イチロー4000安打 失敗と向き合い、逆境を糧に
スポーツライター 丹羽政善
もう随分前のことになる。雑誌か新聞で読んだのだと記憶するが、(米プロバスケットボール、NBAの)マイケル・ジョーダンが米メディアからこんな質問をされていた。
「あなたはなぜ勝負強いのか?」
それは、試合終了の瞬間にシュート決め、チームを勝利に導くことが多かったことから出た質問だったが、ジョーダンはこんなふうにさらりと答えていた。
■勝負強さの理由?「経験じゃないか」
「みんな僕が成功させたシュートのことだけを覚えてくれていてうれしいよ。でも、残念ながら、その裏には成功した数を超える多くの失敗があるんだ。おそらくそれがあるからじゃないかな」
ある試合でイチローが勝負強さを発揮し、その試合の行方を決定づけたことがある。試合後、イチローの勝負強さの裏には何があるのかと、彼と親交のあったジョーダンのエピソードを交えながら聞いたことがある。
すると、バスタオルを肩からかけたまま取材に応じたイチローは、「ジョーダンの言っていることが分かるような気がしますねぇ」と静かにうなずきながら言った。そのあと、少し間をあけてから、「経験じゃないでしょうか」と話している。
■「8000回以上、悔しい思いしてきた」
あれから何年たったのだろう。21日、イチローはニューヨークで行われたブルージェイズ戦で日米通算4000安打を記録すると、試合後の記者会見でジョーダンと同じような話を始めた。
「こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分ではない。誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」
イチローがあの時の会話を覚えているとは思えないが、ヒットをここまで重ねたことでたどり着いたのは、キャリアで6回もNBA制覇を果たし、神とあがめられたジョーダンと同じ境地。
野手で言えば、10回のうち、3回ヒットを打てば好打者。7回は失敗する。その7回で何を学ぶか。そこでどれだけダメージを受けても目をそらさなかったことが、ここまでのヒットを積み重ねる支えになった。
もちろん、決して簡単なことではなかった。単にどうやってヒットを打てばいいかに、集中できたわけではない。
■安打を打つことさえ否定された時期も
ある時期は、ヒットを打つことさえも否定された。
遡ること3年。イチローは2010年9月18日に日米通算3500安打に到達している。しかし、地元のセーフコ・フィールドであったにもかかわらず、センターのスコアボードでそれが紹介されることはなかった。
確かに中途半端な数字ともいえたが、「やめてください」とお願いしたのはイチロー本人だった。「2年前のことをいろいろ勉強してますから」
その5日後、今度はトロントでイチローが10年連続200安打をマーク。しかし、やはり試合後は大げさな取材の自粛を申し入れている。
その理由をイチローは、こう説明した。「2年前のことがトラウマになっちゃってる。あれ以降、僕の中で何を喜んでいいのかというのが、ちょっと分からなくなった」
■価値観揺らぎ「具体的目標出せなく」
その2年前――08年を振り返ると、7月にイチローは日米通算3000安打をマーク。9月には1890年代後半に活躍したウィリー・キーラーのメジャー記録に並ぶ8年連続200安打を達成している。
ただ、そんな中、一部チームメートから、「自分勝手だ」とゆがんだ感情を向けられ、「(200安打を)目標にすることすら否定された」そう。その中でイチローの価値観が揺らいでいき、「具体的な目標を出せなくなって、なんか、いろんなものが塞がれているイメージ」を持ったと述懐した。
そんなチームメートが一部にいたからか、チームも長く低迷している。
そういう中でヒットを打つことの難しさを、日本時代も含めてまだ優勝のないブルワーズの青木宣親が教えてくれた。
「負けてるときに打つって、なかなか、きつい。どうしても、『あぁ』ってなってしまいがち。そういう中で打つヒットって、やっぱりきついですから」
青木自身は、支えになるものを見つけてやってきたそうだ。「もちろんプロだからそれを見せちゃダメなんですけど、やっぱりそういう中で、自分はいろんな要素を見つけながら、一つ一つやってきた。もちろん、チームのためにやってるんだけど。負けてしまったけど、全力でやったとか、1本出たとか……。イチローさんは分からないですけど、何か支えをつくらないと折れてしまう」
■多くの失敗重ね、たまにうまくいって
イチローはといえばしかし、そんな逆境と正面から向き合い、むしろ、糧とした。その姿勢は、これからも変えるつもりはない。
「これからも失敗をいっぱい重ねていって、たまにうまくいってという繰り返しだと思うんですよね。バッティングとは何か、野球とは何か、ということをほんの少しでも知ることができる瞬間というのは、きっとうまくいかなかった時間と自分がどう対峙するかによるものだと思うので。なかなかうまくいかないことと向き合うことはしんどいですけど、これからもそれを続けていくことだと思います」
野球選手としてだけでなく、人間としてもどうあるべきか。
イチローの日米通算4000本安打には、彼の人生観までが詰め込まれていた。