「香港」語らぬ李首相 北京ダイアリー(2020年5月)
中国総局長 高橋哲史

中国・台湾
2020/7/13 18:15
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■「香港」語らぬ李首相(5月29日)

新型コロナ禍で異例ずくめだった全国人民代表大会(全人代)が28日、人民大会堂で閉幕した。世界が最も注目したのはもちろん、香港での反体制的な活動を禁じる「香港国家安全法」を定める方針の決定だ。

いつもの年であれば、私はたいてい全人代の閉幕式を人民大会堂の中で取材する。今年はそれができなかった。新型コロナ対策で、ごく少数の記者しか人民大会堂に入るのを許されなかったからだ。

仕方なく、香港国家安全法にかかわる採決のようすをテレビで見ようと思ったが、中継すらなかった。採決の際に習近平(シー・ジンピン)国家主席はどんな表情だったのか、だれと言葉を交わしたのか。香港の「一国二制度」が骨抜きになった歴史的な瞬間は、わからないことが多い。

閉幕式の後には毎年、李克強(リー・クォーチャン)首相が記者会見を開く。人民大会堂3階の大広間に数百人の記者が集まり、李首相が2時間以上かけて質問に答える。中国の最高指導部メンバーの声をじかに聞けるほとんど唯一の貴重な機会だ。昨年は私も出席し、李氏に質問する機会があった。

今年はそれも、テレビを通じた会見となった。人民大会堂にいる李氏に、5キロほど離れたメディアセンターに集まった記者が質問する。コロナ禍で仕方がないとはいえ、やはり李氏の姿を直接目にできないのは物足りない。

私は日経のオフィスで会見のテレビ中継を見た。いちばん聞きたかったのは、李氏が香港国家安全法について何を語るかだ。

6番目に質問した香港フェニックステレビの記者が、国家安全法にからんで「一国二制度をやめるのか」と尋ねた。

「一国二制度は基本的な国策だ。香港人による香港の統治も高度な自治も一貫している」「国家安全法は一国二制度を確保して、香港の長期的な繁栄を守るものだ」。

李氏の答えはあっけないほど短かった。どこか紙を読み上げるような話しぶりで、いつもの李氏らしさがない。行政の長でありながら「これは自分の担当ではない」と言いたげな雰囲気すら感じた。

中国共産党の最高指導部で、香港をどう扱うかはそれだけ敏感な問題になっているのだろう。香港について多くを語らなかった李氏が、テレビ画面の向こうから発した唯一のメッセージだ。

■はためかない香港の旗(5月27日)

北京で暮らす中国人の多くは、全国人民代表大会(全人代)で審議中の「香港国家安全法」を支持しているように感じる。決して党から命じられているからではない。昨年6月以降に香港で頻発した「反中」を掲げた過激な抗議活動をみて、香港人に対する感情的な反発が強まっているからだ。

「米軍よ、香港の人民を助けに来てください!」。そう書かれたポスターを掲げた香港の若者たちを写した写真が26日、共産党系の環球時報の電子版に載った。香港での反体制運動を禁じる国家安全法への抗議活動だ。

中国のSNS(交流サイト)上には、たちまち非難の書き込みがあふれた。「こいつらは売国奴だ。早く国家安全法をつくって香港の繁栄と安定を取り戻せ」「香港人の祖先がだれだか忘れたのか。恥を知れ」。中国と激しく対立する米国に塩を送るような行動に、本土の人たちは怒りをあらわにしている。

北京の若者と話していると「香港の連中は本土の人間を見下している」というぼやきをよく聞く。1997年の返還時、香港は中国の国内総生産(GDP)の2割近くを稼いでいた。しかし、いまは3%に満たない。経済規模は北京や上海、深圳がすでに上回っているのに、香港人は本土の人間に対してどうしてあんなに偉そうにふるまうのか。本土人の不満の根っこには、そんな思いがある。

2017年7月、習近平(シー・ジンピン)国家主席も出席した香港返還20周年の記念式典を現地で取材した。香港特別行政区の旗が中国国旗より常にかなり低い位置に掲げられたのが印象に残っている。

1840年のアヘン戦争で奪われた香港を取り戻し、米国の背中がみえるほどの豊かさを手にした中国人の自尊心をくすぐる演出だったと思う。いま振り返れば、習指導部が「一国二制度」を骨抜きにする動きはあのころから本格化した。

