2つの議会が映す現代史 北京ダイアリー(2020年4月)
中国総局長 高橋哲史

2020/5/1 0:00
保存
共有
印刷
その他

■2つの議会が映す現代史(4月30日)

29日、中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)の開幕日が、ようやく5月22日に決まった。もともと予定していた3月5日から遅れること2カ月半。全人代の開催は、中国が世界に先駆けてコロナ危機から脱しつつある事実を象徴する。

29日午後、天安門広場の西側にある人民大会堂の前を車で通った。全人代に向けた準備がさっそく始まったのだろうか。天安門広場には2台の高所作業車が入り、それに乗った作業員が照明施設の点検にいそしんでいた。

中国には全人代のほかに、議会がもう一つある。全国政治協商会議(政協)だ。「両会」とよばれる二つの議会は例年なら3月初めに前後して開かれる。今年は新型コロナウイルスの影響で、政協も2カ月半遅れとなる5月21日の開幕が決まった。

いずれの議会も主な会場は人民大会堂だ。ただ、政協の事務局は天安門広場から西に3キロメートルほどの場所にある。「政協礼堂」と呼ばれる荘厳な建物は、1959年に人民大会堂が完成するまでさまざまな重要会議の舞台となった。

政協の歴史は全人代より古い。中華人民共和国の建国を目前に控えた1949年9月、中南海に共産党以外の政党も集まって第1回の会議を開き、毛沢東を新中国の主席に選んだ。54年に全人代が発足するまで、政協は国権の最高機関だった。

毛沢東ははじめから社会主義を目指したわけでない。「新民主主義」を掲げ、資本家の力も借りて国造りを進めようとした。複数の政党が話し合う場である政協は、それを担保する仕組みだった。

しかし、4年後の53年に毛沢東は社会主義の道に向かう決断をする。東西冷戦が激しくなり、どちらの陣営に加わるか選択を迫られたからだ。共産党にあらゆる権限が集められ、政協は全人代の発足とともに単なる「国政の助言機関」に地位を落とした。

政協の運命は、現代の中国政治を考えるうえで示唆に富む。

英文の記事をNikkei Asian Reviewに掲載しています。(https://s.nikkei.com/2T2bLZd)
高橋哲史が執筆するニューズレターを隔週で配信しています。ワシントン支局長の菅野幹雄と「往復書簡」の形で、米中の「今」と「これから」を考えます。登録はこちら。https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=B001&n_cid=BREFT032

■消えた中国「千人計画」(4月28日)

中国では、ときどき奇妙なことが起こる。全世界から高度な専門知識を持つ優秀な人材を呼び寄せる中国の「千人計画」。国を挙げて取り組んできたこの一大プロジェクトの名前が突然、中国のネット空間で検索できなくなった。

試しに中国のネット検索大手、百度(バイドゥ)に「千人計画」と入れてみる。すると「大変申し訳ありません、関連のページは見つかりませんでした」と出てきた。

千人計画の正式名称である「海外高度人材招致政策」はどうか。今度は検索結果の一覧がずらっと表示された。ところが、その中から「略称は千人計画」と言及したページを開こうとすると「すいません、あなたが訪問しようとしているページは存在しません」としか出てこない。けむに巻かれた気分だ。

千人計画は最先端の科学技術を中国に取り込む目的で、2008年から始まった。高額の補助金支給やポストの提供といった手厚い待遇が売り物で、認定者はこれまでに約8000人にのぼるとされる。

米国は「中国が外国から情報を盗んだ人材に賞金を払っている」と千人計画を批判してきた。今年の1月下旬には、ハーバード大学の化学研究部門でトップを務めるチャールズ・リーバー教授が、千人計画への参加を隠して米政府から補助金を受け取ったとして虚偽陳述の罪で起訴されたばかりだ。

米中は新型コロナウイルスへの対応をめぐり、互いに激しい非難の応酬を繰り広げている。そのさなかに、中国が「千人計画」を検索できないようにした意味は何か。米国がやり玉に挙げる計画を無かったことにし、トランプ米政権に歩み寄る姿勢を示そうとしているようにみえなくもない。

2019年3月の全国人民代表大会(全人代)では、李克強(リー・クォーチャン)首相が中国のハイテク育成政策「中国製造2025」に触れなかった。同政策を批判してきた米国に配慮したためだといわれる。

しかし、その「中国製造2025」はいまもふつうに検索できる。中国のネット空間から「千人計画」はなぜ消えたのか。いまはまだ「いつもの奇妙なことが起きた」としか言えない。

■中国パンダ外交の行方(4月27日)

パンダはもちろん、中国でも大人気だ。新型コロナウイルスの感染を防止するために1月下旬から閉園していた北京動物園は、3月23日から屋外部分に限って再開している。先週末に訪れると、パンダ館にはたくさんの人だかりができていた。

好天に恵まれ、ぽかぽかとしたお昼寝日和だ。計4匹のパンダが屋外に出てうとうとしていた。「ねえ、パンダはどうして寝てばかりいるの」。両親と見に来ていた5、6歳の女の子は、いつまでたっても動かないパンダに少し不満そうだった。それでもコロナ禍のいま、世界の首都にある動物園でパンダをゆっくり見られるのはおそらくここだけだろう。

