日本ハム・栗山監督、若手抜てきの冒険できるか
スポーツライター 浜田昭八

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2014/3/9 7:00
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この2年間に、日本ハム・栗山英樹監督(52)は「天国と地獄」をたっぷり味わった。コーチ経験なしに2012年、22年ぶりに球界に復帰して監督に就任。1年目に見事、パ・リーグ優勝を遂げた。だが、13年は一転して最下位に沈んだ。

前年の賛辞は罵声に変わった。采配に疑問を投げかける声も出た。戦国パ・リーグで、順位の大きな変動はよくある。それにしても、昨シーズンの日本ハムの急降下は信じられないほどだった。

投手陣崩壊、4番中田の離脱も痛く

投手陣崩壊が、転落の最大原因だった。12年の最優秀選手(MVP)、吉川光夫は7勝15敗と負け越したし、2桁勝利の投手は皆無。優勝のためフル回転した投手の疲労が残り、チーム防御率は12年のリーグ2位の2.89から5位の3.74へ落ちた。

攻撃陣では4番に定着した中田翔の故障、戦列離脱が痛かった。8月21日の楽天戦で左手小指に死球を受けて骨折した。新加入のアブレイユが31ホーマー、95打点の活躍を見せなければ悲惨な状態になっていた。

「投打二刀流」ルーキー大谷翔平の扱いも、栗山にとって重荷だった。大リーグ志向の大谷を強行入団させただけに、当人が望む二刀流を続けなければならない。将来的には「20勝、3割、30ホーマー」も期待できるとしながらも、栗山の本心はどうだったのか。

言葉の端々から推察すると、投手大谷よりも打者大谷の力量を高く評価していると見えた。投手で13登板、3勝、打者で2割3分8厘、3ホーマー、20打点。高卒ルーキーとしては合格だったかもしれない。

負け試合後、決まって「オレの責任」

しかし、打者大谷に徹したらどうだったか。1986年の西武・清原和博(3割4厘、31ホーマー、78打点)に匹敵するデビューを飾ったに違いない。投手専念なら2桁勝利に近い成績を残す可能性ものぞかせたので、栗山は悩んだ。

あれやこれやで、ストレスはたまった。選手を名指しで責めないという信念を抱いているのか。負け試合のあとは、決まって「オレの責任」「打線がつながらないのは監督の責任」「みんなの責任だし、ひいてはオレの責任」と、監督の責任を強調した。

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