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「球が高いですねえ」の解説は終わった

野球評論家 工藤公康

「取材される側」から「取材する側」になって1年あまりが過ぎました。テレビや新聞などメディアの解説役として別の角度から野球を見つめることは新鮮ですし、そこで改めて見えてきたものがあります。

プロ野球の選手は、いわば日本球界の頂点にいる「選ばれた人たち」。野球少年にとっては憧れの対象です。彼らは本当に輝いているんです。そのキラキラした選手からどんな言葉を導けるのかを、スタッフと意見を出し合い、真剣に議論しています。試合開始時間から4時間ほど前にはスタジアムに入るのが普通ですし、投手に単独インタビューをする前には、ひと晩かけて過去のビデオを見直したりもします。選手に話を聞く5~10分間のために、何時間も準備に費やし、緊張感を持って取材をしています。

球場に行ったことのある野球ファンはお気づきでしょうが、試合前の練習中、私たち野球評論家が打撃ケージの後ろで監督やコーチ、選手たちとひそひそと話をしていることがあります。実はあれ、世間話ばかりじゃないんですよ。打力、走力、守備力、メンタル面などについて、結構、ストレートな質問を投げかけているんです。「あの選手、打力のどんな部分が持ち味ですか?」「将来はどんな選手に育てたいんでしょうか?」。そしてそのための課題は何ですか、と。

もちろん、選手本人にも聞きます。今の選手は一生懸命に練習し、コーチが「もう、ひと休みいれようや」とストップをかけないといけないぐらい。僕の若い時代とは大違いです。その生真面目さゆえにでしょうか、インタビューをしたときに、短所と思うところも含めて自分をどう自己評価しているかを尋ねても、周囲が思うほどには嫌がらないのです。テレビの地上波での野球中継がどんどん減っている中、若い選手の長所や悩みを、何とかすくい上げて伝えたいと思っています。

野球というスポーツを報道する側に立ったときに、心に決めたことがあります。それは、「選手を否定することはやめよう」ということ。現役時代に自分が嫌だと思ったことは絶対しない、という思いが私の根底にあるのです。

当時は、打たれると必ずと言っていいほど3つの言葉が使われました。「球が甘いな」「今日はコースが高いね」「球威がない」。言われたこちらの方は「?」という気持ちを抱くこともありました。投手の本音を言わせてもらうと、球が真ん中だから必ず打たれるわけではないし、高いからヒットになるわけでもないのです。

逆に自分では狙ったコースに思った通りの球を投げたと思っても、打たれることはザラにありました。さらに言えば、投手はいつもいいピッチングができるわけではありませんし……。

打たれた投手、エラーをした野手、打てなかった打者。そんな彼らのミスを、伝える側が頭ごなしに非難して、野球の楽しみ方や面白さをどこまで伝えることができるのでしょう? そういう姿勢だと「このミスをいつか取り返してやる」という選手の熱いハート、さらには野球の醍醐味ともいえる「プラス思考」を伝えることができないと思うのです。私も現役時代はよくダメ出しをされましたが、成績を残すことでそんな見方を払拭してきたつもりです。

子供たちが野球を始めるきっかけを作っているのは誰なのか? 実際にプレーをして、野球人気を支えているのは誰なのか? 解説者であるからにはそれをしっかりと頭に入れてマイクに向かう必要があると思っています。

もちろん、プレーの評価はしなくてはいけません。ただ、ミスをした選手の足らざる部分を攻撃することに終始するのではなく、まずい守備が出た原因を打者の得意コースと守備位置との関係から読み解いたりとか、素晴らしい球をヒットにした打者の打撃技術や「読み」の鋭さから解説したりするのでなければ意味がないと思うのです。

「人を否定しても、決して育たない」。それが私の持論です。選手へのリスペクトを失い、ミスをあげつらうばかりになったとしたら、野球をする子供たちが少なくなってしまうのも当然だと思っています。プロ野球界のOBとして悲しい話ではありませんか。