最近でこそ「マスク外交」が話題になるが、もともと中国のお家芸は「パンダ外交」だ。関係を深めたい国にパンダの贈呈を申し出れば、その国の国民はまちがいなく大喜びする。中国のイメージを一気に良くする効果は絶大だ。

1972年にニクソン米大統領が訪中し、対立していた米中が一気に関係改善に動いたときも、同じ年に日本の田中角栄首相が北京に乗り込んで日中の国交正常化が実現したときも、中国は「友好の証し」としてそれぞれ2頭のパンダを贈った。82年からは贈与をやめて貸与方式に切り替えたが、パンダがいまも中国外交の大事なツールであるのは変わりない。

注目を集めるのは、米ワシントンのスミソニアン国立動物園にいる2頭のパンダだ。2000年に中国から来たメスのメイシャンとオスのティエンティエンは今年12月で貸与期間が終わる。延長になるのか、あるいは中国が新しいパンダを貸し出すのか。どちらもなければ、米国の首都ワシントンからパンダが1頭もいなくなる。

米中関係は新型コロナへの対応をめぐり、過去最悪ともいわれる。ニクソン氏の訪中時に贈られたパンダを受け入れたのは、このスミソニアン国立動物園だ。友好の象徴だったパンダが中国にすべて「退去」する事態は、米中衝突がもはや後戻りできない段階まで進むことを意味するかもしれない。

パンダ外交の行方は子どもたちだけでなく、大人たちにとっても気がかりだ。

■習氏が薦めた英国の作家(4月24日)

4月23日が「世界本の日」だと知る人はあまりいないだろう。新型コロナウイルスの脅威にさらされる今年、中国メディアは国連教育科学文化機関(ユネスコ)が定めるこの日に合わせて読書の大切さを訴える異例のキャンペーンを繰り広げた。

「習近平(シー・ジンピン)が推薦する本」を対話アプリの微信(ウィーチャット)で特集したのは共産党機関紙の人民日報だ。マルクスの「資本論」や「毛沢東選集」に交じって、意外な作家の名前が挙げられていた。英国の劇作家シェークスピアだ。

習氏はかつて、シェークスピアの「ハムレット」に出てくる名ゼリフを引用して次のように語ったという。「若いころの私は陝西省北部のやせた黄土の大地で、絶えず『生きるべきか、死ぬべきか』という問題を考え続けた」。

陝西省は習氏が1969年、15歳のときに「知識青年の再教育」のためとして送り込まれた場所だ。貧しい農村の洞穴式住居でおよそ6年間をすごした。教育を受ける機会はろくになく、手に入る限られた本をむさぼるように読むしかなかったにちがいない。習氏はしばしば「私の最大の趣味は読書」と口にする。

陝西省は父、習仲勲元副首相のふるさとでもある。息子の習近平氏はその陝西省を20~23日に視察した。「今回の感染症との戦いで一部の党組織で指導力の弱さ、党幹部の能力不足があらわになった」。国営の新華社通信は、習氏がそう語ったと伝えた。異例の読書キャンペーンは、党への信頼が揺らいだ新型コロナとの戦いと関係があるかもしれない。

「世界本の日」の23日午後、北京を代表する繁華街、王府井の新華書店を訪ねた。入ってすぐの目立つ場所に置かれていたのは、習氏の著作だ。人民日報が紹介した習氏の推薦図書が、広い店内のどこに置かれているかは、残念ながらわからなかった。

■監視社会が創る「健康」(4月23日)

よく行くショウロンポーの店の入り口で、中年の女性が店員と押し問答をしていた。「どうしてダメなのよ」「『健康宝』を見せてください」「だから、入力してもダメなのよ」「それでは入店できません」。しきりにスマホをいじっていた女性は、しばらくするとあきらめて帰って行った。

最近、至るところで「北京健康宝(Health Kit)」の提示を求められる。対話アプリの微信(ウィーチャット)などを通じて顔写真と身分証の番号を入力すると、その人の健康状態をすぐに示す仕組みだ。ビッグデータを活用し、新型コロナウイルスの感染者と濃厚接触していないか、2週間以内に北京市の外に出ていないか、などを割り出すという。

先の女性は必要な情報を入れても、なぜか結果が表示されなかったようだ。外国人の私はパスポート番号と顔写真を入力すると、間髪おかずに「異常なし」と出てきた。感染者と濃厚接触した疑いがあれば「集中観察」、外地から北京に来たばかりなら「在宅観察」と表示されるらしい。

北京市は健康宝の運用を3月1日から始めた。主なオフィスビルが入館者の健康状態を確認する手段として利用するなど、使い道はどんどん広がっている。4月20日にはすべての飲食店に、健康宝が「異常なし」の客しか入れないよう指示する通知が出た。

日米欧でも似たようなシステムの開発が進む。しかし、実現までの道のりは長い。プライバシー保護との兼ね合いが常に問題になるからだ。健康宝は、すべての個人情報が国家に属する中国ならではの産物といえる。

もちろん、健康宝も完璧ではない。先日、私の健康宝が突然、「在宅観察」を表示した。一部の地域で誤作動が起きたためだが、頻繁に故障するようでは心配だ。北京市の周縁部を移動中に携帯が隣の河北省の電波を拾ってしまい、14日間の「在宅観察」を余儀なくされたという話も聞く。

