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「地球の歩き方」と歩く海外旅行自由化50年

観光目的でパスポートを自由に取得できるようになったのは1964年4月1日のこと。その1週間後に出発した「ハワイ7泊9日」の旅行費用は36万4000円、当時の国家公務員の大卒初任給の約19倍もする超高額商品だった。海外旅行の旅費を積み立てながら自由化を待ちわびた人も多く、この年の海外渡航者数は約12万7000人にのぼった。和服姿で飛行機に乗り込む女性も珍しくなかった。

海外パック旅行は自由化当時、超高額商品だった(1964年4月、羽田空港)

学生旅行者の文集が原点

飛行機の運賃は普通の若者にはあまりにも高額だった。船でソ連のナホトカ港まで行き、シベリア鉄道でヨーロッパを目指す若者が多かった。70年にジャンボジェット機が日本に就航すると、座席供給数も増え、航空券の価格も下がり始めた。卒業旅行で海外に出かける大学生が目立ちだしたのもこの頃だ。

ガイドブック「地球の歩き方」を手に海外を旅した人は少なくないだろう。79年に書店に並び、80年代は「若者のバイブル」と呼ばれた。日本人の海外旅行文化に与えた影響は小さくない。海外旅行自由化から、まる50年。地球の歩き方をガイドに若者の海外旅行の歴史を歩いてみよう――。

東京・渋谷駅から電車と徒歩で30分弱。東京都目黒区内の住宅街の一角に2013年春、シェアハウス「歩き方ハウス」が登場した。築50年の木造2階建てに若者6人が暮らす。オーナーの川田秀文氏は68歳。地球の歩き方に30年以上携わるベテラン旅行ライターだ。今でも年間100日程度は取材のため、海外を飛び回る。

昨秋、川田氏は「地球の歩き方 東アフリカ編」改訂作業のためケニアの首都ナイロビを訪れた。ナイロビを離れて数日後、取材を検討していたショッピングセンターがイスラム過激派に襲われ、多数の死者が出た。テロの2~3日前には、このショッピングセンターの近くで取材していたという。ナイロビについては従来から「用事もないのに出歩くことは絶対避けてほしい」と書いてきた。ソ連が崩壊した時も地球の歩き方の取材で現地にいた。「ガイドブックは生き物。自分の肌身で感じたことを紙面で伝えていく」

世界の大半の地域をカバーするガイドブック「地球の歩き方」(東京都千代田区の丸善 丸の内本店)

世界の大半の地域をカバーする地球の歩き方は、「ヨーロッパ編」と「アメリカ・カナダ・メキシコ編」から始まった。それぞれ初刷り1万部からのスタート。創刊した79年の海外渡航者数は400万人。2012年の2割程度だが、海外に出かける人は右肩上がりで増えていた。発行元のダイヤモンド・ビッグ社は、経済誌「週刊ダイヤモンド」を出版するダイヤモンド社が就職情報誌を発行する目的で1969年に設立した。学生の入社前海外研修ツアーは手掛けていたが、旅行は本業ではなかった。

地球の歩き方2代目編集長の西川敏晴氏がビッグ社に入ったのは71年。大学時代にヨーロッパやインドでバックパッカーの旅を経験し、現地で手にした節約旅行のバイブル「EUROPE ON $5 A DAY(ヨーロッパ1日5ドルの旅)」と呼ぶ英語のガイドブックのような本を作るのが夢だった。

海外観光旅行解禁当時は正装で飛行機に乗り込む人が多かった(1964年4月、羽田空港)

ビッグ社は73年、航空券とホテル数泊分、バス・鉄道のパスを組み合わせた「自由旅行」と呼ぶ旅行商品の販売を始めた。仕掛け人は地球の歩き方初代編集長となる安松清氏。自らプランを立て、安く、自分の足と工夫で海外を歩き回る旅行スタイルの提案だった。