今年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催され、私もつきっきりで取材をさせてもらいました。選手たちはリラックスしているようにも見えましたが、一人一人に話をうかがうと、「日の丸を背負う」という責任感、「3連覇に向け、勝たなくては」という思いがどれだけプレッシャーになっているかが伝わってきました。

危ない試合もあり、今大会が初出場ではなかった稲葉篤紀(日本ハム)、内川聖一(ソフトバンク)の両選手からさえ、一時は「チームが一つにならないと」という危機感をにじませる言葉が出ました。逆に言えば、各球団から選ばれた、日本で最も実力のある素晴らしい選手ですら、代表チームにあっては「自分が何を期待されてここにいるのか」が見えなくなってしまうのです。同じポジションの人が何人もいるだろうし、戸惑いは当然でしょう。

もう少し準備期間があった方がいいのでは、との声も聞きました。限られた時間の中でチームを作っていかなくてはならないだけに、選手は本当に大変だったと思います。

でも、不思議なもので、ひとつ勝つごとに選手は自信をつけ、チームはまとまっていきました。この短期間に、人間はこれほど成長できるものなのか、と思えるほどたくましくなっていきました。結果は準決勝でプエルトリコに1-3で敗れましたが、大会を通じて侍ジャパンらしい、機動力を生かした日本野球を世界に見せることができたと思います。何より、プロのトップ選手ですら、まだまだ伸びる余地があるのだと感じさせてくれました。世界のパワフルな野球を見た選手たちは、またひと回り成長し、日本のファンをプレーで魅了してくれると信じています。

会場となったサンフランシスコのAT&Tパークでは、多くの選手が写真を撮っていました。左翼席後方にある巨大なコカ・コーラのビン(中は滑り台になっています)やグラブといったオブジェ。日本よりもはるかに大きなスクリーン。右翼が極端に狭い特徴ある球場の形……。どれをとっても「野球をするための場所」だと感じられました。

これほどの場所は日本にはまだありません。うまく言えませんが、観客をはじめ野球が心底好きで、ミスも好プレーもぜんぶひっくるめてこのスポーツを楽しんでしまおうという「野球への愛情」がスタジアムにあふれていたのです。アメリカを目指したくなる日本の選手の気持ちがわかります。

日本の野球をもっと魅力的にするにはどうしたらいいのでしょうか。選手の頑張りは当然ですが、「取材する側」も少し変わる必要があるなと痛感しました。

今の私の立場なら、選手が日々の練習で何を考え、どんな思いで頑張っているのかを丁寧に伝えることでしょう。野球に夢や希望を抱く子供たちには、彼らの陰の努力を知ってもらい、「こんなにも考え、こんなにも練習しているのか。だから素晴らしい選手でいられるのか」と感じ取ってほしいのです。それが私が送り続けたいメッセージです。

工藤公康(くどう・きみやす) 1981年度のドラフト6位で名古屋電気高(現愛工大名電高)から西武に入団。落差のあるカーブと相手打者の心理を読んだ配球を武器に、大舞台に強い左腕として西武の黄金期を支えた。生活の乱れから一時成績が落ち込んだが、食事の改善や大学教授らと連携したトレーニングで低迷から脱却。86年から2年連続日本シリーズMVP。95年ダイエー(現ソフトバンク)にフリーエージェント(FA)で移籍、捕手の城島健司(引退)を育て、99年にチームを日本一に導き「優勝請負人」と呼ばれた。2000年には2度目のFAで巨人へ。07年から横浜に移り、10年に西武に復帰。同年オフに戦力外となり、11年12月引退を表明。プロ野球29年間で224勝142敗3セーブ。最高勝率、最優秀防御率各4度など多くのタイトルに輝く。1963年5月5日生まれ、愛知県豊明市出身。日刊スポーツ評論家。
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