

 オシム元日本代表監督の古巣、ゼレズニチャルでプロになった後、海外へ飛躍。ウォルフスブルクで長谷部誠と同僚だった24歳のとき、ドイツリーグの得点王に輝いた。2011年に加入したイングランドのマンチェスター・シティーでは既に2度、優勝カップをつかんでいる。192センチの長身ながら動きは優雅。ボールを柔らかく収め、両足で正確にシュートを放つ。ポストプレーの達人でどんな苦境にも動じない。「ボスニアのダイヤモンド」の異名通り、国中が憧れる輝きを放っている。

 代表では長く報われなかった。前大会の予選は1人で9得点を挙げながらもプレーオフで敗退。今予選でも再び10ゴールを決め、28歳でとうとうW杯にたどり着いた。

 初戦のアルゼンチン戦と続くナイジェリア戦。チャンスはありながらも、決めることはできなかった。2連敗後のイラン戦で、前半に左足のミドルシュート。芝の上を滑らかに走ってポストに当たって入る、この人らしい形でようやく初ゴールを挙げた。ポストプレーで3点目も演出。W杯初勝利の立役者になった。

 期待を裏切る1次リーグ敗退には違いない。人気、実績ともに並ぶ者がないから、背負うものも大きかったのだろう。謙虚な人柄で知られるが、ナイジェリア戦で自身のシュートがオフサイドと判定されると「主審は恥知らず」と攻撃。イラン戦後は自国のメディアと言葉を交わさなかった。

 「今日のゴールと勝利を誇りに思う。この経験がチームの未来に役に立つ」と話す一方、「もっといい結果を出せた」とも。今はまず歓喜も後悔も、その大きな体でめいっぱい受け止めている。

(サルバドル=谷口誠)

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報