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イチローとシアトルのファン結ぶ言葉のない会話

スポーツライター 丹羽政善

車に揺られながら、イチローはセーフコ・フィールドに向かう途中、見慣れぬ窓の外の風景に目を奪われていた。

「景色が違う。ダウンタウンからこっち(セーフコ・フィールド)に来るのは初めてだし、そもそもダウンタウンはあまり知らないから」

10分程度の移動時間で気付いたこと。「あんなにスタバ(スターバックス)があるなんてことは、12年いても知らなかった」

客足伸びず消化試合のような雰囲気

6日、イチローが、昨年7月にヤンキースに移籍してから初のシアトル遠征を迎えた。日米のメディアはそのことをそれなりに話題にしたが、ファンとは温度差があったよう。

まもなく午後7時。試合開始まで、あと10分と迫っていた。それなのに客の入りが悪い。スタンドはガラガラだ。

結局、試合が始まっても客足は伸びず、シーズン終盤の消化ゲームのような雰囲気の中でゲームが行われたのである。

かつてヤンキースが来ると、マリナーズが厳しいシーズンを送っていてもセーフコ・フィールドにファンがあふれたもの。しかも今回は、イチローが約10カ月半ぶりに戻ってくるというのに。

暖かな天候にも恵まれ、ファンが球場に足を運ぶのをためらう理由があるとしたら、エリック・ウェッジ監督の采配がつまらないという以外にない。残念ながら観客数はわずか1万8776人にとどまり、今季の平均観客数(2万106人)さえ下回った。

シアトルの観客は「品がいい感じ」

その物理的な影響を捉えれば、盛り上がりとしてやや寂しく、イチローも「めっちゃ、おとなしかったです」と話した。ただ彼自身は、別のことも感じていた。

「テンションが東(東海岸)と全然違う。品がいいっていうか、そういう感じが、久しぶりに(シアトルに)来て。それはそれで、すごいなあ」

熱狂的なヤンキースファンに対し、マリナーズのファンはどこか引いて見ているところがある。そんなことを言っているのだが、その静かな対応に、むしろ温かみを覚えたようだ。

「ボリュームとかトーンは別として、質としては」

特別な場所であることは変わらない

それに対しイチローは、「感謝の気持ちを自分なりに、心の中で唱えながら」打席に入ったという。

そして改めて思った。「(ここは) 気持ちよくやらせてもらえる。意図的な嫌がらせとか、全くないから。相手としてくると、それがより鮮明になる」

イチローにとっての特別な場所。そのことはこれからも変わらないのだろう。

さて、筆者にとってもセーフコ・フィールドは久々だったが、球場に向かう車の中でラジオを聞いていると、スポーツラジオ局のパーソナリティーが、こんな話をしていた。

「イチローが来ても、さほどファンは大きな声援を送らないだろうし、そのためにわざわざ来ることはない。イチローはもう過去の人だ」

さらに言う。「彼は英語で自分の考えていることを伝えようとしなかった。インタビューは常に通訳を使っていた。だからファンは、親近感を覚えないんだ」

ファンとの間に言葉の壁はあるか

人そのものが少なく、結果として大きな声援がなかったということに関しては、その通りとなった。空席が目立ったことは、それはイチローのせいではないにしても、取り方によっては、そうとも取れる。

ただ、言葉の問題についてはどうだろう。

イチローに対する声援に、彼が言うようにボリュームやトーンは低くとも、言葉の壁など存在しただろうか。

そもそも言葉が、必要なのか?

考え方は人それぞれだが、むしろイチローとシアトルのファンには、言葉のない会話が成立しているように見えた。これまでも、そして今回も。

「イチメーター」おばさんとの交流

8日朝、球場近くのカフェにいると、イチローのユニホームを着ている子供がいた。7、8歳の男の子だろうか。その横にいた母親と目が合うと、「イチローの大ファンなんです」と教えてくれた。

「今日もこれから、球場へ行くんですよ。この日をずっと楽しみにしていたから」

少なくともその男の子とイチローは、言葉などなくてもつながっているはずだ。

もっとも、言葉でも会話が成立している。

ライトスタンドの最前列でイチローの安打を数え、「イチメーター」おばさんとして有名になったエイミー・フランジさんは、イチローと球場で交わしたやり取りをこんな感じでツイッターにつづっていた。

「元気でしたか?」(イチロー)

「元気ですよ」(フランジさん)

「日本で有名ですよ」(イチロー)

イチローは、彼女が用意した帽子やカードなども受け取ったそうである。

また8日の試合後には、イチローが九回、彼女にボールを投げようとしたものの届かず、フェンスの手前に落ちると、イチローがゲラゲラ笑ったという様子がツイートされていた。

「見ている人は分かってくれている」

さて、ファンはイチローとの4日間を堪能した。

では、イチローにとってこのシアトルでの4日間とはどんな時間だったのか。

9日の試合が終わってからイチローに聞けば、「それを説明するのはやぼったい気がしますね」と言った。

「去年は説明する必要がありましたけど、わざわざ(誰かを通して)伝える必要はないと思います。見ている人は分かってくれていると思いますから」

この4日間がイチローにとっていかに大切なものであったか。それはあえて言葉にしなくてもファンらは理解してくれているだろう、という思い。そこには、確信めいたものがあった。

この日、すでに紹介した親子のほかにも、客席には"イチローが帰ってくる"ということで観戦している人もいた。そのことを最後に伝えるとイチローはほおを緩めて言っている。

「であれば、僕はうれしいですね」

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