コロナ禍で進化する中国の監視社会は、それがもたらす未来の不安も先取りしている。

■中国最後の「危険地帯」(4月22日)

やはり、まだ気は抜けない。私が住む北京市の朝陽区が突然、新型コロナウイルスに感染するおそれのある「高リスク地区」に指定された。いまや全国で唯一、警戒レベルが最高度となった地域に私はいる。

新たな感染者がほとんど増えなくなり、北京を代表するビジネス地区の国貿を抱える朝陽区は日常を取り戻しつつあった。なのになぜ、いまさら「高リスク地区」なのか。

北京市当局によると、3月下旬に米国から帰国した男の留学生が2週間の集中隔離を経て4月上旬に朝陽区内の自宅に戻ったところ、2日後に発熱した。PCR検査の結果は陽性。いっしょに暮らしていた母親、弟、祖父も感染が確認された。濃厚接触者は62人にのぼり、当局はクラスター(感染者集団)の発生を警戒しているという。

この留学生は帰国後、数度にわたってPCR検査を受けていた。結果はいずれも陰性だっただけに、当局が受けた衝撃は大きい。今後、隔離期間は2週間でいいのか、という議論が活発になる可能性がある。

留学生の住居がある「小区」は、さぞかし厳しい警備体制が敷かれているにちがいない。そう思って21日午後に行ってみると、拍子抜けするほどほかの小区と変わりなかった。

高層マンションが立ち並ぶ、所得の高い人たちが住むエリアだ。ネットでマンションの価格を調べてみると、広さが90平方メートル前後の部屋で700万元(約1億1000万円)以上もする。門からはポルシェやBMWといった高級車が出入りしていた。

北京ではめずらしくない光景だ。しかし、貧富の格差が広がる中国全体でみれば、ほとんどの人には手の届かない世界でもある。中国で最後の「高リスク地区」は、特権的な暮らしを送る人たちのとりでかもしれない。そんな気がした。

■共青団を襲ったフェイク(4月21日)

一瞬、目を疑った。「米国人の95%は生きる資格がない!」。中国のSNS(交流サイト)上に広く出回ったメッセージは内容もさることながら、発信者の名前が衝撃的だった。「共青団中央」。それは中国共産党の青年組織である共産主義青年団の中央委員会を意味した。

共青団といえば前国家主席の胡錦濤(フー・ジンタオ)氏や、現役では李克強(リー・クォーチャン)首相、胡春華(フー・チュンホア)副首相らを輩出した中国政界の名門だ。米中が新型コロナウイルスの「発生源」をめぐって対立を深めているさなかとはいえ、その共青団が米国民を侮辱するメッセージを発したとすれば、ただごとではない。

やはりフェィクだった。「関連する内容はニセであり、われわれは法に基づいて発信者の責任を追及する」。19日深夜、本物の共青団中央が声明を出した。

いったいだれが、共青団の名をかたって米国への暴言を吐いたのか。

ネット上では、香港や台湾が発信源ではないかとの臆測が流れている。米国を後ろ盾とする香港の民主派や台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)政権からすれば、トランプ米政権が中国への敵意を強めるのは都合がいい。「香港・台湾」説にはそれなりに説得力がある。

そう単純な話ではないかもしれない。

2012年秋に習近平(シー・ジンピン)指導部が発足してから、共青団は厳しい批判にさらされてきた。16年2月には、党中央規律検査委員会が共青団の「貴族化、娯楽化」を糾弾する報告書をまとめたほどだ。共青団は改革の対象となり、「団派」と呼ばれるOBグループはかつての勢いを失った。

冷や飯を食わされてきた団派が、コロナ危機への対応では存在感を高めているとの声を聞く。彼らの実務能力は折り紙つきだ。ウイルスとの戦いで活躍する機会が増えたとしてもおかしくはない。

共青団を目の敵にしてきた勢力にしたら、おもしろくないだろう。ニセ共青団の正体は、団派をおとしめたいだれかなのか。コロナ危機は共産党内の勢力図に微妙な変化を及ぼしている可能性がある。

■屈辱の歴史と黒い白鳥(4月20日)

中国で「屈辱の歴史」を象徴する場所として、ここを思い浮かべる人は多いだろう。清朝の時代に皇帝の離宮だった北京近郊の円明園である。

18世紀後半に清朝の最盛期を築いた第6代の乾隆帝が、この広大な庭園の一角に豪華な西洋式の宮殿と噴水をつくった。いまはその残骸しか残っていない。1856年から60年にかけて起きた第2次アヘン戦争(アロー戦争)で、北京に攻め込んだ英仏連合軍が円明園を破壊し尽くしたからだ。

愛国教育の拠点に生まれ変わった現代の円明園は、新型コロナウイルスの感染が広がったあとも一般公開を続けている。

18日午前に訪ねると、廃虚の前で小学生くらいの女児がおじいさんに「どうしてこうなっちゃったの」と尋ねていた。「外国人に壊されたんだよ」。おじいさんの答えに女児はきょとんとしたようすだった。強くなった中国しか知らない若い世代が、虐げられていた時代の祖国を想像するのは難しいかもしれない。

