星野監督、楽天でもチーム一変の"断捨離"
悲願の初優勝を遂げた楽天の快走は、ギアからエンジンまでほぼ全部品を取り換え、原形をとどめないくらいに車体を一新したおかげだろう。過去、中日や阪神でチームの相貌をがらりと変えて勝ってきた星野仙一監督のゼネラルマネジャー(GM)的なセンスの勝利といえる。
星野監督の1年目の2011年と3年目の今年の開幕先発を並べてみよう。
11年は1番松井稼頭央(遊)、2番聖沢諒(中)、3番土谷鉄平(右)、4番山崎武司(一)、5番高須洋介(二)、6番岩村明憲(三)、7番ルイーズ(指)、8番嶋基宏(捕)、9番中島俊哉(左)、そして投手が岩隈久志。
2年後の今年は1番聖沢諒(中)、2番藤田一也(二)、3番枡田慎太郎(左)、4番アンドリュー・ジョーンズ(指)、5番赤見内銀次(一)、6番ケーシー・マギー(三)、7番松井稼頭央(遊)、8番嶋基宏(捕)、9番牧田明久(右)、投手が新人の則本昂大。
■成功の基盤にGM的センス
どちらのシーズンも顔を連ねているのは松井と聖沢と嶋だけ。これくらいの入れ替えは他でもあるだろうが、中軸が総とっかえとなり、チームのコンセプト自体が一変した感がある。
補強はフロントの編成部門の仕事だが、星野監督は中日の監督だったころから、現場として不可欠な戦力の"買い物リスト"を作り、親会社の財布のひもを緩めさせることに関して、天才的なものを示してきた。フィールドマネジャー=監督としての才覚はもちろんのこと、大局観を持った戦力分析、チーム編成というGM的センスが成功の基盤にある。
お代は少々かかりますが、悪いようにはしません――。中日、阪神、そして楽天。金をかけるだけかけても、補強のポイントがずれていてこけるチームは少なくないが、星野監督は3球団目も約束をたがえなかった。夢を託したオーナーたちは改めて優勝請負人の仕事ぶりに舌を巻いているに違いない。
楽天の監督就任時の4番は山崎だった。中日時代からの付き合いがある星野監督だが、すでに42歳となっていた山崎頼みでは先がないのは明らかだった。
星野監督は監督の必須条件として「情」と「非情」の2つを併せ持つことと常々話している。
非情に徹し、勝てるチームを模索した結果の13年型オーダーは、中軸の破壊力が格段に増した。
こうしたチーム改革はお手のものといえるかもしれない。
■新顔の発掘、登用でも大胆さ
中日時代の1999年は広いナゴヤドーム対応のチーム作りをして優勝した。97年の屈辱の最下位を受けて大なたをふるう。阪神とのトレードで本塁打王の実績があった大豊泰昭を出し、走れて守れる関川浩一、久慈照嘉を獲得。96年まで3年連続で首位打者となっていたアロンゾ・パウエルを解雇し、韓国のイチローといわれた李鍾範を獲得した。
そのすべてが"星野GM"の意向ではなかったにせよ、これほど大胆な"断捨離"ができる人はそうはいない。
こうした大胆さが新顔の発掘、登用の面でも発揮される。中日時代に高校出の近藤真一(現・真市)を絶妙のタイミングで巨人にぶつけ、ノーヒットノーランでの初登板、初勝利をマークさせた。あまりに絶妙すぎて、あとあと近藤のためによかったかどうかわからないが、人の一生に1度あるかないかの「旬」をかぎ分けて、表舞台に立たせられるのが、星野監督ならではの嗅覚といえる。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)疲れの田中将大の代わりに開幕先発を任せた新人の則本、後半戦になって頭角を現した育成枠出身の投手、宮川将。打線では一時首位打者をうかがう勢いだった銀次、横浜、DeNAでは開花しきれなかった藤田。いずれも旬を見計らい、「今でしょ」のタイミングで抜てきしたことで弾みがついた。
1度起用したら簡単には代えないという「信」がここでは生き、銀次らも「我慢強く使ってくれた」と、ビクビクせず足場を固めることができた。
■「信」と「情」、短期決戦で弱点に
「信」と「情」はペナントレースの1年を勝ち抜くための星野采配では譲れない原理だが、短期決戦では弱点になりうる。
阪神を率いて出場した2003年、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズでは第2戦でKOされた伊良部秀輝に、もう一度第6戦の先発を託して完敗した。星野采配の原理上、「シーズンの功労者である伊良部でもう一勝負」は当然で、急な方針転換はありえないのだ。この一点のみを敗因とするわけにはいかないが、短期決戦において、自らの流儀に手足を縛られた可能性はある。
出場した3度の日本シリーズで敗れている星野監督。クライマックスシリーズでは「短期決戦に弱い」という風評を吹き払わねばならない。
(篠山正幸)