西川氏は、社費で欧米を旅した経験を持つ安松氏のもとに異動。ほか2人と合わせ計4人が地球の歩き方創刊メンバーとなる。4人は自由旅行の説明会を頻繁に開き、「歩く旅」の面白さを大学生に説いた。自由旅行の参加者らの体験談は文集にまとめられ、説明会で配られた。76年から文集のタイトルは「地球の歩き方」。創刊に向けた素地ができ上がった。

「ヨーロッパを 1ヵ月以上の期間 1日3000円以内で ホテルなどの 予約なしで 鉄道を使って 旅する人のための 徹底ガイド」。風景をモチーフにしたカラフルな表紙が特徴の地球の歩き方だが、創刊時の表紙にはこんなコピーが大きく躍った。「自分で食料を買い込んで、ホテルや公園で、あるいは列車の中で食べることだ」といった節約旅行のノウハウを詰め込んだ。各地の情報は自由旅行の経験者からの情報に頼った。「駅から1分、買い物至便、美人の主人、泊まる?」といった旅の先輩らの生の声を実名で載せた。同世代の体験に刺激され、旅立った若者も多いはずだ。

「キミが意図しなくても、旅の始まりと共に新しい人間とのふれあいが始まる」といった、読者に「キミ」と呼びかける文体は男性向け週刊誌「平凡パンチ」をまねた。「創刊当初は読者の顔がよく見えた。まるでミニコミ誌」と西川氏は振り返る。編集部には読者から寄せられた投稿を入れた段ボールの山ができたという。

バブルと円高で脱「自由旅行」

ジャンボジェット機の登場で航空券運賃が少しずつ下がり始めた(1970年、羽田空港)=共同

1970年代。航空券の価格が下がり始めたといっても、日本人にとって海外旅行はまだ高根の花。「海外に行くのなら1日でも長く」「何でも見てやろう」という安松氏らの言葉は、若者の心に響いた。81年創刊の「インド・ネパール編」はこの地域を何年も放浪した男性が主筆を務めた。文化や歴史などに関する記述も充実。その土地を深く愛する人を発掘、執筆を任せるスタイルができあがった。

そして迎えたバブル期。円高も追い風に、85年には約500万人だった海外渡航者数は90年に1000万人を突破した。富裕層やパック旅行の参加者も地球の歩き方を手に取り始めた。

「汚いレストランはいらない」「ショッピング情報も載せて」といった声が、OLや中高年らから編集部に寄せられるようになる。地球の歩き方が提案する旅のスタイルは貧乏旅行のイメージが強く、敬遠する若者も増えてきた。地球の歩き方はバブル期、「脱・若者の自由旅行」へとかじを切った。

違和感を捨てきれないライターもいた。歩き方ハウスオーナーの川田氏もその一人だ。83年創刊の第6弾「中国自由旅行編」でデビューした川田氏は88年創刊の「香港・マカオ編」の編集を任されていた。買い物とグルメの街、香港だが「俺はショッピングのような軟弱なことは書きたくない」と抵抗。編集方針をめぐって西川氏と何度も言い争いになったという。数年で川田氏は香港・マカオ編の編集を外れた。

年末年始を海外で過ごす人たちで混雑する成田空港の出発ロビー(2013年12月28日)=共同

編集方針を見直した編集長の安松氏もまた、若者の旅のスタイルの変化に違和感を抱いていたようだ。89年、朝日新聞のインタビュー。「ぼくらの考えるような旅を若い人たちがしてくれたピークは3、4年前です。ここ2、3年は旅は楽にするに限るという安直派の学生が増えてきました」と、ぼやいた。

新たな読者の要望と従来のファンからの不満の声に板挟みになりながらも、地球の歩き方は新たな国や地域へとタイトルを広げていく。安松氏は「全体で儲かれば、赤字のタイトルがあってもいい」と発破をかけていたという。今では国や地域、都市のガイドブックだけで約120タイトル。北朝鮮やアフガニスタンといった「治安などの問題で取材できない場所を除き、大半の国や地域をカバーしている」と、石谷一成・ダイヤモンド・ビッグ社取締役編集担当は胸を張る。