廃虚のかたわらに西洋人の胸像が置かれていた。「レ・ミゼラブル」で知られるフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴーだ。ユゴーは貴重な文化財である円明園を破壊した英仏両国を「盗っ人」と批判した。中国にとっては、英仏の蛮行に抗議した数少ない中華文明の理解者だ。

帰り際に、思いがけないものを目にした。黒い白鳥だ。北京五輪が開かれた2008年から円明園の湖で育てられているという。その年の9月にリーマン・ショックが起き、干支(えと)が一回りした12年後の今年は新型コロナの脅威が世界を襲った。

めったに起きないが、起きれば市場や経済に甚大な影響が及ぶ。金融の世界で「ブラックスワン」はそうした事象をさす言葉として使われる。この先、中国と世界にはどんな予期せぬ未来が待ち受けているのか。漠然とした不安を感じながら、円明園を後にした。

■米国大使館の孤独(4月17日)

もはやどちらの言い分もすぐには信じられない。新型コロナウイルスの発生源をめぐって続く、米中の「論争」である。

米FOXニュースが15日、新型コロナは湖北省武漢市にあるウイルス研究所で発生した可能性があると報じ、トランプ米大統領は「調査中だ」と表明した。

中国側が反論したのは言うまでもない。「世界保健機関(WHO)は新型コロナが実験室でつくられた証拠はどこにもないと繰り返し表明している」。中国外務省の趙立堅副報道局長は16日の記者会見で、WHOの名を借りて疑惑を否定した。

もともと、論争に火を付けたのは趙氏自身だ。3月半ばに何の根拠も示さず「米軍がウイルスを武漢に持ち込んだのかもしれない」とツイッターに書き込んだ。謀略論を最初に唱えておきながら、いまさら「これは科学の問題だ」と訴えても、悪い冗談にしか聞こえない。

かといって、トランプ米政権に公正な調査ができるとも思えない。

外交筋によると、北京の米国大使館はいま、もぬけの殻も同然になっている。中国で新型コロナの感染が急速に広がった1月末以降、大半の外交官が帰国したからだ。

かつて外交関係者は次のように語っていた。「中国で活動する米国の外交官はおよそ1000人。半数はインテリジェンスにかかわっている」。そのほとんどが帰国したとなると、米国が誇ってきた情報収集の能力は劣化が激しいとみた方がいい。ましてや外交官同士のつながりで、中国側から本音を聞き出すのはもはや期待できない。

いきおい新型コロナは科学でなく、政治になる。

中国中央テレビによると、ロシアのプーチン大統領は16日、習近平(シー・ジンピン)国家主席との電話協議で「一部の人たちがウイルスの発生源の問題で中国に恥をかかせようとしているのは受け入れられない」と語った。中国は米国を孤立させようと積極的な外交攻勢をかける。

北京の大使館が集まるエリアの一角を占める巨大な米国大使館の周辺は、いま不気味な静けさに包まれている。中国側の厳重な警備に囲まれた孤独な館は、「自国第一」で内にこもる米国の姿を象徴しているようにみえる。

■「反帝医院」の英雄たち(4月16日)

新型コロナウイルスの爆発的な感染が起きた湖北省の武漢市に、最後まで残って治療にあたっていた医療団が15日、北京への帰途に就いた。北京協和医院の医師や看護師ら186人だ。中国メディアはこのニュースを大々的に報じた。

1月23日に封鎖された武漢では、感染者の急増に医療体制が追いつかず、中国全土から応援部隊が次々と送り込まれた。その数はおよそ350部隊、計4万人にのぼる。感染の拡大に歯止めがかかってきた3月半ばから段階的に武漢を離れ、北京協和医院を最後にすべての部隊が原隊に復帰した。

4月8日に封鎖が解除された武漢は、徐々に日常を取り戻しつつある。北京協和医院の部隊を率い、感染症の専門家としても知られる李太生教授は人民日報の取材に「相対的にいまの武漢は全国でいちばん安全な都市と言っていい」と市民を励ました。

研究と教育の機能も備えた北京協和医院は、中国で最も伝統と権威のある病院の一つだ。1921年に米国のロックフェラー財団が設立し、戦時中は日本軍が接収した時期もある。北京を代表する繁華街、王府井のそばに残る当時の建物は、いまも病院や研究・教育の施設として使われている。

新型コロナへの対応をめぐって、米中はかつてない険悪な関係にある。トランプ米大統領は14日、「中国寄りだ」として世界保健機関(WHO)への資金拠出を一時的に停止すると表明した。米中の対立は、新型コロナの脅威に直面する国際社会の協調に暗い影を落とす。

1966年から10年続いた文化大革命の間、北京協和医院は米国の援助で設立された「出自」を責められ、「反帝医院」と名前を変えさせられた。米中の医療分野における協力の原点ともいえるこの医院が、再び改名を迫られる時代が来ないように祈るばかりだ。

■ある「紅二代」の引退(4月15日)

これからの日中関係を展望するうえで、気になるニュースが入ってきた。中国人民対外友好協会の会長を長く務めた李小林氏の引退だ。同協会によると、9日付けで同氏は会長職を引き、後任に南アフリカ大使を務めた外交官の林松添氏が就いた。

