コロナ下の上司 声かけや1on1で育児社員の不安解消
多様なメンバーと働く 職場の対話術(1)

第1回は、子育て社員と上司とのコミュニケーションに注目する。
コロナ禍により、ビジネスパーソンの働き方は大きく変化した。そうしたなか、子育て社員との対話軸を変えたという、キリンビールのあるチームリーダーの例を紹介しよう。
「家族との時間は、ちゃんととれていますか」
キリンビール広域販売推進統括本部セールスサポート部の副部長、渡辺謙信さん(49)は、コロナ禍による在宅勤務の常態化で、部下にこんな言葉をかけるようになった。代わりに封じ込めたのは「頑張れ」「努力しろ」といった言葉。部下の不安が垣間見えると、さりげなく冒頭の言葉をかける。
在宅での不安払拭 「仕事より家庭、健康」と声かけ
実は渡辺さん自身も、7歳と4歳の男の子を育てる共働き家庭だ。フルタイム勤務の妻とは毎週月曜日に朝食をとりながら、1週間の家事分担を話し合う。ところがコロナ禍により、従来の生活スタイルの見直しを余儀なくされた。共働き夫婦ならではの両立の難しさ、つらさ……。渡辺さんのチームはメンバー7人のうち4人が子育て中だ。自らの経験を踏まえ、メンバーの不安を取り除いて、やる気スイッチを入れるには「仕事より家庭、仕事より健康」という言葉が必要だと考えた。
「これなら長く仕事を続けられる」。部下の小野理恵子さん(38)は渡辺さんの言葉を聞き、ほっとした。小野さんも共働きで5歳の男の子を育てている。コロナ禍で苦労したのは、子どもの登園がストップしたとき。在宅勤務にあたり、夫婦それぞれが仕事に専念できる時間を持てるように早番、遅番を設定。二交代制のようにして家庭内で子供のケアをして乗り切った。
もちろん、「家庭優先」という言葉はプラスにばかり働くとは限らない。時には、メンバーの事情により、期日までに業務が終わらないといった事態も発生する。その場合は、管理職として渡辺さんが個別に相談に乗ったり、他のメンバーがフォローしたりする。それでも、家庭や健康に目配りする渡辺さんの声かけによって、「完了しそうにない」「(遅れているので)休日に仕事をさせてほしい」といった言葉をメンバーが口にしやすくなった。このため、以前より早めに相談が寄せられるようになり、渡辺さんは管理職として業務配分などを判断しやすくなったという。
トップメッセージに刺激、1on1で「成長」促す

もうひとつ、渡辺さんがコロナ禍で大きく変えた対話の軸がある。それは、日々の業務にまつわるやりとりを「個人の成長」に結びつけたものにしていくということだ。
きっかけは、突然の在宅勤務の常態化などで戸惑う社員もいるなか、布施孝之社長が発したメッセージだった。「人材育成の背景や意味を理解し、会社全体でマインドセットを変えていこう」「仕事の意義の捉え方が変わることは、全社員が望む『幸せで豊かな人生』につながる」
トップの言葉を受けて、渡辺さんは決意した。自身が率いるセールスサポート部は、営業部門が商談で使う資料やデータを作成している。従来は一丸となって営業目標達成に取り組んできた。だが、コロナ禍で飲食店への休業要請など酒類の販売にまつわる環境も変わり、発想の転換が求められていた。そこで営業目標達成に代わり、部下の成長を促すことを主軸とするコミュニケーションに切り替えようと考えたのだ。
同社のキャリア開発では、毎年の年初に「5年後にありたい姿」を上司と部下が面談で話し合う仕組みがある。その際、理想の姿からバックキャスト(逆算)して今何をすべきか、上司がアドバイスをする。渡辺さんはこの面談にプラスする形で、ここ数年注目されている「1on1」ミーティングを独自に取り入れた。
「1on1」とは、管理職と部下が1対1で向き合う対話の場で、上司が部下の話を聴くことを基本とするもの。渡辺さんの場合は週1回ひとり30分前後、電話やスマートフォンのビデオ通話アプリ「フェイスタイム」でじっくり向き合う。まずは話を聴いたうえで、目の前の業務について、部下の「成長」と結びつけながら語るようにしている。