情報の鮮度を保つため各編は原則、1~2年ごとに改訂する。読者投稿に頼った編集は80年代半ばから見直し。投稿は参考程度になり、コンテンツは取材で得た情報が中心になっていく。90年代の半ばには「キミ」と呼びかける文体も消えた。2002年ごろにはエリア別に背表紙のデザインをそろえるといったリニューアルも実施。「『地球の歩き方』の作り方」と呼ぶマニュアルも作った。

今でも年間100日は取材で海外を飛び回る川田氏

「旅人が作るというコンセプトは今も昔も同じだ」と石谷取締役は話す。取材はその国や地域を得意とする編集プロダクションに任せている。「初期の地球の歩き方の精神を引き継いでいる」とよくいわれる川田氏は、思い入れが強い東アフリカ編で、国境の町や村も紹介している。「ビッグ社の編集部からは『どれだけの日本人に必要な情報なんだ』と、よく嫌みを言われる」と苦笑いする。川田氏は東アフリカ編のほか、ロシア編や台湾編など計9シリーズを手掛ける。旅先ではリュックサックを担ぎ、格安のゲストハウスに泊まる。根っからのバックパッカーのスタイル。「体力的にはきついけど、このスタイルで押し通す」

広がる「歩かない」旅

今年2月4日。都心で雪が舞うなか、渋谷公会堂(東京・渋谷)は旅行好きの若者ら約2000人の熱気で包まれた。TABIPPO(たびっぽ)と呼ぶ団体が企画したイベントだ。海外旅行の体験をまとめた「世界をひとりで歩いてみた 女30にして旅に目覚める」がベストセラーになったタレントの眞鍋かをり氏も登場、イベントを盛り上げた。TABIPPO代表の清水直哉氏は27歳。大学時代、3カ月間の世界一周の旅に出たのをきっかけに「旅への一歩を踏み出そう」と同級生らに訴え始めた。

若者の海外旅行離れは進んでいるのか。20代の出国のピークは1996年の463万人。2008年には43.4%減の262万人まで落ち込んだ。この期間の20代人口の減少率は22.9%。12年の20代出国者数は303万人まで回復しているが、96年を基準にすると、出国者の減少率が人口の減少率を上回る傾向に変わりはない。

「スケルトンツアー」という旅行業界用語をご存じだろうか。スケルトンは英語で「骨格」の意味。簡単にいえば「航空券とホテルのセット販売」だ。日程が3泊前後の短期に固定されていることや、同じ旅程を個人で手配するより圧倒的に安価といった点が、安松氏や西川氏らが仕掛けた自由旅行と大きく違う。90年代に大きく市場を伸ばした。

関西大学の山口誠教授は「ニッポンの海外旅行――若者と観光メディアの50年史」のなかで、スケルトンツアーについて、「日本の海外旅行の大衆化に大きな貢献をした」としつつも、「限られた時間にショッピングとグルメを中心とする予定を詰め込む」旅のスタイルを定着させたと分析した。目的地は香港、ソウルといったアジアの都市と、グアム、プーケットなどビーチリゾートに集中している。旅行会社に送客の手数料を支払うホテルや免税店などが多いためだ。

限られた時間を有効に使うには、綿密な計画が欠かせない。地球の歩き方にも「失敗しないレストランやお店だけ教えて」といった要望は多い。旅につきもののハプニングは必要なし。歴史や文化への関心も抜け落ちがちだ。スケルトンツアーの成長とともに、「るるぶ」(JTBパブリッシング)のようなグルメとショッピングカタログのようなガイドブックを手に旅する若者が増えた。「どこへ行っても同じような『買い・食い』体験をする、定番化した『歩かない』個人旅行は、どこでも同じことを繰り返す海外旅行であり、1~2回行けば飽きてしまう」。山口教授は同書で若者の海外離れの理由を、こう読み解いた。

若者の旅はどこへ…

昨秋、現地で知り合った女子大生3人も川田の取材を手伝った(タンザニア)

