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サハラと九十九里を結んだ砂浜レース仕掛け人

7日間で計250キロ、炎熱の砂漠を走るサハラマラソン(モロッコ)は「世界一過酷なレース」ともいわれている。大会に参加し、完走した人は日本人にもいるが「日本でも砂の上を走ろう」と思い立ち、大会を作った人はほかにいないのではないか。松永寿雄さん(65)。人にそこまで深入りさせる砂漠のレースの魔力とは……。

6月2日、千葉県の九十九里浜に、北は北海道から南は佐賀県までのランナー425人が集った。本須賀海岸(山武市)から作田海岸(九十九里町)の間を行って帰ってくるコースで、10キロ、20キロ、40キロの男女個人レースと、駅伝部門が設けられた。

単調なコースのなかで自分と向き合う

松永さんが中心となって2010年から始め、今年4回目を迎えた「浜マラソン in 九十九里」。スタートの号砲が鳴ったあとのコースには、砂と海と風の音があるばかり。まっすぐ伸びた波打ち際のコースは単調きわまりなく、風景は変わらない。折り返し地点を境に、太平洋が右に見えるか左にみえるか、風下になるか風上になるかが反転するだけだ。波に洗われて締まった浜は結構硬く、走りにくくはない。しかし、目標物がないためスピード感がつかみにくい。ゴール前の数百メートルでランナーは浜マラソンの本領をみる。波が及ばず、ふかふかになったままの砂の層は蹴るそばから崩れ、前に進まない。

近代日本文学の代表作の一つとされる「砂の女」(安部公房)は蟻地獄のような砂の館にとらわれた男の姿から人間という存在を突き詰めたが、砂という物質自体の酷薄さも印象に残る作品だった。

もがいても空転するばかりの浜マラソンのラストは、小説に描かれた砂の世界の無慈悲さをしのばせるようだ。

東京でPR会社を経営する松永さんがサハラと出合ったのは1991年。大会に出るというランニング好きの社員に付き添って、見物に出かけたのがきっかけだった。主催したフランス人に以後の大会を手伝うよう頼まれて、日本側の窓口となり、参加者の募集などにあたってきた。

サハラのレースに引き込まれ

旅行者、あるいは事務方としてレースに関わりながらでも、道なき道をゆくレースのおもしろさはわかったつもりでいた。日本で大会を開こうとも決めていた。

しかし、サハラのレースの魅力を本当に知ったのは「そろそろ自分でも走ってみたら」と周囲に促されて大会に出たときだった。

11年4月。サハラの砂の壁を前に、松永さんはあえいでいた。全長250.7キロ、7日間、計6ステージにわたるレースのなかでももっともしんどい、82キロを一昼夜かけて走るステージの途中だった。

道もなく、目標物もない砂漠のレースではコンパスが必需品。そのコンパスを松永さんはどこかで落としてしまっていた。おまけに背中に痛みが走る。救援の医療班を呼び、リタイアしよう。いよいよ自分の位置を知らせるための打ち上げ花火とスティックライトの出番かなと覚悟したとき、同道していたイギリス人から声がかかった。

「やめちゃダメだ。とにかく中間のチェックポイントまで一緒に行こう」。レースで初めて会ったこのイギリス人と、どこの地点からか並んで走るようになっていた。"チーム"にはもう一人、イギリスからの女性参加者もいた。

砂漠の孤独がもたらす人間の連帯

「中間のチェックポイントに午前2時についたら、3時間眠ろう。午前5時から走り出したら、きっと16時間の制限タイムに間に合う……」。イギリス人はそんな行程を示し、励ましてくれた。

「砂漠は平たんなイメージがあるが、実際は山あり谷ありで、前方の様子が見えない。山をやっと登り切って前方を見渡すと、同じような山が延々とつらなっている」(松永さん)

