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冬季五輪の団体戦にとりつく魔物

夏季大会に比べると地味な冬季五輪を盛り上げようということなのか、国際オリンピック委員会(IOC)は団体系の種目を増やしてきた。ノルディック複合やジャンプの団体戦も五輪の歴史からすると新しい種目だし、ソチ大会では新たにフィギュアスケートの団体戦が加わる。国を背負った浅田真央らの演技が楽しみだが、そこには「国別対抗」ならではの魔物も潜んでいる。

ドラマ生みやすい"装置"の団体戦

フィギュアスケートの団体戦で、選手は個人戦とは異質のプレッシャーにどう立ち向かうのか

冬季五輪ではスピードスケートのパシュートも含め、伝統の競技にチームで戦う新種目が設けられてきた。

陸上短距離のウサイン・ボルト(ジャマイカ)らの存在をみてもわかるように、個人競技の注目度はスターがいるかどうかでだいぶ変わる。これに対し、団体戦は世界的に知名度の高い選手に頼らなくてもドラマを生みやすい"装置"といえるだろう。

リレハンメル大会ジャンプ団体戦の原田雅彦の悲運、そしてその原田が笑顔をみせた長野での金メダル。個人では背負いきれないものを背負いながら飛ぶ選手たちの明暗がそのまま、残酷すぎるほどの悲劇にもなれば、英雄の物語にもなった。記者として取材した身としても、みたままを書けばそれがドラマになるという、無責任といわれるかもしれないが、都合のいい題材だった。

国を背負っていた「日の丸飛行隊」

しかし、国を背負う選手の胸中はなかなかせつない。

1972年の札幌五輪当時、団体戦はなかったが、選手はそのニックネームも「日の丸飛行隊」といわれた通り、明らかに国を背負い、ジャパンという団体として戦っていた。70メートル級で金、銀、銅の笠谷幸生、金野昭次、青地清二はそれぞれニッカ、北海道拓殖銀行、雪印という企業チームに所属していた。だが五輪では選手も見る側もそれを意識する人はほとんどいなかった。アマチュア規程が厳しい時代でもあり、彼らのジャンプスーツについていたマークは日の丸だけだった。

笠谷さんは表彰台独占について話していたものだ。「どこの会社の誰が勝ったということではなく、日本全体としてだれでもメダルをとれるレベルに到達し、環境を整えてきたことが素晴らしいのです」

まず国ありきだった。その重圧が並大抵でなかったのは「あの日のことはあまり覚えていないなあ。やけに天気がよかったという記憶があるくらい」という話で、少しばかり想像がついた。

「国も個人も大事」選手の意識変わる

日の丸についての意識を長野で活躍した世代に尋ねたことがある。もちろん国を背負って戦う意識は強いが、それは半分で「あとの半分は自分のため。ジャンプの助走に入るときは自分が一番遠くに飛ぶことしか考えない」という答えがあった。

札幌から長野にいたる26年の間に、選手の意識は変わっていたのだろう。国も大事、個人も大事という心のバランスはそれぞれ最高のパフォーマンスを発揮するためにも、ちょうどいいあんばいのようにも思えた。そんな気持ちでいても、リレハンメルの原田のように普通にやれば何でもない距離すら飛べなくなることがある。団体戦にはそんな魔物がとりついている。

フィギュアの団体戦は2009年から国際スケート連盟の公式戦として採用されているが、日ごろ自己を表現することに専心している選手たちとしては異質のプレッシャーにどう立ち向かうか、気持ちのコントロールが難しいところだろう。

その重圧は野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で慣れない日の丸を身につけた選手が、一様に口にするのと同種のものかもしれない。

IOCは五輪の肥大化に頭を悩ませてきた。野球やソフトボールが除外されたのもスリム化のあおりだ。その一方で、冬季競技では団体系の種目が追加されてきた。

IOCは全体の参加人数を増やさず、そこにいるメンバーで面白い"出し物"ができるなら、新種目の採用もやぶさかではない、との考えのようだ。

選手を国・地域別に組分けしたらおもしろそう、という発想は誰もが思いつくものらしく、メジャーのキャンプ・オープン戦の期間に、選手を国別に分けて戦わせたら練習試合も立派なイベントに変えられる、という野球のWBCにも通じるものがある。

憲章には「五輪は国家間の競争でない」

ジャンプの団体戦などはメダルの有望種目なので、日本として実施されるのは大いに有り難いのだが、個人の得点を単純に足していくところに団体競技ならではの妙味があるかとなるとどうだろう。一組のスキー板に2人のジャンパーが乗るという架空のゲームが作られたことがあった。荒唐無稽もいいところだが、あれならチーム戦の実があるかもしれない。

五輪憲章には「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書かれている。しかし、現実には国・地域対抗色の濃いプログラムが増えている。そもそも五輪の招致活動自体が国家間の競争になっている。五輪の開催主体は都市であって、国や地域ではない。

4年に1度のお祭り、堅いこと抜きで盛り上がればそれでいいのだ、とは思いつつ……。

(電子版スポーツ編集長 篠山正幸)

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