冬季五輪の団体戦にとりつく魔物

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2014/1/28 7:00
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夏季大会に比べると地味な冬季五輪を盛り上げようということなのか、国際オリンピック委員会(IOC)は団体系の種目を増やしてきた。ノルディック複合やジャンプの団体戦も五輪の歴史からすると新しい種目だし、ソチ大会では新たにフィギュアスケートの団体戦が加わる。国を背負った浅田真央らの演技が楽しみだが、そこには「国別対抗」ならではの魔物も潜んでいる。

ドラマ生みやすい"装置"の団体戦

フィギュアスケートの団体戦で、選手は個人戦とは異質のプレッシャーにどう立ち向かうのか

フィギュアスケートの団体戦で、選手は個人戦とは異質のプレッシャーにどう立ち向かうのか

冬季五輪ではスピードスケートのパシュートも含め、伝統の競技にチームで戦う新種目が設けられてきた。

陸上短距離のウサイン・ボルト(ジャマイカ)らの存在をみてもわかるように、個人競技の注目度はスターがいるかどうかでだいぶ変わる。これに対し、団体戦は世界的に知名度の高い選手に頼らなくてもドラマを生みやすい"装置"といえるだろう。

リレハンメル大会ジャンプ団体戦の原田雅彦の悲運、そしてその原田が笑顔をみせた長野での金メダル。個人では背負いきれないものを背負いながら飛ぶ選手たちの明暗がそのまま、残酷すぎるほどの悲劇にもなれば、英雄の物語にもなった。記者として取材した身としても、みたままを書けばそれがドラマになるという、無責任といわれるかもしれないが、都合のいい題材だった。

国を背負っていた「日の丸飛行隊」

しかし、国を背負う選手の胸中はなかなかせつない。

1972年の札幌五輪当時、団体戦はなかったが、選手はそのニックネームも「日の丸飛行隊」といわれた通り、明らかに国を背負い、ジャパンという団体として戦っていた。70メートル級で金、銀、銅の笠谷幸生、金野昭次、青地清二はそれぞれニッカ、北海道拓殖銀行、雪印という企業チームに所属していた。だが五輪では選手も見る側もそれを意識する人はほとんどいなかった。アマチュア規程が厳しい時代でもあり、彼らのジャンプスーツについていたマークは日の丸だけだった。

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