悪い夢に出てきそうな光景が、現実の壁としてたちはだかっていた。絶望的な気持ちになるなかで、イギリス人が歌い出した。ビートルズの曲だ。ビートルズならイギリス人でなくても知っている。一緒に口ずさむと、一瞬なりとも疲れを忘れることができた。

こうして気を紛らわせながら進み、何とか82キロのゴール地点にたどりついた。しかし、イギリス人がいない。あとできくとケガをしたところが化膿(かのう)し、ドクターストップでリタイアしたとのことだった。

仲間の脱落は残念だったが、松永さんはあのときの不思議な連帯感を忘れられないという。「知らない間に、あちこちにグループができて一緒に走っている。極限状態のせいかな」。これほど過酷なサハラが、人を引き寄せる理由を一つみつけた気がした。

サハラマラソンは今年4月の大会で28回目を迎えた。経験者が有利にならないよう、ルートは毎年大会直前にしか発表されない。

自分の道を自分で決める

そんなレースのもう一つの魅力は「自給自足」の原則が徹底されていることと松永さんは話す。

もちろんチェックポイントでは水などを支給してくれて、救護班のサポートもあるが、運ぶ食料の内容や量はそれぞれ自分で決める。大会本部はいちいち手取り足取りしない。コンパスを使いながら、自分の道を自分で決める。

ちなみに松永さんが食材として選んだのはレトルトのご飯やドライフルーツだったという。カロリーやコンパクトさからすると羊羹(ようかん)なども選択肢に上ったが、重すぎる。日本にいて酒場などでかじっていたときにはどうということもなかったドライフルーツが「こんなにありがたいものだとは思わなかった」。

砂漠という「非日常」は日常の何気ないことのありがたみを教えてくれる。毎回、大会途中に主催者から参加者へサプライズのプレゼントがある。「私のときに出たのは砂漠の常温になったコーラだった。その生ぬるいコーラをみんなおいしい、おいしいと言って飲むんですよ」

人間ってなんて強いんだろう

山岳系のトレイルランを中心に、個人個人のサバイバル力を試すような大会も増えてきたが、サハラのレースほど参加者を突き放し、一人でぽつんとおいておく大会はないのではないか、という。

砂漠は当然、肉体にも厳しい。むなしく砂を蹴り続ける足先が傷みやすい。その対策として大きめのシューズの指先に綿を詰め込み、負担がかからないようにしたが、それでもレース後に5本の足の指の爪がはがれた。

完走した瞬間、浮かんできたのは「人間って強いんだなあ」という思いだったという。

千葉県柏市出身の松永さんは日本版のサハラマラソンの候補地として、当然のように九十九里浜に目をつけた。

砂浜を走るという計画を示すと、人はまず間違いなく「なんでそんなところを走るのか」といぶかった。大会の意味を説明するのは簡単ではなかったが、九十九里という浜を本格的な海水浴シーズン以外にも売り出したいと考えていた地元も、観光の起爆剤になるなら、とのってきた。

浜マラソンを軌道に乗せた松永さんの次の夢は全国の浜にレースを広げ、シリーズ化することだ。

浜マラソンがもっとも似合う人といえば

フルマラソンで3時間を切る"サブスリー"といわれるランナーの中には、記録の壁にぶつかって、普通の大会以外のレースに目標を見いだす人も少なくない。

トレイルランなどとともにそうした需要に応えようというのが浜マラソンだ。「各地の自治体などで自分のところでもやってみたいという声があれば、いつでも開催ノウハウを提供します」

森田健作・千葉県知事に浜マラソンを走ってもらうのも夢といえば夢だ。その昔を知る世代にとっては懐かしい青春ドラマのスター。剣道青年を演じ、浜辺を走っては魂の叫びを発していたイメージがある。「走っていただくときに竹刀は必須です」。さすがにPRのプロ、松永さんの頭のなかでは「青春の浜マラソン」のプロモーション映像が出来上がっている。

(篠山正幸)

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