/

悠々球論(権藤博) どっち蹴れば怒り静まる? 壁か夢の中の審判か

昨年同じユニホームを着て戦った中日の高木守道監督の「怒り」の表現にはハラハラさせられた。ベンチのみんながみている前で選手を叱ったり、スタンドのお客のやじに反応したり。その気性の激しさこそ、大選手となるのに必須の要素だったわけだが、気持ちの制御方法には一工夫あっていいかもしれない。

罵声をどう受け流し、こらえるか

プロ野球にスタンドからの罵声はつきものだ。お金を払ってみているお客は何を言ってもいい、というのが私の考え方だ。差別的なこと以外なら、何でも口にする権利がある。

したがってこちらとしてはどう受け流し、こらえるかが課題となる。

私も横浜(現DeNA)の監督をしていたときを含めて、やじを浴びてきた。スタンドのすぐ目の前を通る神宮球場や、かつての広島市民球場などが危なかった。

我々が負けて引き揚げるときに、お客もまた帰路につくわけだが、残っている人がいる。何か言いたいことがあるから残っているわけで、相当厳しい言葉が投げかけられるものと覚悟しなければならない。

じっと下を向いて目を合わせない

こうしてまず腹を決める。そしていざ罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛んできたら、決してそちらを向いて目を合わせてはいけない。じっと下を向いて歩く。または取り囲んでくるマスコミの記者とのやりとりで気を紛らわすこと。

いわゆる"ぶら下がり取材"の輪は、記者の方には申し訳ないが、私にとってやじから守ってくれる格好の盾だった。

人間だから、誰だってカーっとなることがある。それをどうやって抑えるか、抑えられない怒りならばどこでどう吐き出すかというところに、人間性が出る。長年ユニホームを着てきたなかで、いろんな例をみてきた。

横浜の優勝に4番として貢献してくれたロバート(ボビー)・ローズ。この人は激しかった。

ボビーの発散の儀式

とにかくチームが勝つことが大事だといって、リードしている展開で雨が降り、試合成立が微妙なときは、進行のためにボール球でも3回空振りしてさっさと引き揚げてくるようなナイスガイだった。個人記録よりフォア・ザ・チームという点で、実にあっぱれだった。

そんなボビーが、一番悔しがったのは勝負がかかった場面での凡退だった。

ベンチに返ってくると、手袋とヘルメットをベンチ前にポン、ポンと放り出す。これが彼にとってはヘルメットをたたきつけることに該当する発散の儀式だった。

バットボーイが拾ってボビーに返す。それをまたポンポンと放り出す。

だが、これを続けるとバットボーイに八つ当たりしていることになるので、2回でやめて、それで収まりがつかないときはベンチ裏に引っ込む。やがてドーンと音がしてくる。

壁やドアを蹴っているのだ。あるとき怖い物見たさで、トイレに行くふりをして、ベンチ裏をのぞいたことがある。

チーム内に相次ぎ波及

それはまるでコントだった。ベニヤのドアを蹴破った脚が、その穴から抜けなくなっていたのだ。これにはさすがにボビーも苦笑い。

施設を損壊した"罪"で、確か球場側から2万円ほどの修理代を払わされていたが、そこまで勝利に執着する姿に、プロの神髄を見た思いがした。

ボビーに習って、当時の横浜ではベンチ裏で思い切り感情を吐き出すことがはやりだした。石井琢朗、波留敏夫、駒田徳広、最後にはおとなしい鈴木尚典まで、似たようなことをやり出した。このベンチ裏の激しさが、当時の強さの背景にあった。

もっとも石井らの"爆発"を見たローズは、きっぱりと物や球場施設への八つ当たりをしなくなった。「人のふり見て我がふり直せ」で、決して格好のいいことではないと悟ったのだろう。

激しいといえば二塁への猛スライディングなど、米国式のハッスルプレーを日本に持ち込んだ与那嶺要さんも相当だった。

寝ていても忘れぬ執念

私にとってあらゆる意味での戦い方を教えてくれた人生の師匠だ。

監督として中日を率いた与那嶺さんのもとで、私は2軍のコーチを務めていた。

あるとき、与那嶺さんがスパイクでなく、スリッパを履いて脚を引きずっていた。

「ウォーリー(与那嶺さんの英語名)、どうしたの?」

「昨日の判定が忘れられなくて、審判を蹴ったんだよ、夢のなかで」

蹴られた寝室の壁はびくともせず、生身の脚の方が傷んだというわけだったが、寝ていてまで怒りを忘れないのは執念というほかなかった。

洗練された表現方法も

洗練された怒りの表現もある。

敬愛する鉄腕、稲尾和久さんのエピソード。

判定に不満だった稲尾さんが、帽子をとってマウンドから降りてきた。まっすぐホームに向かう。球審が目前に迫る。

さあ、どうなる――。球場全体に緊張が走ったとき、稲尾さんはやおら腰をかがめ、帽子でホームベースの土をさっさっと払ったのだった。

「きれいにしておくから、ちゃんと見てよ」という意味だ。

審判にとっては相当嫌みな行動なわけだが、そこはさすが稲尾さん。人格者であったから余計な反発を買うこともなく、しゃれの効いた抗議行動と判定されたのである。

怒りをぶちまけるのは素直さの裏返しで、人によっては「かわいい」なんていうでしょうが、こじゃれた表現方法もありますよ、高木さん。

(野球評論家)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン