人生初のリタイア 別大マラソンはつらかった - 日本経済新聞
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人生初のリタイア 別大マラソンはつらかった

編集委員 吉田誠一

今シーズンは2月3日の別府大分毎日マラソンにターゲットを絞り、準備に4カ月近くを費やしてきた。だからこそ、レースを終えて間もなくは、たまらなく空虚な気持ちを味わった。風邪で体調が優れぬままにスタートし、ゴールにたどり着くことができなかったのだから。

体調不良なのに練習を続行

簡単に言えば、「ランナー失格」ということになる。10日ほど前にノドを痛め、体が微熱を帯びるようになった。本番の8日前の土曜日の夕方、熱は39度近くまで上がった。熱冷ましの薬が効いて、3時間ほどで熱はかなり下がったが、体のだるさはずっと残った。

冷静に考えてみると、その時点でもうトレーニングはあきらめ、1週間、体を休めることに徹すれば良かったのだろう。しかし、私はそこまで開き直ることができなかった。翌日の夕方、熱がそれほど高くないと判断し、本番前の最後の強いトレーニングとして8キロのレースペース走(つらいので5キロと3キロに分けた)を敢行した。

その後もほぼ1日おきに、少しずつ走った。脚力を落としてしまうのが怖かったのだ。当然、胸はぜいぜいし、スピードを持続するのはつらく、気分良く走ることはできなかった。走り終わると、また体が熱っぽくなった。

仕事もあるので、風邪で弱った体を休めることはまったくできなかった。本当にバカだよねえ、と思う。

レース前日も不安でいっぱい

レース前日、大分に飛んだが、「さあ、いよいよ本番だ」という、わくわくした気持ちにはなれなかった。微熱があって、軽いセキが出る。胸と頭がすっきりしない。頭の中は「大丈夫なんだろうか」という不安でいっぱいだった。

前夜は、もうレースを走り終えたかのように体が重く、10時間半もぐっすり眠った。たぶん体は何より休養を欲していたのだろう。

当日の朝になっても体調は戻らなかった。なるべく体の負担を軽くしようと思ってホテルですごし、スタート地点にはぎりぎりに出掛けた。

知り合いのランナーと顔を合わせるたびに、「どのくらいのペースで走るんですか」と尋ねられる。当初の予定では1キロ=4分30~35秒で進めるはずだった。

気象コンディションは申し分なし

こうなってしまうと、それはとても無理だろう。「残念ながら風邪気味でね。とりあえず、4分40秒ペース(5キロ=23分20秒)で様子をみます」と答える。様子をみて、ダメだったらどうするのか? あまり先のことは考えられない。

別大マラソンへの出場は3年連続3度目で2011年は3時間24分57秒、昨年は3時間16分13秒の自己ベスト(当時)で走っていた。風向きが気になるが、フラットで走りやすいコースだと思う。この日の気温は11度で晴れ。気象コンディションは申し分がなかった。実際、川内優輝選手(埼玉県庁)が2時間8分15秒の大会新記録で優勝している。

そうはいっても、私のほうはどうなることやら、さっぱり予測が立たなかった。最初の5キロは22分47秒、5~10キロと10~15キロは23分14秒ペースで進んだ。ペースとしては悪くない。

2キロ地点で早くもリタイアが頭に

しかし、2キロ地点で早くも「やめたほうがいいかも」という考えが浮かんできた。3キロ地点でも、同じ考えに襲われた。「でも、こんな早くリタイアする選手いる? みっともないよ、それは」という思いが勝り、歩みを進める。

「もう少し、いけば体の具合が良くなるかもしれない」という神にすがるような思いもあった。確かに10キロあたりまで頑張ると、リズムは出てきた。自己ベストを出すのは難しいが、5キロ=23分20秒ペースなら最後まで保てるかもしれないという希望が芽生えてきた。

だが、そんなにうまく事は運ばなかった。15キロを越えたあたりで、「もう、やめたら?」というささやきが強さを増してきた。どうも体に力が入らない。力が湧いてこないのだ。