李小林氏は1980年代に国家主席を務めた李先念氏の娘で、党古参幹部の子弟をさす「紅二代」のひとりだ。副首相だった習仲勲氏を父に持つ習近平(シー・ジンピン)国家主席とは、幼いころからの親しい仲だとされる。日本の政財界に幅広い人脈を持ち、日中関係が改善に向かう過程では習氏と安倍晋三首相をつなぐ役割を果たしてきた。

4月に予定していた習氏の訪日が実現していれば、李氏も同行していたのではないだろうか。習氏と同い年の李氏は1953年生まれの66歳。年齢的にはいつ引退してもおかしくなかった。習氏の訪日は、李氏の花道になるはずだったのかもしれない。

日中関係の風向きを知るために、私が定期的に訪れている場所がある。北京郊外の盧溝橋に近い抗日戦争記念館だ。

同館は日中関係の状況に応じて展示内容がときどき変わる。今年も習氏が訪日する前に確かめるつもりだったが、新型コロナウイルスの感染拡大で1月下旬から休館になってしまった。いまは記念館がある小区全体が封鎖され、近づくことすらできない。かつてマルコ・ポーロが「世界でいちばん美しい橋」とたたえた盧溝橋も、一般公開を中止したままだ。

李小林氏は米中関係の安定にも尽力してきたことで知られる。トランプ米大統領は14日、かねて「中国寄りだ」と批判してきた世界保健機関(WHO)への資金拠出を停止すると表明した。米中関係は過去最悪といっていい状況にある。

李氏の引退で中国と日本、米国の関係はつっかい棒を失わないか。少し心配だ。

■習氏の母校と米国の縁(4月14日)

「現代の科挙」とも呼ばれる全国統一の大学入試試験「高考」の日程が、北京市でもようやく7月7~10日に決まった。中国教育省は3月末に新型コロナウイルスの影響で高考を例年の6月より1カ月遅らせると発表していたが、北京市と湖北省だけは具体的な日程が決まっていなかった。北京の高校3年生もいよいよ受験勉強のラストスパートに入る。

中国で最難関の大学といえば、北京大と清華大が双璧だ。ライバル関係にある両校だが、最近では胡錦濤(フー・ジンタオ)氏、習近平(シー・ジンピン)氏という2人の最高指導者を輩出した清華大がさまざまな分野で影響力を増している。

清華大は米国と深い縁がある。

清朝末期の1900年、北京は外国人の排斥を掲げる義和団の蜂起で大混乱に陥っていた。日米欧の8カ国は居留民の保護を名目に共同で北京に出兵する。圧倒的な武力で義和団の乱を鎮圧した列強は、清朝に39年かけて巨額の賠償金を支払うよう要求した。中国人にとって、決して忘れられない「屈辱の歴史」の一ページだ。

8カ国のなかで、米国は中国に同情的だった。米国内で過酷な賠償金の取り立てに「やりすぎだ」との批判が起き、米政府は1911年に賠償金の一部を使って米国への留学希望者を訓練する「清華学堂」を北京につくった。清華大の前身だ。

義和団の乱からちょうど120年たった今年、米中は新型コロナへの対応をめぐってかつてない険悪な関係にある。米国では個人や企業が中国政府を相手取り、巨額の賠償を求める訴訟を相次いで起こしている。中国国内では、こうした動きを義和団の乱で列強が清朝に押しつけた賠償金になぞらえる声すらある。

習近平国家主席は8日に開いた共産党最高指導部の会議で次のように訴えた。「比較的長い時間にわたって外部環境の変化に対応する思想と仕事の準備をしなければならない」。米国との長い戦いを改めて示唆したようにも聞こえた。

■高く堅固な「情報長城」(4月13日)

思っていたよりは多かった。それでも、平時には考えられない少なさだ。11日、久しぶりに訪れた北京近郊の八達嶺にある「万里の長城」は、混んでいるともすいているとも言いがたい微妙なにぎわいを見せていた。

新型コロナウイルスの感染を防止するために閉鎖されていた八達嶺が、2カ月ぶりに入場を再開したのは3月24日だ。チケットはインターネットで事前に販売し、見学者の数が通常の3割を超えれば入場を止めるという。昨年夏から1日の見学者を6万5000人に制限してきたので、いまはおよそ2万人が上限となる。

それだけでも十分に多いが、ふだんは身動きできないほど混雑している世界的な観光地だ。じっくり見学するまたとないチャンスともいえる。「絶対にいま来るべきよ。並ばなくても入れるわ」。中年の女性がスマホを使ったテレビ通話で、長城のようすを知人に実況中継していた。

とはいえ、ところどころに人の密集ができるのは避けられない。八達嶺で最も高い「北八楼」や、記念写真を撮る場所として有名な「好漢石」にはたくさんの人が集まっていた。もし感染者がここに紛れ込んでいたら……。当局は不安を感じないのだろうか。

ふと、入場するときに提示を求められた対話アプリの微信(ウィーチャット)などを通じて登録する「北京健康宝(Health Kit)」を思い出した。顔写真と身分証の番号を入れれば、ビッグデータを活用して感染者と接触したり、北京の外に出たりしていないかを検知する仕組みだという。外国人の私はパスポートの番号と自分の顔写真を入れるとすぐに「異常なし」の表示が出てきた。