先週末、思い立って中南海の北側、北海公園に近い香港政府の北京事務所に行ってみた。確かめたいことがあったからだ。中国国旗と香港の旗がどう掲げられているのか。いままで気づかなかったが、香港の旗はやはり中国国旗よりわずかに低い位置にあった。

2つの旗がはためいているようすをビデオに収めたいと思い、しばらく待った。しかし、穏やかな晴天で、いっこうに風は吹かない。すると、中国の国旗だけが突然、はためき始めた。もちろん偶然だ。しかし、しぼんだままの香港旗は、中国に飲み込まれようとしている「東洋の真珠」の未来を暗示しているような気がした。

■鄧小平氏が愛した料理店(5月25日)

コロナ危機から脱しつつある中国は、国際社会を敵に回すつもりなのだろうか。22日に開幕した全国人民代表大会(全人代)で、いきなり香港の反体制活動を禁じる「香港国家安全法」の制定を提起した。「一国二制度」はもはや有名無実になったと言わざるを得ない。

中国を改革開放に導き、「一国二制度」を考え出した鄧小平氏はどう思っているだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎったとき、ある料理店の記憶がよみがえった。四川省出身の鄧氏が足しげく通った四川飯店だ。

四川飯店は1959年の国慶節(10月1日)に、中国共産党の指導者らが執務室を構える中南海に近い西単の一角に開店した。

命名したのは当時の周恩来首相だ。新中国の建国に貢献した革命幹部には鄧氏だけでなく、四川省の出身者が多かった。周氏は彼らにふるさとの味を楽しませてあげようと、四川飯店の設置を指示したのだ。

私は2009年に初めてこの店を訪れた。すでに西単から北に5キロほどの恭王府に移転して、10年以上がたっていた。本場の四川料理を食べたあと、舌がしびれるのを我慢しながら、店内の鄧氏にまつわる写真を見て回ったのを覚えている。

もう一度訪ねてみるために場所を確認したところ、店は10年前に恭王府からさらに北西の新街口に移っていた。23日にさっそく行ってみると、中国の伝統建築を模した店の雰囲気は以前と変わらない。入り口を入ってすぐのところには、鄧氏の大きな写真が飾られていた。

一枚の写真に目を奪われた。1982年に鄧氏が党の幹部を引き連れて店を訪れた際、店員らといっしょに撮ったものだ。鄧氏の隣には意外な人物が写っていた。習近平(シー・ジンピン)国家主席の実父、習仲勲・元副首相である。

習仲勲氏は87年に失脚した胡耀邦・元総書記をかばい、鄧氏と対立したことで知られる。それ以前は良好な関係だったのだろうか。ふたりが肩を寄せ合うように一枚の写真に収まっているのは不思議な感じがした。

習近平氏が最高指導者に上り詰めてから、鄧氏の影は明らかに薄くなっている。実父を批判した鄧氏を、習氏は快く思っていないのではないか。そう勘繰る人は少なくない。

真相はどうあれ、「一国二制度」という鄧氏の遺産がまた一つ、姿を消そうとしているのだけは確かである。

■「両会」仕切る2人の議長(5月20日)

新型コロナウイルスの影響で延期になっていた中国の二つの議会「両会」が、2カ月半遅れでようやく開幕する。国会にあたる全国人民代表大会(全人代)と、国政の助言機関である全国政治協商会議(政協)だ。

19日午後、会場となる人民大会堂の周辺はすでにものものしい空気に包まれていた。ふだんより多くの武装警察が配備され、車の中からスマホのカメラを外に向けるだけで緊張する。撮影禁止の場所ではないが、重装備の武装警察官からじろっとにらまれたときは思わず身を潜めてしまった。

政協は21日、全人代は翌22日に開幕する。それぞれ18日に準備会合を終えた。主宰したのは全人代が栗戦書(リー・ジャンシュー)常務委員長、政協は汪洋(ワン・ヤン)主席だ。国営中央テレビの映像では、栗氏がマスクを外し、汪氏は着けていたのが印象的だった。