アジアを中心に活躍する旅行ジャーナリスト、下川裕治氏は日本語が通じる店や施設だけを集めたバンコクのガイドブックを製作中だ。海外駐在を打診すると「海外での生活はいろいろと面倒なので、会社辞めます」と言い出す若手社員が多いと嘆く企業の声がヒントになった。宿に閉じこもり日本にいる友達とLINEでチャットを楽しむ個人旅行者の姿はもはや珍しくない。海外にいても異文化に関心を示さず日本を生きる若者たちの存在は1990年代から指摘されている。「インターネットの普及が、若者の旅をさらに内向きにしている」と下川氏はいう。

「海外旅行に出かけるなら自分らしいテーマがほしい」。TABIPPOの清水氏は最近、大学生らからこうした相談を受けることが増えた。カンボジアの孤児院を訪ねるといった旅行会社のボランティアツアーも売れている。スケルトンツアーを利用する若者は依然として多いが、清水氏は「若者は定番化した旅に飽き始めている」とみる。

ここで再び、歩き方ハウス。住民の女子大生の一人は昨秋、川田氏に誘われて東アフリカ編の取材チームに加わった。初めての海外旅行は予定通りに進まないハプニングの連続。「現地の人たちとの交流、見たことのない食べ物……。海外旅行は楽しい」

今年は海外旅行の自由化50周年。世界はますます狭くなるばかりだ。「バックパッカーなんて時代遅れ」と自嘲する川田氏。いろいろな旅の在り方を認めつつ、「若い人たちには、自分の足で現地を歩きまわる旅をしてほしい」。そうすることで、旅した土地のことばかりでなく、日本の素晴らしさや問題点もみえてくるのだから。

(映像報道部 中野圭介)

日本人と海外旅行の50年
主な出来事
1964海外渡航が自由化
65「ジャルパック」登場
66海外渡航の年間回数制限を撤廃
67日本航空が世界一周路線を開設
68JTBのパック旅行「ルック」登場
69ダイヤモンド・ビッグ社設立(地球の歩き方発行元)
70ジャンボジェット機が羽田空港に就航
72年間海外渡航者数100万人突破
日中国交正常化
73ドル変動相場制に移行
ワタベウェディングがハワイに店舗
75サイゴン陥落でベトナム戦争終結
76非売品「地球の歩き方」創刊
78成田空港が開港
79市販品「地球の歩き方」創刊
80HISの前身、インターナショナルツアーズ開業
84旅行情報誌「AB-ROAD」創刊(2006年に休刊)
沢木耕太郎氏が産経新聞で「深夜特急」連載開始
85プラザ合意(円高時代の幕開け)
86海外渡航者が500万人突破
全日本空輸、グアム路線で国際定期便に参入
87日本、外貨準備高が世界一に
89天安門事件
ベルリンの壁崩壊
日経平均3万8915円の最高値
90海外渡航者数1000万人突破
TBS「兼高かおる 世界の旅」放映終了
91ソ連が崩壊
湾岸戦争が始まる
92成田空港の第2旅客ターミナルの供用開始
94関西国際空港が開港
円、初めて対ドルで100円割る
95海外渡航者数が1500万人突破
96「猿岩石」ブーム
97英国、香港を中国に返還
2000ハッピーマンデー制度始まる
01米同時多発テロ発生
02欧州単一通貨ユーロの紙幣・硬貨の流通始まる
03SARS(重症急性呼吸器症候群)広がる
中国への短期渡航、ビザ不要に
「冬のソナタ」ブームで韓国旅行が人気に
05中部国際空港が開港
HIS、海外旅行取扱人数で首位に(05年度実績)
07LCCの豪ジェットスターがシドニー~関空線
燃油サーチャージ高騰
08観光庁が発足
10羽田空港に国際定期便が約32年ぶり就航
LCCの中国・春秋航空が上海-茨城に就航
羽田空港の新国際線ターミナルが開業
11円、1ドル75円台、超円高の時代に
12LCCのピーチ・アビエーションが関空~ソウルで国際線に参入
エアアジア・ジャパン(現バニラ・エア)が成田~ソウルで国際線参入
13反日ムード高まり中韓への旅行者が急減
14海外旅行自由化50周年

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