韓国で頭角、大レース連覇 騎手・藤井勘一郎(上)
日本で騎手を目指す少年少女は、10代半ばで人生の分岐点を迎える。国内には日本中央競馬会(JRA)の競馬学校騎手課程と、地方競馬全国協会(NAR)の地方競馬教養センターという2つの騎手養成機関があるが、いずれも年間合格者数人の狭き門。入学者の多くは中学卒で、試験に落ちれば、再挑戦か進路変更かの選択を迫られる。
■初騎乗初勝利で調教師の心つかむ

再挑戦を目指す人の受け皿がある。オーストラリアの騎手学校に進み、免許を取る道だ。1990年代後半以後、この経路で30人以上がデビューを果たした。
国内との接点が少なく、大半は競馬関係者でさえ名前も知らないが、韓国で大レースを相次いで優勝し、存在をアピールしたのが、藤井勘一郎(29)である。
昨年6月から韓国東南部の釜山慶南競馬場で騎乗を始めた藤井は、12月9日に「グランプリ」(ソウル競馬場・ダート2300メートル)を、今年5月19日には「コリアンダービー」(同・ダート1800メートル)を優勝した。
日本なら有馬記念とダービーに相当するビッグタイトルを、わずか半年余りで連勝したことになる。
短期間での成功は、釜山入り早々に勝ち得た、馬主や調教師の信頼のたまものだった。初騎乗初勝利で鮮烈な印象を残し、釜山を代表する調教師、キム・ヨングァン(53)の心をつかんだ。
■地元ファンの注目度も上昇
グランプリの5週前、「慶尚南道知事杯」をキムの管理する当時3歳の牝馬カムドンウィパダ(感動の海の意味)で勝ち、重賞初制覇。続くグランプリ、キムは2頭をソウルに送り出し、藤井には「好きな馬に乗っていい」と選択を任せた。
「韓国は2300メートルのレースがほとんどない。長めの距離が得意な馬にチャンスがある」と考えた藤井は、カムドンウィパダを選んだ。
人気は13頭中6番目。当日は雪で水分を多く含んだ馬場で、先行有利と読んで終始、4番手前後を追走。直線で馬の間を割って鮮やかに抜け出した。
コリアンダービーの頃には、地元ファンの藤井への注目度も上昇。やはりキムの管理するスピーディーファースト(牝3歳)に騎乗し、2番人気に推された。
ソウルの1800メートルコースは、スタート後約200メートルで急なコーナーがある。やはり雨馬場で先行馬有利だが、コーナーで混雑に巻き込まれると致命傷だ。
■競馬学校、日本で逃し豪州へ
キムは藤井に「出たなり(の位置)でいいよ」と告げた。「あれで楽になった」と藤井。抑えめのスタートを切ると、案の定、1コーナーで先行各馬が激しく接触。
混雑をやり過ごした藤井は徐々に位置を押し上げ、直線もグランプリと同様、馬の間から抜け出した。「はまった。快感のあったレース」と藤井は振り返る。
本来はJRA競馬学校騎手課程志望だった。だが、中学3年の時点で体重が44キロに増え、同課程の受験資格を1キロオーバーした。思いを捨てきれず、中学卒業直後の99年5月には、競馬雑誌の広告で知った豪州の競馬学校の門をたたいた。
2年後に免許を取得し、豪州とシンガポールで活動。韓国は3カ国目だが、藤井の視線の先には、日本の競馬場がある。
(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊7月22日掲載〕