二つの議会を比べると、歴史は1949年にできた政協の方が古い。しかし、格は5年後に発足した全人代が上だ。それは共産党最高指導部の序列をみてもわかる。全人代トップの栗氏が習近平(シー・ジンピン)国家主席、李克強(リー・クォーチャン)首相に次ぐ3位なのに対し、政協トップの汪氏は4位と一段低い。

栗氏は習氏の側近中の側近として知られる。1980年代に栗氏が河北省無極県のトップだったとき、習氏は隣接する正定県のトップに就いた。2人は連絡を取り合うようになり、以来40年近い親密な関係が続く。

一方、汪氏は十年ほどしか習氏のそばで仕事をしていない。それでも、貧しい家庭に生まれ、中学を卒業したあとに食品工場で働いた苦労人の汪氏に、習氏は厚い信頼を寄せているとされる。

昨年の全人代の取材で、忘れられない光景がある。李克強首相が2時間近くにわたって政府活動報告を読み上げる間、習氏はずっと仏頂面だった。笑顔をみせたのは、隣に座る汪氏と言葉を交わしたときだけだ。

昨年までの「両会」は、外国人の記者でも登録すれば人民大会堂の中に入れ、かなり自由に取材できた。最高指導部内の人間関係を垣間見る貴重な機会だった。だが、コロナ禍の今年は人民大会堂に入るのすら難しそうだ。会期が大幅に短くなり、ほとんどがテレビ映像やインターネットを通じた取材になる。

異例ずくめの「両会」がまもなく始まる。

■外国人が入れない博物館(5月18日)

「コロナ後」の北京では、好むと好まざるにかかわらず、自分が外国人であると意識せざるを得ない場面が増える。先週末、北京西郊の香山にある革命記念館を訪れたときもそうだった。

清の時代に皇帝の別荘だった香山は1949年3月、北京に進駐した中国共産党が最初に司令部を置いた場所だ。毛沢東ら党の指導者たちはこの地にかりそめの居を構え、半年後に迫った中華人民共和国の建国に向けて英気を養った。

習近平(シー・ジンピン)国家主席の肝煎りで、ここに革命記念館がオープンしたのは昨年9月だ。新型コロナウイルスの影響で今年の1月下旬から閉館していたが、5月上旬に再開したと聞き、さっそく足を運んだ。

記念館に続く道の前には警備員が立っていた。パスポートと、過去14日間に感染が深刻な地域に行っていないことを示す「北京健康宝(Health Kit)」を見せると、すぐに通してくれた。ここまでは北京のほかの場所と変わらない。ところが、いざ記念館に入ろうと入館口でパスポートを提示したとき、異変は起きた。

「外国人は入場できません」。若い女性の職員がかなり戸惑ったようすで私に言った。私が「去年10月に来たときは入れたのになぜ?」と尋ねると「いまは世界で感染がまだ続いており、外国人は入場できなくなりました」との答えが返ってきた。

国外から中国に来たばかりの外国人を入れないのならわかる。しかし、私は北京に住んでおり、新型コロナが発生して以降、北京市内とその周辺から一歩も外に出ていない。そう伝えても、職員は「規則なので。ごめんなさい」の一点張り。あまり困らせてもかわいそうだと思い、中に入るのをあきらめて引き返した。

外国人の入場を断っている博物館は、ここだけではないようだ。天安門広場の東側にある国家博物館に電話で問い合わせると、やはり「外国人はしばらく入館できない」と言われた。

中国政府は依然、外国人の入国を厳しく制限しており、2つの博物館の入場規制はそれに沿っただけの措置かもしれない。とはいえ、新型コロナへの対応をめぐって、国際社会が中国への批判を強めているさなかだ。外国人に対する差別的な扱いは、中国が国際社会と距離を置き始めた表れと取られてもおかしくない。

くしくも、きょう5月18日は「国際博物館の日」だ。外の世界に扉を開いてきた中国は、博物館を起点に内に閉じこもろうとしているのだろうか。そうでないことを願いたい。

■習氏が電話しない相手(5月15日)

習近平(シー・ジンピン)国家主席が各国の首脳に電話攻勢をかけている。13日の夜にはスリランカのラジャパクサ大統領、そして韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に相次いで電話した。

