宮崎アニメ、子どもたちに伝え続けたメッセージ

日本のアニメーション映画をけん引してきた宮崎駿監督が、長編アニメからの引退を決めた。「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など、娯楽の中に高い精神性を兼ね備えた作品は、アニメの新たな地平を切り開き、国際的にも高い評価を受けてきた。「今、僕は自由。前からやりたいと思っていたことをやりたい」と前を向いた。
宮崎作品は子どもだけでなく、大人もアニメの世界に引き込んだ。だが宮崎自身は、アニメは子どものものだ、という信念を持ち続けた。その思いはずっと変わらなかったという。
「僕は多くの児童文学作品に影響を受けてこの世界に入った人間。子どもたちに『この世は生きるのに値するものだ』と伝えることが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきた。それは今も変わっていない」
「英作家ロバート・ウェストールの作品の中に『君はこの世界に生きて行くには気立てが良すぎる』というセリフがある。ほめ言葉ではないが、本当に胸をうたれた。(この世は生きるのに値するものだと)僕が発信しているのではなく、こうした多くの書物、映画が繰り返し繰り返し伝えてきたものを僕も受け継いだのだと思う」
高校時代、日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」を見てアニメに興味を抱き、大学卒業後アニメ制作会社へ。最初に就いたアニメーターという職業が自分に最も合っていると言い、それは監督の制作手法にも影響を及ぼした。

「監督になって良かったと思ったことは一度もないが、アニメーターは『うまく風を描けた』などと幸せな気持ちになれる時間がある。僕は初めから演出や監督をやろうとした人間ではなく、演出をやれといわれて途方にくれた。そのとまどいは新作の『風立ちぬ』まで引きずってきたと思う」
「終わりまで見通しがないまま制作に入る作品ばかりで、スケジュールを含めて毎回つらかった。(結末が)どこにたどりつくか分からないままスタッフもよく我慢してくれた。絵コンテを毎日のように描き、(スタッフが描いた)カットを見てああでもないこうでもないといじくる。生産性に寄与しないやり方だが、その過程で映画の理解が深まったのも事実だと思う」
時代の移り変わりによって作品を作る意味も変わってきたという。
「スタジオジブリを作った時は日本が(好景気で)浮かれた時代。それについてかなり頭にきていた。そうでなければ(自然や文明の破壊を批判した)『ナウシカ』なんか作らない。経済はにぎやかだが、心の方はどうなんだという思いで作った。ソ連が崩壊、バブルが弾け、ユーゴスラビアでは内戦が始まり、歴史が動き始めると(ナウシカを作った時のような)これまでの作品の延長上では作れないと思った」
「(世の中が)ずるずると落ちていくときに、若いスタッフ、子どもたちの横でなるべく背筋を伸ばし、生きていかなければならないと思う」
(文化部 関原のり子)