2019年5月24日(金)

沢村栄治は160キロ超? 往年の名投手の球速は…
編集委員 鉄村和之

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2014/5/12 7:00
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投手の魅力はなんといっても150キロを超すような快速球。投手と野手の"二刀流"に挑戦している日本ハムの大谷翔平は4日のオリックス戦で150キロ台の直球を連発して3勝目を挙げ、4割近い打率をマークしている打撃とともにプロ2年目で成長した姿を見せている。日本球界での最速は当時巨人に在籍していたマーク・クルーンが2008年にマークした162キロとされているが、沢村栄治(巨人)、ビクトル・スタルヒン(巨人など)、江夏豊(阪神など)らかつての名投手は何キロぐらいのボールを投げていたのだろうか。

1936年に巨人が渡米遠征したときの沢村栄治(野球殿堂博物館提供)

1936年に巨人が渡米遠征したときの沢村栄治(野球殿堂博物館提供)

日本球界に大きな希望の灯

日本の野球の伝説となっている試合から、今年でちょうど80年がたつ。1934年11月20日、静岡の草薙球場で行われた日米野球第8戦。ここまで7戦全敗だった日本だが、この試合で先発した17歳の沢村が、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスら大リーグの球史に残る名選手たちから次々に三振を奪ってきりきり舞いさせたのだ。

六回まで両軍とも得点なくゼロ行進。七回にゲーリッグに本塁打されて惜しくも0-1で敗れたが、大リーグと雲泥のレベルの差があった日本の野球界に沢村の快投は、大きな希望の灯をともした。

左足を高く上げた独特の投球フォームからの快速球と「3段ドロップ」とも評された大きなカーブを武器に、36年に日本職業野球連盟が旗揚げすると史上初のノーヒットノーランを成し遂げるなど巨人のエースとして活躍。だが、度重なる徴兵によって肩を痛め、プロ通算5年で63勝22敗の成績を残して44年に台湾沖で27歳の若さで戦死した。

語り継がれる「火の玉投手」

「火の玉投手」「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」などと今でも語り継がれている沢村の快速球のスピードはどれぐらいだったのか。中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授はかつて調べてみたことがある。

苦労したのは映像探しだったという。まだ8ミリカメラもさほど普及していない時代だっただけに、八方手を尽くしてもなかなか見つからない(テレビ放映を録画したものは、編集の手が加わっているかもしれないので除外したそうだ)。調査に着手して2年ほどして、ようやく米国で沢村が投球前に軽く投げている映像を発見した。

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