命懸けの遊び求め アルパインクライマー・平出和也(上)
平出和也(ICI石井スポーツ所属、33)は、80歳で3度目のエベレスト登頂を目指す冒険家・三浦雄一郎の撮影を引き受けた。プロの山岳カメラマンの肩書を持つようになったのは、ほんの数年前だ。

8000メートル峰14座を極めた竹内洋岳の10、11座目(2008年のガッシャーブルム2=8035メートル→ブロードピーク=8051メートル)のサポート兼カメラマンとして、翌年にはフィンランド人のベーカー・グスタフソンに指名され、彼の14座目だったガッシャーブルム1(8068メートル)を登頂、撮影した。
■極限の世界、カメラに収める
平出は登山家として、08年にインドのカメット峰(7756メートル)の未踏南東壁をパートナーの谷口けいと克服し、世界の登山界で最も権威のあるフランスのピオレ・ドール(金のピッケル)賞を日本で初めて受賞している。
岩と氷のほぼ垂直の世界を、自らを撮影しながら様々な手法をこらして極限の世界を切り取っていく。
肩書は「アルパインクライマー」がふさわしい。「未知への探究と環境の整わない場所で自らのルートを切り開く先鋭的な登山家」という意味で。
■「初登はん」「未踏ルート」が誇れる履歴
略歴を見れば、エベレストをはじめ8000メートル峰5座登頂の記録はあるが、平出には意味を持たない。それより「初登はん」「未踏ルート」の戦跡の数々が彼の誇れる履歴となる。
「ベーカーが僕をカメラマンとして指名してくれたのも、8000メートルで確実に撮影ができる人はそんなにいないから。彼らはアスリート的なクライマーで、動きは速く、高度順化という点でも短期速攻型なので、ついて行けるカメラマンが本当にいない。僕しかできないことなのかなと思っているんです」
彼の好奇心が向かう先は尋常な世界ではない。
「僕は人ができないことをやりたい。人ができるものは人がやればいい。僕しかできないことを実現することが重要なんです」と。
長野県富士見町で生まれ、小さい頃から父に山へ連れて行かれたが、まだ山の世界は見えていない。
小中は剣道少年(長野県3位)、高校は東海大三高で競歩と出合い全国6位。さらに東海大に進んで、2年間競歩に取り組み日本選手権で10位となった。その時「ふと、人と競うのはもう十分だと思った」。
■人と競うことに疲れ、限界感じる
「真の強さというのは、守られた環境の中で競技するのではなくて、そのグラウンドを出たところでいかに高いパフォーマンスができるかではないのか」
人と競うことに疲れ、限界を感じてもいた。だから「自分と真に向き合えるようなことをしたかった」。
真剣に命懸けで遊べるものを求めていた時だった。「自分で登る山を決め、ルートを決め、メンバー、装備を決める。すべてが自分の責任で、それが即、生きるか死ぬかにかかってくる。100%、自分で背負うような活動をしたかった。それが山だった」
3年生から山岳部に入り、2年でヒマラヤに立ち、未踏峰の7000メートルのルートの3分の1を自ら切り開いた。恐ろしいほどのスピードでステージを駆け上がってきた。
(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊3月18日掲載〕