携帯の位置情報や街中に張りめぐらした監視カメラから、個人の行動はすべて把握できているという自信があるのだろう。だからこそ、八達嶺も開放できたのかもしれない。

中国が築いた「情報の長城」は万里の長城と同じように高く、堅固だ。

■東京は中国の反面教師か(4月10日)

東京で新型コロナウイルスの感染者が急増しているニュースは、中国でも大きく報じられている。東京都は9日、新たに181人の感染者が確認され、累計で1519人に達したと発表した。600人弱にとどまる北京から見ると、まさに緊急事態だ。

ニューヨークやロンドンで爆発的な感染の拡大が起こるなか、東京の状況はこれまで比較的落ち着いてると思われてきた。「日本人はきれい好きでこまめに手を洗うから、感染者が少ないですね」。中国人の知人からは、よくそんな褒め言葉をもらった。しかし、いまは多くの人が「日本人にも気の緩みがあったのではないか」と言いたげだ。

それは東京を反面教師に、自分たちをいさめる意味でもあるのだろう。清明節の三連休だった4月4~6日、政府系の中国観光研究院によると、全国で4300万人の人が旅行に出かけた。景勝地で有名な安徽省の黄山が、大勢の観光客でごった返している映像はSNS(交流サイト)上で広く出回った。「気の緩み」はだれもが感じ始めている。

「北京駅の前が大変だ!」。中国のニュースサイトでそんなタイトルの映像を見つけ、9日午後に行ってみた。前回訪れた2月半ばに比べ、駅前の広場にたむろする人が増えたのは明らかだ。大きな荷物を抱えた人が地面に座り込み、唾やたんを吐く姿を見ると、さすがに不安になる。

習近平(シー・ジンピン)国家主席は8日に開いた党最高指導部の会議で「われわれは複雑で厳しい国際的な感染状況と世界経済の情勢に直面しており、『底線思考』を堅持しなければならない」と訴えた。「底線思考」という聞き慣れないスローガンには「最悪の事態も想定して行動せよ」との意味が込められているのだろう。

習指導部が感染拡大の第2波を警戒して、再び国民の気を引き締める方向に動き出したようにみえる。

■帰ってきた強硬派外交官(4月9日)

あの人物が帰ってきた。3月半ばに「米軍がウイルスを武漢に持ち込んだのかもしれない」とツイッターに書き込んだ中国外務省の趙立堅副報道局長である。

ポンペオ米国務長官をはじめ米側が強く反発し、米中関係が一段と冷え込むきっかけをつくった張本人だ。騒ぎが大きくなってから公の場に姿を見せなくなり、更迭されたとの説すらくすぶっていた。

その趙氏が7日から中国外務省の定例記者会見に復帰した。ほぼ1カ月ぶりだ。8日午後、どんな表情で何を語るのかが気になり、記者会見場に足を運んだ。

この日の会見では、トランプ米大統領が世界保健機関(WHO)を「とても中国寄りだ」と非難し、拠出金の見直しに言及したことへの質問が出た。

趙氏の答えは無難だった。「WHOはテドロス事務局長の下で、感染防止の国際協力を推進するために重要な役割を果たしてきた」。矢面に立たされるWHOとテドロス氏をかばいながら、トランプ氏を批判するのは慎重に避けた印象だ。

質問を受けてから時間をかけて手元の資料をめくり、答え始めても資料から目を離さない。そんな場面が何度も続いた。あれだけの騒ぎを起こした直後だ。想定問答を少しも踏み外さない言いぶりに終始したのだろう。2月下旬に対米強硬派の報道官として、華々しくデビューしたときの勢いはない。

ウイルスの「発生源」をめぐって米中関係が険悪になったあと、中国のSNS(交流サイト)上には趙氏に不快感を示す書き込みも相次いだ。しかし、いまはほとんど目にしない。逆に、趙氏を批判すれば「米国の手先だ」とたたかれる。

はっきりしたのは、趙氏が語る言葉の背後には習近平(シー・ジンピン)指導部の意向があり、ツイッター上であってもその主張は決して個人のものではないということだ。新型コロナウイルスへの対応で初動の遅れを生んだ厳しい言論統制は、ここでもしっかり機能している。

■巨大空港の憂鬱(4月8日)

8日朝、湖北省武漢の空港から全国各地に向かう旅客機が次々に飛び立った。1月23日から続いていた同市の封鎖が2カ月半ぶりに解除されたからだ。安倍晋三首相が4月7日に緊急事態を宣言した東京や大阪と入れ替わるように、新型コロナウイルスの震源地だった武漢は正常化への道を歩み始めている。

封鎖が解除になったあとも、武漢を出発した旅客機は直行できない都市がある。北京だ。浙江省の杭州などを経由してからでないと、北京には向かえない。武漢で足止めを食らっていた人たちが一斉に北京をめざし、感染者が首都に入り込むリスクを少しでも減らすためだろう。

北京に直接行けないのは、武漢発の便だけではない。海外からの国際便もそうだ。中国本土で新規の感染者はほとんど増えておらず、6日の新たな死者数はゼロになった。ウイルスとの戦いは終わりつつある。でも北京には来るな――。当局はそんなメッセージを発し続けている。中国共産党の中枢がある首都・北京は、やはり特別なのだ。