習主席は韓国の文大統領らに電話したが・・・=AP

習主席は韓国の文大統領らに電話したが・・・=AP

「苦しい努力をへて、中韓両国は新型コロナウイルスを有効に抑え込んだ」。中国国営の新華社は、習氏が文氏との電話で韓国への連帯を表明したと伝えた。文氏も「習主席の堅固な指導の下、中国は新型コロナとの闘いで顕著な成果を収めており、私は高く評価している」と応じた。感染の抑制にめどを付けた中韓両国が、急速に距離を縮めている。

韓国側の説明によると、両首脳は電話協議で習氏の年内訪韓をめざす方針でも一致した。新型コロナの感染が広がってから、韓国は習氏が外遊する初めての国になるかもしれない。

中国外務省のホームページをのぞくと、習氏が電話したり、電報を送ったりした相手の一覧を見られる。感染の拡大で湖北省の武漢を封鎖した1月下旬以降、習氏が各国の首脳と電話や電報でやり取りした回数は70回近くにのぼる。韓国の文氏と電話したのは、2月20日に続き2回目だ。

4月以降は中国の支援に頼る発展途上国や新興国の首脳との電話が増えている。ただ、新型コロナへの対応をめぐって激しく対立する米国や欧州主要国の首脳とも、3月まではひんぱんに連絡を取り合っていた。トランプ米大統領、メルケル独首相、マクロン仏大統領、ジョンソン英首相とはそれぞれ2回ずつ電話で話している。

そんななか、まだ電話をかけていない主要国の首脳がいる。日本の安倍晋三首相だ。

中国の孔鉉佑駐日大使は3月末の記者会見で、習氏と安倍氏の電話協議が「遠くない将来に実現するだろう」と述べていた。それなのに、2カ月近くたっても実現していない。何かあったのかと勘繰りたくもなる。

4月上旬に予定していた習氏の訪日が延期になり、改善の上り坂にあった日中関係が立ち往生している感は否めない。5月8日には中国の公船が尖閣諸島に近い日本の領海に侵入し、日本の漁船を追尾した。「日本が新たなもめ事を起こさないように求める」。中国外務省の趙立堅副報道局長は日本の抗議に対し、平然と言ってのけた。

日中関係の潮目が変わってきたような気がする。

■習氏が訪れた世界遺産(5月13日)

ずいぶんリラックスした表情だな、と思った。11日夜、山西省の大同にある世界遺産の雲崗石窟寺院を訪れた習近平(シー・ジンピン)国家主席だ。

雲崗石窟寺院を訪れた習近平国家主席=中国国営中央テレビより

雲崗石窟寺院を訪れた習近平国家主席=中国国営中央テレビより

習氏は11~12日に山西省を視察した。1月半ばに新型コロナウイルスの感染拡大で中国全土が非常事態に入ってから、習氏の地方視察は湖北省の武漢市、浙江省、陝西省に続いて4カ所目だ。22日に開幕する全国人民代表大会(全人代)を前に、おそらく最後の地方視察となるだろう。

雲崗石窟寺院は4~6世紀の南北朝時代に建立され、中国史上で最も優れた石造の仏教芸術とされる。

国営の中央テレビ(CCTV)によると、習氏は自ら洞窟の中に入り、彫像や壁画を詳しく見て回った。「歴史的な文化遺産は再生できず、代替のきかない貴重な資源だから、常に保護を第一に考えなければならない」。習氏はこう強調したうえで「旅行業の発展は保護が前提であり、商業化が行きすぎてはいけない」と続けた。

すると、どこからか突然、「旅行客」が現れた。習氏に駆けより、感極まったようすで「総書記、こんにちは!」と声をかけるのはいつもの光景だ。ただ、新型コロナウイルスの脅威が完全に消え去ったわけでない非常時だけに、演出が行きすぎているような気がしないでもない。

「観光」と批判されるリスクを冒してまで習氏が雲崗に足を運んだのは、新型コロナを抑え込んだという自信がなせるわざか。トランプ米大統領が中国たたきを強めるなか、米国への不満をひと言も口にせず、悠然と構える習氏の姿は国民に偉大な大国の指導者を印象づける効果があったかもしれない。

習氏の山西省視察を伝えた13日の共産党機関紙、人民日報は1面トップの見出しに「新時代の中国の特色ある社会主義」を掲げた。「習近平思想」の中核をなすスローガンだ。コロナ後を見据え、習氏を核心とする共産党の一党支配を堅持するための政治キャンペーンが、静かに進んでいるように思える。