たとえば小野さんの場合は、担当するクラフトビール営業での好事例を、どのようにまとめて、誰宛てに発信すると最も効果的かを相談した。こうした具体的な業務をベースに、「ありたい姿」に近づくにはどういう視点やアプローチが必要かを渡辺さんが助言する。さらに1on1では中長期的な仕事を巡る話題も。小野さんの場合、将来管理職を目指すものの具体的なイメージがわかない。「リーダーになるってどういうことですか」と渡辺さんに質問。「リーダーはメンバーの成長を預かる役割を担う」という答えに、なるほどと思ったという。週1回のやりとりから、互いの信頼関係も深まっていく。
「謙信(けんしん)さん」と親しみを込めてファーストネームで呼ばれている渡辺さん。時には後輩から、こんな「暴露」も。
「謙信さん、酔っぱらって窓開けたまま寝てしまい、朝起きたらお腹(なか)の上に野良猫がのっていたんだって」。若かりし日の渡辺さんのトホホ体験に一同、大爆笑。これは、部のメンバー全員が参加するチャットを使った雑談タイムでの出来事だ。
2021年6月現在、同社はコロナ禍で出勤を従来比3割に抑える取り組みを続けている。渡辺さんもメンバーも出社は月1回程度。多様なツールを活用するも、チーム内での「横」のコミュニケーションは不足しがち。そこで、朝夕に全員参加のチャットタイムを設けたのだ。メールよりも気楽に、「お疲れさまです」も省いて何でも書き込める。業務で店頭の売り場訪問をしましたという写真付きのリポートがアップされたり、個人的につぶやきたいことを書きこんだり。そして「謙信さん」のかつてのしくじり体験まで飛び出して、メンバーの心が和む。
在宅勤務で加速、柔軟な働き方
スタッフ全員の日々の予定は、メールソフト「Microsoft Outlook(アウトルック)」の予定表で共有している。保育園への迎えなどで仕事ができない時間帯は予定表上で事前にブロックし、会議設定などに支障がないようにしておくのがルールだ。
同社ではコロナ禍の前から、コアタイムなく勤務時間帯を選べるフレックスタイム制度が導入されていた。これを利用する形で在宅勤務の浸透に合わせ、柔軟な働き方が一気に拡大した。就業が認められるのは午前5時~午後10時までの時間帯。子育てのために、早朝に始業する代わりに昼過ぎに終業、といったメンバーもいる。
時間の制約、研修で追体験 職場の空気が変化
一般的に、子育て中の社員と子どものいない社員の間では時間に制約のある働き方を巡って、溝が生じがち。だが、渡辺さんのチームでは在宅勤務下での「子育てによる仕事ブロックタイム」がすんなり受け入れられたという。「なりキリンママ・パパ」研修により、その土壌が培われたからだ。
これは、営業担当の女性たち(グループの女性社員による「なりキリンママ」チーム)が出産後も継続就業できる環境づくりを目指して考案した研修プログラム。子どものいない社員が「営業ママ」になったと仮定して、時間制約のある働き方を実体験してみるという内容だ。
同実験により、男性中心の職場で築かれた昭和的な営業スタイルの弊害などが浮き彫りに。働き方改革につながるとの実証結果も得られて、19年から全部門で導入された。現在は制約ありと設定する社員のシチュエーションを子育てだけでなく、介護、パートナーの病気にも拡大。研修対象者はいずれかを選んで残業ゼロを徹底し、子どもの発熱のような突発的な早退や欠務も疑似体験する。昨年からは「リモートなりきり」も取り入れ、キリングループではこの4月までに社内500人が研修に参加した。
渡辺さんのチームでも、コロナ禍前にほぼ全員がこの研修を受けた。かつて、育児のための短時間勤務をしていた小野さんは、なりキリンを体験した同僚から、こんな言葉をかけられた。「仕事帰りに子どもを迎えに行って、そのあとご飯をつくって寝かしつけて……大変なんだね」。誰かに何かを言われなくても、周囲より早く職場を後にすることに後ろめたさや肩身の狭さを感じていたが、職場の空気が変わったと肌で感じた瞬間だった。

「なりキリン」が広がった職場では、期せずして本当に子育てをしている社員が「本キリン」と呼ばれるようになった。ネーミングの妙により、「周囲が本キリンに声がけをするようになり、本キリン自身も子どもの送迎などを自己開示しやすくなりました」(人事担当、関根優さん)。相互の理解が進んだことで、社員らの「心理的安全性」が高まった。だから、リモート勤務が主流となっても、育児中の社員が離れた場所にいるメンバーに「子育てによる仕事ブロックタイム」を気兼ねなく表明することができ、それを快く受け入れてもらうことができたのだろう。
1)家庭や健康の大切さを管理職が明言することで、安心して進捗報告ができる
2)目の前の業務を「ありたい姿」につなげる形で指導・助言し、成長を促す
3)業務に影響しそうな、子育て事情も自己開示しやすいように職場の「心理的安全性」を確保する
コロナ禍で、同社では在宅勤務を巡る上限回数や取得できる人の勤続年数に関する要件が撤廃された。同時にオフィスの利用については、イノベーション創発、チームビルディング、価値観の共有といった目的が再定義された。コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかったとしても、もはや元の働き方には戻るまい。
渡辺さんはテレワークを余儀なくされるなか、管理職として模索しながら「家族、健康」「個人の成長」といった部下との新たな対話の軸を定めた。このように、多様なメンバーを抱える管理職は、ウィズ・コロナの中でチームのパフォーマンスを最大化するための新たなコミュニケーション軸を設定する必要がありそうだ。

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