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悠々球論(権藤博) 巨人・原監督、偶像化への挑戦が始まった

今の巨人なら誰が監督をしても勝つ、と思う人がいるかもしれない。それは間違いだ。昨年、中日の投手コーチとしてグラウンドレベルから原辰徳監督を観察していて、指導者として重みが出てくる様子が手に取るようにわかった。原監督の存在なくして巨人の強さはない。

昨年後半からは手も足も出ず

原監督の進境は投打、それぞれの采配に見てとれる。昨年前半までの巨人はまだ継投パターンを固め切れず、まだまだつけ込む余地があった。ところが昨年の後半からは正直言って手も足も出なくなってしまった。

最終的に中日は75勝53敗と22個の貯金を作ったが、巨人は86勝43敗と43個の貯金を作った。これはもうお手上げである。

クライマックスシリーズで中日は王手をかけるところまで行った。最後は力負けしたけれど、断トツでシーズン1位となったチームが1勝のハンディしかもらえないことが、同業者としてみて気の毒だった。

投手心理の細部にまで配慮

原監督に「敵ながら、あっぱれ」と思わされたことの一つに、抑え投手の起用法がある。去年の前半までは特に誰が抑えという形で決め打ちするのでなく、山口鉄也やスコット・マシソン、西村健太朗を緩やかな役割分担のなかで、柔軟に使っていた。

いずれは西村を抑えに、という線ははっきりしていていたが、とにかく3人が束になって終盤の七、八、九回を戦うという形を強調していた。

これには確たる理由があったと思う。抑えに回ってまだ経験の浅い西村に、いきなり大役を任せるのは危険だ。失敗が重なったときに立ち直れないような傷を負いかねない。その点、プレッシャーを3人で均等に分けて担えば、1人だけに負荷がかかることなく、力を出し切る環境が整う。

"生涯投手コーチ"である私にとっては、投手をいかにプレッシャーから解放し、攻めの投球をさせられるかというテーマがライフワークだ。その視点で原采配をみると、投手心理の細部にまで配慮していることがよくわかるのだった。

その3人がきっちりと持ち場をこなすようになった昨シーズンの後半は盤石だった。中日も1点差ゲームに持ち込めば戦えるという自信はあったが、巨人の接戦での強さははるかに上だった。原監督の中長期的な視点がなければ、あそこまで堅い継投パターンは確立できなかっただろう。

攻撃に変化、思い切った作戦も

今年の原采配をみていて思うのは「そろそろ、偶像監督への仲間入りを意識しているのかな」ということだ。

今までは元スター選手が知名度を買われて監督になった、という印象だった。ところが今年は「元スター選手であっただけの監督」から大きく踏み出し、いよいよ名将・知将への道を歩み始めた、という感じがするのだ。

第1期監督時代(2002~03年)を含め、今季で監督生活10シーズン目になる。偶像化されるには一定の年限を務めることが必要になろうが、まずそこはクリアしつつある。

原監督が「偶像化」を意識していると思う根拠として、バント一辺倒ではなくなってきた攻撃の変化を指摘したい。

3月31日の広島戦は延長十一回の表に勝ち越しを許した。その裏に無死一、二塁として巨人ベンチが2番の脇谷亮太に出したサインはバントではなかった。

強打した脇谷は同点二塁打を放ち、阿部慎之助のサヨナラ打につなげた。脇谷の前の1番長野久義の打席でもバントはしなかった。3番の坂本勇人でもバントをさせるのが巨人の野球と原監督は言っているらしいが、一方ではこうした思い切った作戦もとっている。

1、2番をうまく使えるように

1、2番という脇役をうまく使えるようになった。もともと中軸のしっかりした巨人だからこうなってくると手がつけられない。私の好きなゴルフでいえば、ドライバーも飛ぶし、アプローチも完璧、パターのラインの読みもバッチリという状態で、死角がない。人をベタ褒めするのは私の趣味ではないが、それが今の原監督だ。

こうした采配の背景にうかがえるのは長嶋茂雄ばりの「野球はエンターテインメントである」という意識かもしれない。

今の巨人はバントをしてもしなくても勝てるだろうが、野球はやはり面白くないとダメだということを考え始めたのではないか。ただ勝つばかりでなく、いかに勝つか。そこを意識し始めたようなのだ。

強いチームが名将を生む

選手に任せ、どっしり構えていられるのもチームの底力があればこそかもしれない。そうはいっても、強いチームを預かったら誰でも自由自在に采配を振るえるかというとそうではない。

ガンガン攻めていける状況でも、自分の色を出せない監督はいる。恵まれた状況を生かして采配のレパートリーを増やしている原監督はやはり新たなステージにあがったとみていいだろう。

そもそも名将・知将というのは自分でなるものではなく、強いチームが名将を生むという側面がある。原監督は特段恵まれているわけでもなく、今まで名将といわれてきた人たちと同じ道をたどっているにすぎない。

私の見立てでは昨年6月、女性がらみのスキャンダルが報道されたのを境に、原監督はがらっと変わった。一時は進退すら取り沙汰されたが、そこからが強かった。「煮るなり焼くなりどうとでも」といった開き直りすら感じさせ、采配がさえていったのだった。

「歴史はちゃんと見ているからな」

今年評論家に戻った私は先日、東京ドームで原監督に挨拶をした。手招きされるままについていくと、そこはロッカーの奥の監督室だった。

三原脩、水原茂、川上哲治といった球史に残る監督の色紙が飾ってあった。

「いずれこの人たちの中に入って行くんだろう」と私は言った。

「そんなことは自分でどうこう言えることじゃありませんよ」と苦笑いする原監督。

「だけど歴史というのはちゃんと見ているからな」と私。

確かに名将かどうかは、自分で決めることではない。しかし、いずれは歴史が評価を下すだろう。少なくとも現時点で原監督が"偶像監督"に至る階段の下にたどり着き、一歩を踏み出そうとしているのは間違いないのだ。

(野球評論家)

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