■習氏の未来占う巨大都市(5月11日)

北京市外への移動を厳しく制限する措置が4月末に緩められたのを機に、先週末、お隣の河北省にある雄安新区に行った。習近平(シー・ジンピン)国家主席の肝煎りで、2017年4月から建設が始まった新都市だ。

北京市内から車で高速道路を南西に走っておよそ2時間。視界に入ってきた雄安新区は前回2年前に訪れたときと様変わりしていた。

東京都に匹敵する2000平方キロメートルの土地に、約20年で2兆元(約32兆円)の巨費を投じて人口200万人の新都市を築く壮大な計画だ。かつて一面の畑だった場所には、大型の建設機械が立ち並んでいた。中心部の区画整備があらかた終わり、ビル群の建設がこれから始まるのだろう。作業員の姿もちらほら見え、新型コロナウイルスの影響で止まっていた工事が再び動き出しているようすがうかがえた。

圧巻だったのは、新設する雄安駅の建設現場だ。空港のターミナルビルをほうふつさせる巨大な駅舎は、骨格がほぼ組み上がっていた。完成すれば、高速鉄道が発着する交通の一大拠点になるはずだ。いまは何もない場所にこれだけ大きな駅をつくるのは、この計画にかける習氏の強い意気込みを表しているのだろう。

スマートシティーのモデル地区「雄安市民服務センター」は、新型コロナ対策で一般の人の入場を中止していた。2年前に来たときは、たくさんの見学者でごった返していた場所だ。

周りから中のようすを見ることはできた。中国のインターネット検索大手、百度(バイドゥ)はここで「アポロ計画」と銘打って自動運転の走行実験をしている。この日も運転手の乗っていない小型バスが地区内を走り回っているのが見えた。アポロ計画にはトヨタやホンダのほか、独フォルクスワーゲン(VW)、米インテルなど世界の名だたる企業が参加している。

国営の新華社によると、中国人民銀行(中央銀行)はこの場所でデジタル人民元の実証実験を始めた。雄安新区の完成は2030年代半ば。そのとき、ハイテク強国の象徴として建設が進む未来都市はどんな姿を見せているのだろうか。「千年の大計」と称される国家プロジェクトの運命は、習氏と中国共産党の行く末とも重なる。

■天安門広場の肖像画(5月8日)

天安門広場に人影が戻ってきた。もちろん、「コロナ前」のように観光客でごった返しているわけではない。しかし、武装警察官の姿しかなかった4月までとは明らかに違う。政治都市・北京を象徴する天安門広場にも、ようやく日常が戻りつつある。

7日午後に行くと、残念ながら私のお目当てはもう撤去されていた。「中国革命の父」と呼ばれる孫文の巨大な肖像画だ。毎年5月1日の労働節(メーデー)と10月1日の国慶節(建国記念日)に合わせて、広場の中央にある人民英雄記念碑の前に飾られる。天安門に常に掲げられている建国の父、毛沢東の肖像画と孫文のそれとが向き合う年に2回しか見られない光景だ。

メーデーの天安門広場に孫文の肖像画が登場するようになったのは、それほど昔ではない。1988年まではマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの4人だった。

当時、改革開放が始まってすでに10年がたっていた。にもかかわらず、「社会主義」の象徴であるマルクスら4人の肖像画を掲げるのはおかしいという判断があったのだろうか。共産党中央は89年4月に「労働節と国慶節の期間中、天安門広場に掲げるのは中国民主革命の先駆者である孫文先生の肖像だけにする」と決定した。

学生らの民主化運動を軍が鎮圧した6月4日の天安門事件の直前だ。学生らに理解を示して2年前に失脚していた胡耀邦・元総書記が4月半ばに亡くなり、天安門広場では胡氏の追悼活動が巨大な民主化運動に転じようとしていた。そのさなかのメーデーに、清朝を倒した1911年の辛亥革命を指導した孫文の肖像画を広場に飾る決定は、民主化運動と何らかの関係があったのだろうか。それを示す資料はまだない。

天安門広場は常にときの政治情勢を映す。「コロナ後」の広場がどう変わっていくのか、しっかりと目をこらす必要がある。

■「ポンペオ攻撃」の過激(5月7日)

