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スポーツを科学する 沢村栄治は160キロ超? 往年の名投手の球速は…

編集委員 鉄村和之

投手の魅力はなんといっても150キロを超すような快速球。投手と野手の"二刀流"に挑戦している日本ハムの大谷翔平は4日のオリックス戦で150キロ台の直球を連発して3勝目を挙げ、4割近い打率をマークしている打撃とともにプロ2年目で成長した姿を見せている。日本球界での最速は当時巨人に在籍していたマーク・クルーンが2008年にマークした162キロとされているが、沢村栄治(巨人)、ビクトル・スタルヒン(巨人など)、江夏豊(阪神など)らかつての名投手は何キロぐらいのボールを投げていたのだろうか。

1936年に巨人が渡米遠征したときの沢村栄治(野球殿堂博物館提供)

日本球界に大きな希望の灯

日本の野球の伝説となっている試合から、今年でちょうど80年がたつ。1934年11月20日、静岡の草薙球場で行われた日米野球第8戦。ここまで7戦全敗だった日本だが、この試合で先発した17歳の沢村が、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスら大リーグの球史に残る名選手たちから次々に三振を奪ってきりきり舞いさせたのだ。

六回まで両軍とも得点なくゼロ行進。七回にゲーリッグに本塁打されて惜しくも0-1で敗れたが、大リーグと雲泥のレベルの差があった日本の野球界に沢村の快投は、大きな希望の灯をともした。

左足を高く上げた独特の投球フォームからの快速球と「3段ドロップ」とも評された大きなカーブを武器に、36年に日本職業野球連盟が旗揚げすると史上初のノーヒットノーランを成し遂げるなど巨人のエースとして活躍。だが、度重なる徴兵によって肩を痛め、プロ通算5年で63勝22敗の成績を残して44年に台湾沖で27歳の若さで戦死した。

語り継がれる「火の玉投手」

「火の玉投手」「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」などと今でも語り継がれている沢村の快速球のスピードはどれぐらいだったのか。中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授はかつて調べてみたことがある。

苦労したのは映像探しだったという。まだ8ミリカメラもさほど普及していない時代だっただけに、八方手を尽くしてもなかなか見つからない(テレビ放映を録画したものは、編集の手が加わっているかもしれないので除外したそうだ)。調査に着手して2年ほどして、ようやく米国で沢村が投球前に軽く投げている映像を発見した。

主な名投手の推定球速
沢村栄治(巨人)160.4
尾崎行雄(東映など)160.2
村山実(阪神)158.8
江夏豊(阪神など)158.8
スタルヒン(巨人など)157.2
山口高志(阪急)155.7
小松辰雄(中日)154.5
金田正一(巨人など)154.3
村田兆治(ロッテ)152.2
江川卓(巨人)151.2
杉浦忠(南海)150.7
外木場義郎(広島)150.0
稲尾和久(西鉄)144.4

(注)単位はキロ

ただ、打者に向かって全力投球をしている映像ではないため、湯浅教授はプロの投手が投球前に軽く投げる際、全力投球の何%ぐらいの力で投げているかを調べた。何十人もの選手を調査した結果、ある一定の傾向があることが分かったという。

映像もとに全力投球の球速を類推

こうして判明した傾向と、キャッチボールしている映像からはじきだした球速(撮影したカメラの性能などを調べ、ボールが手元から離れて何コマでどれだけ進んでいるかなどから計算)から類推した沢村の全力投球の球速は、「160.4キロだった」と湯浅教授は説明する。

そのほかの主な名投手については全力投球しているときの映像が手に入ったため、球速を計算したところ、2番目が尾崎行雄(東映など)の160.2キロ。3番目が村山実(阪神)と江夏の158.8キロ。次いでスタルヒンの157.2キロだった。

「怪童」といわれた尾崎は浪商高2年だった61年に夏の甲子園で優勝投手となると、同年秋に高校を中退して東映入り。ルーキーだった62年に20勝9敗を挙げて新人王に輝いた。上体を揺らして反動をつけて投げる独特の投げ方は「ロッキング・モーション」と呼ばれ、オールスターで対戦した長嶋茂雄(巨人)が「あんな速い投手はセ・リーグにはいない」と目を丸くした逸話も残っている。

江夏は阪神時代、160キロ近い速球を投げていたとみられる(75年2月)

闘志むき出しの「ザトペック投法」で知られる村山は、快速球とフォークボールを武器に通算222勝を挙げた阪神の名投手。キャリア後半の広島などでは抑え投手としても活躍したが、阪神時代に先発の快速左腕としてならした江夏は71年のオールスターで9連続三振の偉業を達成し、8人目の三振を喫した岡村浩二(阪急)は「速すぎる。スピード違反や」とうなったともいわれる。日本のプロ野球で初の300勝投手となったスタルヒンの剛球に、巨人の捕手の吉原正喜が「捕球するのに恐怖を感じた」そうだ。