北京にある2つの巨大空港は、開店休業の状態になってしまった。そのうちの一つ、大興国際空港は昨年9月に開港したばかりだ。7日午後、北京の中心部から南に45キロメートルほど離れた同空港に行ってみると、SF映画に出てくる巨大な宇宙船を思わせるターミナルの中は、もぬけの殻といってもいいような異様な雰囲気に包まれていた。

既存の北京首都空港が利用者の急増でパンク寸前になり、800億元(約1兆2000億円)の巨費を投じて建設した最新鋭の空港だ。政府の計画では、2025年までに年間7200万人の旅客を見込んでいた。将来的には滑走路をいまの4本から7本に増やし、1億人の利用をめざすはずだったが、計画の大幅な見直しは避けられないだろう。

武漢の封鎖解除に酔う一方で、習近平(シー・ジンピン)指導部が「戦後」に直面する課題は多い。

■100歳の共産党と東京五輪(4月7日)

清明節に伴う三連休が6日で終わった。1月下旬から続く新型コロナウイルスとの戦いが一段落し、人びとは解放感に浸り始めている。連休中、北京市内の公園はどこも多くの人で混み合っていた。緊急事態宣言の発令を目前に控えた東京とは、あまりに対照的だ。

6日午前、北京市の西郊にある香山公園をのぞいてみた。紅葉の名所として知られる場所だ。体温チェックを済ませて入場すると、たくさんの家族連れや若者が園内を散策していた。

清朝の時代に皇帝の別荘があった香山は、中国共産党の歴史に刻まれる「革命聖地」の一つでもある。1949年3月、国民党との内戦に勝って北京に進駐した共産党は、最初の司令部をここに置いた。共産党を率いた毛沢東は、皇帝が造った庭園のなかに建つ住居で半年ほど過ごし、同年10月1日に成立する中華人民共和国の構想を練った。

習近平(シー・ジンピン)国家主席の肝煎りで、毛沢東の住居や新設した香山革命記念館の一般公開が始まったのは昨年9月だ。建国70周年を記念する事業のひとつだった。翌10月に訪れたとき、見学者の長い行列ができていたのを思い出す。いまはもちろん、新型コロナの感染を防止するために公開を中止している。

中国共産党は2021年7月に創立100周年を迎える。香山を革命聖地として改めて整備したのは、それを祝う準備の一環でもあった。新型コロナを完全に制圧すれば、100歳の誕生日に向けた行事が全国で一気に動き出すだろう。

党が定める創立記念日は7月1日だ。ただ、公式な記録では、第1回の党大会が上海で始まったのは1921年7月23日となっている。7月1日としたのは、1930年代に毛沢東が創立記念日を定めた際に、第1回の党大会は「7月だった」としか覚えていなかったからだとされる。

お気づきかもしれない。2021年7月23日は1年延期した東京五輪の開幕日だ。偶然だが、中国共産党と東京五輪に奇妙な接点ができた。

■習氏が8人で臨んだ追悼式(4月6日)

新型コロナウイルスによる死者に黙とうをささげる中国の習近平国家主席(中央)ら最高指導部=4日、北京の中南海(新華社=共同)

新型コロナウイルスによる死者に黙とうをささげる中国の習近平国家主席(中央)ら最高指導部=4日、北京の中南海(新華社=共同)

4月4日は中国伝統の清明節だった。日本の彼岸にあたり、中国人にとって先祖の墓参りをする大切な日だ。新型コロナウイルスが中国だけでおよそ3300人の命を奪った今年、政府は午前10時に3分間の黙とうをささげるよう全国民に呼びかけた。

4日午前、半旗が掲げられた天安門広場には、追悼活動に参加しようと大勢の人が集まっていた。10時きっかりにサイレンが鳴り、人びとが一斉に頭を垂れる。同時に、車や鉄道の警笛音が響き渡る。日本と違い、大きな音を鳴らして死者を悼むのが中国式だ。

ちょうど同じ時間、天安門のすぐ西側に広がる中南海では習近平(シー・ジンピン)国家主席ら最高指導部のメンバーが黙とうをささげていた。

場所は広大な中南海のほぼまん中にある「懐仁堂」の前だ。清朝末期の1880年代に建てられ、西太后が暮らした懐仁堂は現在、習氏をトップとする最高指導部の政治局常務委員会や政治局が会議を開く場所として知られる。まさに中国共産党の中枢だ。

国営の中央テレビは、習氏を中心に7人の政治局常務委員と王岐山(ワン・チーシャン)国家副主席の計8人が前列に立ち、半旗の前で黙とうをささげる映像を流した。王岐山氏は2017年秋の党大会で政治局常務委員を退任したが、18年春に国家副主席として政権の中枢に戻った事実上8人目の最高指導部メンバーだ。

この8人は前日の3日も、そろって同じ活動に参加した。北京の南部で実施した植樹キャンペーンだ。8人がそれぞれシャベルで穴を掘り、木を植えるようすは最高指導部が結束して難局に立ち向かう姿を国民に印象づけた。

習指導部は新型コロナの封じ込めに自信を深めている。2日続けて8人が行動を共にしたのは、そうした自信の表れにもみえる。犠牲者の追悼を終え、中国全土で戦勝気分が高まってきた。

