米球界で「絶滅種」 田中将大の決め球スプリット
スポーツライター 丹羽政善
4日のブルージェイズ戦でメジャーデビューを果たしたヤンキースの田中将大。7回3失点と好投へと導いた一因は、決め球の「スプリット・フィンガード・ファストボール」だった。先頭のメルキー・カブレラに捉えられ、本塁打を許したものもスプリットだが、1死後、2010年に54本塁打を放ったホゼ・バティスタから豪快な空振りを奪ったのも同じ球。2打席目にカブレラを三振に仕留めたのも、この球である。
■日本時代よりも落ち方鋭い?
人さし指と中指で深く挟むフォークボールに対し、スプリットは浅く挟んで投げる。打者にしてみれば、真っすぐにしか見えない。それが手元に来てすっと消える。
「厄介だと思うよ」。正捕手のブライアン・マキャンが言うのだから、まず間違いないのだろう。まるで他人事だが、実際、味方なのだから、もっともか。
そんな話を聞きながら、惜しくも開幕メジャー入りはならなかったものの、最後までロースターの座を争った建山義紀の言葉を思い出していた。
「日本のときより、落ち方が鋭いんじゃないですか」
キャンプで田中のスプリットを見て、彼はそう思ったそうだ。
「(日本のボールに比べ)縫い目が高いことが、影響しているのかもしれませんね」
確かに、ボールが変わることで、変化球の性質が日本時代とは変わることが多々ある。田中にとっては、スプリットがその一つなのか。
■大リーグでなぜ消えたのか
その建山によると、田中加入の影響か、ヤンキース投手陣の間で、スプリットが話題になったそうだ。
その話の流れの中で、ふと「どうして大リーグでは、スプリットが消えたんでしょうね」と聞くと、「実はそんな話にもなったんですよ」と教えてくれた。
その時、ある投手がボールを挟んで握り、こう言ったのだという。
「ほらな、こうして握ると、ヒジにストレスがかかるだろ? これが理由だよ」
確かに、指を開いてボールを握ると、ヒジに何らかの力がかかるのが分かる。
■多投すればヒジを故障、定説に
多投すれば、その負担がいずれヒジの故障につながる。だから消えたんだ――という論理は、建山にその影響を説いた投手の考えというよりも、むしろ米球界全体に定説として広まっているものだろう。
実際、大リーグには具体的にデータで証明されているわけではないものの、「ヒジに負担がかかる」としてスプリットを投げることを禁止しているチームすらある。
現在、ドジャースの投手、ダン・ヘイレンはかつてカージナルスにいた。落ちる球が必要だと感じた彼は、チェンジアップの習得を試みたが、思うようにものにならなかった。
ならばとスプリットを投げてみると、これが面白いように落ちた。ただ、それを実戦で使い始めると、投手コーチから言われたそうだ。
「ヒジを壊すから、投げるな」
レイズもスプリット禁止だ。その代わり、マイナーの頃にチェンジアップをマスターさせる。
ヤンキースの内野手、ブレンダン・ライアンが言っていた。
「レイズのピッチャーは、みんないいチェンジアップを投げる。それは、徹底されている」
■オールスター級へのチケット代わり
もはや絶滅種に近いが、かつてスプリットといえば、人気の球種だった。1980年代、誰もが飛びついた。決して習得が容易な球種ではないが、ものにできればアウトピッチ(決め球)にもなる。
使い手としては、通算254勝をマークしたジャック・モリス、史上最多の7度もサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)を獲っているロジャー・クレメンスらが有名だが、86年にサイ・ヤング賞を受賞しているマイク・スコットや通算300セーブを記録したブルース・スーターらはスプリットのおかげで、活躍できたといわれるほど。
スプリットは平均的な投手からオールスタークラスの投手になるための、「チケット代わり」でもあったのだ。
しかしながら、多くの投手が投げ始めると、徐々にリスクが浮かび上がってきた。
■時代に逆行、否定しないチームも
ロッド・ベック、ジョン・スモルツといったスプリットを得意としていた投手が次々に故障し、スプリットとの関連が取り沙汰された。やがて「スプリットは危険」との認識が広まった。そうなってから野球を始めた今の20代半ばの選手らは、大体口をそろえる。
「スプリットの投げ方を教わったことはない」
ブームになるのも廃れるのもあっという間のこと。今や、受け継がれることもまれとなっている。
もっともそんな中で、時代に逆行するチームもある。
先のヘイレンは、カージナルスからアスレチックスにトレードされたとき、「どんな球種が投げられるのか」と聞かれた。
また否定されるかもしれないと思いながら、恐る恐る「スプリットが投げられる」と口にすると、「なんだ、スプリットが投げられるのか!」と歓迎されたそうだ。彼の素質は以降、開花していった。
「故障の原因はスプリットではない」と主張しているのは、ホワイトソックスのドン・クーパー投手コーチ。彼はメジャーの定説にあらがい、「正しいフォームで投げれば、スプリットを投げてもケガをすることはない」とする。
「間違ったフォームで投げるから、故障するんだ」
建山やヤンキースの黒田博樹もスプリットと故障の影響には首を傾げた。
■「スプリット投げるからケガは極端」
「結局、投げ方だと思うんですよね」と建山。「こっちの投手は、ほとんどが上半身(の力)で投げる。日本の投手は体全体を使って投げる。メジャーの投手が8対2、7対3の割合で上半身に頼っているとしたら、日本は上半身、下半身の割合が5対5じゃないでしょうか。そこに違いがあるのかもしれません」
黒田も言う。「スプリットが特別、ヒジに負担がかかるとも思えない。むしろ、フォーシームの方がかかるんじゃないですか」
建山いわく「日本人みたいな米国人」というエンゼルスのC・J・ウィルソンの考えも建山、黒田に近かった。
「スプリットを投げるからケガをする、というのは極端だ。ケース・バイ・ケースだと思う。故障した投手がどんなフォームで投げているのか、それぞれを検証すべきだ。その投手の体の強さによっても、話は変わってくる」
とはいえ、今なおスプリットを投げると故障を招く、という先入観は根強いのかと聞けば、ウィルソンはうなずいた。
「残念ながらね」
結果として何が言えるのか。
その影響をヤンキースの投手、ショーン・ケリーがこう想像した。
「それを投げられる投手が、有利になるのではないか。今の打者はスプリットに目が慣れていない。田中はその恩恵を受けるはずだ」
長く捕手を務めてきた前出のマキャンも「今の時代、あの軌道は見なくなった」と話した後、続けた。
「相手は田中のあの球に適応するのに、時間がかかるだろう」
■いい真っすぐがあってこそ生きる
スプリットが消え、生き残ったスプリットは特殊な球となった。日本ではありふれた球種だが、メジャーでは投げる投手が限られる。
ただし、マキャンは4日の試合後、大切なことを指摘した。
「(スプリットが生きるのは)いい真っすぐがあってのことだ」
図らずも、別の場所で会見を行っていた田中も言っている。
「やっぱり基本はストレートあっての変化球。どれだけ真っすぐを意識させられるかだと思います」
デビュー戦では、苦しんだ序盤に比べ、中盤以降は真っすぐ系の球を増やした。それが威力を持ち始めたとき、田中のスプリットは本当の意味で「厄介な球」になったのかもしれない。