もちろん、沢村の球速はあくまで計算上の類推で「誤差はあるかもしれない」と湯浅教授も断りをいれる。それでも、沢村が「かなりのスピードボールを投げていたのではないか」と同教授は言い切る。

174センチ、71キロだった沢村がどうして快速球を投げられたのだろうか。湯浅教授はスピードボールを投げる条件として、次の4つの要素を挙げている。

上腕と肩甲骨、動きのリズム比3対1

第1に日本球界最多の400勝をマークしている金田正一(巨人など)もそうだが、沢村も投げる際に大きく胸を張っている。背中を丸めて投げてしまうと、腕はなかなか高い位置に上がってこない。ところが胸を張ると、スッと腕が上がるようになるという。「これが大事なポイント」と同教授は指摘する。

2つ目は上腕と肩甲骨の動きのリズム比が3対1であること。これはどういうことかというと、右手のヒジを真っすぐ伸ばしたまま真下から前の方に徐々に持ち上げて肩の高さまで引き上げたとする。この状態では腕が90度持ち上がったことになるが、このとき肩甲骨はそれほど大きく動いてはいない。この腕の動きと肩甲骨の動きの比率が3対1(つまり腕の動きが90度であれば肩甲骨は30度)であることが重要といい、「これが速い球を投げると同時に、肩を壊さないコツ」と湯浅教授は説明する。

ロッテで通算215勝を挙げた村田兆治が昨夏の始球式で、63歳にして135キロの速球を投げて話題になったが、村田はこのリズム比がちょうど3対1になっているそうだ。

この比率にするには最近流行しているインナーマッスルトレーニングをする必要がある。つまり肩を取り巻く小さな筋肉をちゃんと鍛えることが重要だ。西鉄で276勝を挙げた稲尾和久は幼いころに漁師だった父親に連れられ船で艪(ろ)をこいでいたことは有名だが、これがインナーマッスルトレーニングになっていた。沢村もおけで水をくむなど、なにかインナーマッスルトレーニングにつながることをしていたのではないか、と湯浅教授は想像する。

投球フォームに加え、指の力も重要

第3のポイントとして、投球動作で利き腕のヒジがトップの位置にきたとき、ボールを握っている拳と目の位置がほぼ水平になっていることを挙げる。「この位置が一番肩に負担なく腕が回せる」と同教授は話していて、沢村もスタルヒンも目尻のほぼ横にボールを握る拳がきているそうだ。

最後のポイントとして、指の力の重要さを指摘する。150キロのスピードボールを投げようとすると、指には23~24キロ程度の力がかかる。160キロを超すボールだと、それは26キロ以上の力となる。

プロの世界でも投球フォームにばかり目がいって指のトレーニングを怠りがちだが、投球フォームがよくなったとしても指の力がないと、ボールがすっぽ抜けてしまって速い球は投げられない。

160キロ以上を
公式戦で記録した投手
クルーン(巨人)08年6月162
由規(ヤクルト)10年8月161
林昌勇(ヤクルト)09年5月160
マシソン(巨人)12年7月160

(注)所属は当時、単位はキロ

160キロ以上記録、公式戦で4投手

尾崎はあまりにも速いボールを投げたために、投球すると指の皮がむけてしまうこともあったそうだ。それだけ大きな力がかかっていたということなのだろう。「指というのは体の中の小さな部分だが、スピードボールを投げるには大きな決定権を持ってくる」と湯浅教授。快速球を投げたかつての名投手は指の力も強かったのではないかと、同教授は推測する。

ちなみに、79年にスピードガンで測った投手の球速が公表されるようになってから(導入は76年だったが数値は未公表だった)、これまで公式戦で160キロ以上をマークしたのはクルーン(巨人)の162キロ、由規(ヤクルト)の161キロ、林昌勇(ヤクルト)とマシソンの160キロの4投手。とはいえ、スピードガンで測った数値も球場によって違いがあり、球速が速めに出やすかったり、出にくかったりする。

湯浅教授が推定したのも、あくまでボールの初速。打者の視点に立って考えるならば、ボールの回転も重要だ。ボールは重力に引っ張られて落ちていくが、スピンの効いたボールは上方への力が生じて落ちにくく威力が増す。

記憶に残る体感速度は「175キロ」

同教授はかつて実際に対戦したことのある青田昇(巨人、阪急など)に依頼して、「スタルヒンのボールはこれだと思うものをいってほしい」とピッチングマシンを使って実験したことがあるそうだ。そのとき青田が指摘したボールは、なんと175キロぐらいだったという。あくまで記憶に残っていたボールだが、スタルヒンのボールはそれだけスピンが効いて威力があり、打者にとっては打ちにくかったということではないか。

かつての名投手の球速は、今となってはもうスピードガンで測りようがない。沢村の球速は130キロから140キロ程度だったのではという異論もある。だが、こうして科学の目で推論し、「沢村らはすごい快速球を投げていた」と信じる方が、夢が広がるのではないだろうか。

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