■「現代の科挙」も延期に(4月3日)

中国で受験シーズンといえば、多くの人は6月を思い浮かべる。全国統一の大学入試試験「高考(Gaokao)」があるからだ。

しかし、今年は新型コロナウイルスがその高考の日程まで変えてしまった。中国教育省は3月末、例年より1カ月遅らせて7月7~8日に実施すると発表した。北京と湖北省だけは感染の状況をみて別途決めるとしており、さらに後ろにずれる可能性がある。

高考は過酷な競争社会の象徴として知られ、隋の時代(581~618年)から清末の1905年まで続いた官僚登用試験の「科挙」になぞらえて語られる。中国人にとっては、その後の人生を決める分かれ道といってもよく、教育省によると今年は1071万人が受験する。

延期が決まると、SNS(交流サイト)上には受験生たちの嘆きの声があふれた。1カ月とはいえ、地獄の受験勉強をさらに続けなければならないのは耐えられないのだろう。

2日夕に、北京屈指の名門校である北京市第四中学(高校)の前を通った。ふだんなら下校の時間帯にもかかわらず、門は固く閉じられ、出入りする生徒の姿はない。北京市内のすべての学校は1月24日に始まった春節(旧正月)の連休明けから休校が続いている。

市の教育委員会が13日から授業を「オンラインで」再開すると発表すると、学校関係者の間では失望が広がった。教室での授業は、当面再開できないと受け止めたからだ。北京大や清華大といった超難関校に毎年多くの合格者を出す北京四中の生徒も、自宅で猛勉強を続けているにちがいない。

最近、街中でやたらと目に付くようになったのがオンライン教育の広告だ。高考を控える高校3年生の受講料を無料にするという業者も出てきた。孤独な受験勉強を強いられた若者たちは、わらにもすがる気持ちだろう。健闘を祈るしかない。

■マスク外した習氏の指示(4月2日)

習近平(シー・ジンピン)国家主席がマスクを外して笑顔をみせた。3月31日、浙江省杭州市の西渓(Xixi)国家湿地公園を視察したときだ。

3月31日、習主席は浙江省杭州市を訪れた際、マスクを外した=AP・新華社

3月31日、習主席は浙江省杭州市を訪れた際、マスクを外した=AP・新華社

国営の中央テレビが流した映像では、小舟に乗った女性が突然、習氏に手を振りながら声をかけてきた。「いっしょに乗りませんか?」。習氏が「その船には何人乗れるんだい?」と尋ねると、女性からは「6人ですよ」との答え。習氏は10人近い随行員を指しながら「乗りたいんだけど、多すぎるね」と笑った。

よく見ると、随行員もほとんどマスクをしていない。2カ月以上にわたる新型コロナウイルスとの戦いが一段落し、勝利は近いと国民にアピールする演出だろうか。

浙江省は習氏が2002年から07年まで、省のトップなどとして過ごした第2の故郷と呼んでいい場所だ。よほど気が休まるのか、滞在は3月29日から4月1日まで4日間にわたった。国内視察としては異例の長さだ。

習氏は西渓公園に続いて、ビッグデータを利用した杭州市の都市管理センターを訪れた。「まだ油断してはいけない。人が多く集まる活動をしてはいけない」。ここでは打って変わってマスクを着け、ウイルスとの戦いは続いていると訴えた。

習氏がひと言発すれば、効果は絶大だ。北京市は3月31日の記者会見でさっそく「ウイルスはまだ過ぎ去っていない。油断せずにマスクを着け、集会をせず、会食をせず、を厳格に守ってもらいたい」と市民に呼びかけた。

ちらほら見かけるようになっていたマスクを外して歩く人の姿が、翌日から消えたのは言うまでもない。

■戻ってきた渋滞と人波(4月1日)

北京に渋滞が戻ってきた。中心部の主要な道路では、朝夕の通勤時間帯に車がまったく動かなくなることも珍しくない。1月下旬に新型コロナウイルスの感染が広がってから、見られなかった光景だ。

職場に復帰する動きが本格化し、地下鉄などの公共交通機関は再び混雑が始まっている。閉じられた空間にたくさんの人が集まれば、感染リスクは高まる。だからマイカー通勤を選ぶ人が以前より増えた、と解説する人もいる。

北京には「尾号限行」と呼ばれる仕組みがある。一般の車はナンバープレートの末尾の数字によって、週に一日だけ走れない曜日を定められている。渋滞を緩和するための措置で、違反が見つかれば100元(約1600円)の罰金を科される。

北京市はいま、この規制を一時的に停止している。感染の拡大で、市内の交通量が激減したからだ。「尾号限行」の復活はいつか。渋滞が激しくなるにつれ、市民の関心は高まっている。

戻ってきたのは車だけではない。3月31日午前、桜の名所として知られる玉淵潭公園には、たくさんの花見客が押し寄せていた。1カ所に固まらないように大勢の警備員が声を張り上げても、満開の桜を写真に収めようと立ち止まる人は後を絶たない。

北京に漂い始めたのは、ウイルスとの戦いに勝利したという高揚感だ。人びとは感染を恐れて自宅にこもる生活が続いた反動もあり、気が緩み始めているような印象すら受ける。感染拡大の第2波は来ないのか。少し心配だ。

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]