個人攻撃もここまで来ると度を超している。「嘘つき」「政治ウイルス」「人類共通の敵」――。すべて新華社や人民日報、中央テレビ(CCTV)といった中国の官製メディアがポンペオ米国務長官を名指しして批判したときに使った言葉だ。

ポンペオ氏は3日の米ABCテレビ番組で、新型コロナウイルスが中国湖北省の武漢市にある研究所から発生した可能性について「多くの証拠がある」と自信満々に語った。それが中国側の琴線に触れたのだろう。「邪悪なポンペオは何のはばかりもなく毒をまき散らし、デマを飛ばしている!」。CCTVは4日夜のニュースで、女性キャスターが怒りに震える声でポンペオ氏を非難する姿を放送した。

中国が嫌がる「武漢ウイルス」という言葉を繰り返し口にするなど、ポンペオ氏の対中批判に大人げない面があったのは確かだ。とはいえ、中国側の反撃も下品な言葉づかいが多く、聞いていて不快な気分になってしまう。

ポンペオ氏が最後に北京を訪れたのは2018年10月だ。ちょうどペンス米副大統領がワシントンで包括的な対中政策の演説をした直後だった。中国の一党体制を「独裁主義」と断じた、いわゆるペンス演説である。

「米国に誤った言動をただちにやめるよう要求する」。中国の王毅(ワン・イー)外相は、北京に駆けつけたポンペオ氏との会談にのっけからけんか腰で臨んだ。ポンペオ氏は習近平(シー・ジンピン)指導部のただならぬ怒りを感じたのだろう。わずか3時間の滞在で慌ただしく北京を後にした。いま振り返れば、米中の闘いが民主主義か一党支配か、という体制の優劣を競う新たな段階に入った象徴的な光景だったと思う。

中国外務省の華春瑩報道局長は6日の記者会見でポンペオ氏を呼び捨てにせず、「先生(さん)」と呼んだ。そして次のように皮肉った。「証拠をどうして出さないの?ないからでしょ?」。新型コロナの封じ込めにメドをつけ、一党支配の維持に自信を深めている余裕の表れにも聞こえた。

■冬眠覚めやらぬ故宮(5月1日)

北京の夏はいつも突然やってくる。労働節(メーデー)に伴う5連休が始まった1日、天気予報は昼間の最高気温が35度まで上がると予想する。実際にそうなれば、過去最速で35度を突破する記録になるという。新型コロナウイルスに襲われた異常な冬が終わり、春の訪れに気づかないまま夏が来た。

「戦勝気分」を盛り上げる仕掛けの一つだろうか。感染の拡大を防ぐために1月25日から閉館していた北京の故宮博物院が1日、連休の開始に合わせてほぼ3カ月ぶりに再開した。当面は1日あたりの入場者数を5000人に絞る。さっそくチケットを事前に購入しようとしたら、連休中の予約はすでに埋まっていた。

4月30日午後、故宮博物院の正面玄関にあたる「午門」のようすを見に行った。「COVID-19対策で、人が密集しないように見学のコースと時間をしばらく制限します」。英語でそう書かれた新しい看板が立っていた。入場口の辺りには、翌日に迫った一般公開の再開に向け、準備を急ぐ職員の姿もあった。

しかし、思ったほど活気は感じられない。新型コロナの感染が拡大するまで、故宮博物院の入場者数は1日8万人が上限だった。一般公開が再開しても午前は3000人、午後は2000人しか中に入れない。チケットを手に入れられた人はおそらく、かつてないガラガラの故宮をじっくり見学する幸運に恵まれるだろう。

そういえば、2017年11月にトランプ米大統領が北京を訪問したとき、習近平(シー・ジンピン)国家主席は故宮を貸し切りの状態にして米国からの最も大事な客をもてなした。あれから2年半。新型コロナへの対応をめぐり、習氏はトランプ米政権との関係がここまで険悪になるとは思いも寄らなかっただろう。

米国がウイルスとの戦いを続けているときに、中国の首都でお祭りムードが盛り上がりすぎればトランプ氏を刺激してしまうかもしれない。冬眠から覚めやらぬような故宮の再開は、米国へのそんな配慮を示しているような気もした。

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