結局、その後はずっと「どこまでいったら、リタイアしよう?」と考え続けることになる。完全に思考は後ろ向きで、戦意ゼロ。死に場所を求めているかのような戦いはつらかった。

いろんな思いが渦巻き、迷う

もちろん、レースを途中で捨てるにはある種の勇気がいる。何しろ、ここまでのランニング人生で一度も途中リタイアの経験がない。ここでやめたら、途中棄権のクセがつくのではないだろうかと思い、足を止めるのが怖くなった。そんなことになったら、このコラムで恥をさらすことになるという考えも浮かんだ。

頭の中にいろんな思いが渦巻き、私は迷った。「この体調ではリタイアしても仕方がないではないか」「スタートしたこと自体が間違いだったのだ」「でも、スタートしたからには、風邪を言い訳に途中棄権するのはずるい」「ただ、苦しみから逃げたいだけではないか」「本当は体調はそれほどひどくないのではないか」

別大のコースは27キロと36キロ付近で、ゴールの大分市営陸上競技場の脇を通るようになっている。やめるなら、そのどちらかがいいだろうと思っていた。スタートで預けた荷物はゴール地点に運ばれている。このどちらかでリタイアすれば、あまり寒い思いをせずに、歩いて競技場まで行ける。

知り合いの女性に励まされ

何事もなければ、私は27キロでやめていた。だが、そのとき、広い道路の反対側から「吉田さーん、吉田さーん、吉田!」というゲキがとんできた。応援に来ていた知り合いの声は「こら、吉田、何してるんだ」というふうに聞こえた。こりゃ、やめられないわ。

踏ん切りがつかず、よたよたと走り続ける。徐々にペースダウンし、25~30キロは途中で一度、足を止めたため25分24秒、さらに2、3度歩いた30~35キロは28分58秒まで落ちた。私を抜いていく顔見知りのランナーが「どうしたんですか。やめる? そんなこと言わないでよ」と励ましてくれる。

そう言われても、もう体に力が入らない。それ以上に気持ちがなえていた。36キロでのリタイアを決意した。しかし、先述した知り合いの女性は私を見つけると、再考を促した。というより途中棄権を許さなかった。

「本当にやめちゃうの? それで後悔しない? よく考えなさい。(係員に)止められるまで走りなさい」

私はここでようやく目覚めた。ほおをひっぱたかれたようなものだった。「そうだよな。走り始めたのだから、その責任を果たさなくてはいけない。それが競技者というものでしょ。逃げてはダメだよなあ」

そこまでの道のりを振り返ってみると、ずっと、苦しみから逃げることばかり考えてきた。途中でやめることしか考えていなかった。ゴールを目指していなかった。情けないことに、ちっとも戦いに挑んでいなかった。

40キロの関門を通過できず

不思議なことに、私の心はこの36キロ付近で定まった。とにかくゴールを目指そう。ペースは上がらなかったが、歯を食いしばった。「途中でやめよう」という思いはその後、一度も浮かばなかった。歩くこともなく、苦しみと戦った。

結果的には、3時間20分に設定されていた40キロの関門を通過することはできなかった。1分ほどの遅れで、無情にも最後の2.195キロは走らせてもらえなかった。バスに収容されてゴールに運ばれた。

35回目のフルマラソン、75回目のレースで初めての途中棄権だった。最後まで走れなかった無念さは当然ある。めったに病気にかからないのに、大事なところで風邪を引いた自分をのろいたくなる。

4カ月も準備をしてきたのに、その努力がパーとなったむなしさが、何より私を打ちのめす。寂しいったら、ありゃしない。オレの4カ月を返せと力なくつぶやきたくなる。

しかし、これがマラソンであり、これが人生なのだろう。かなり無理をして、大人ぶって、そう思うことにする。

ボロボロだったが、最後の4キロは充実

こんな悲しい結果になったが、ただ一つ良かったのは、36キロから40キロの関門まで必死に走ることができたことだと思っている。あの4キロだけは無心になって駆けることができた。実は40キロの関門のことなど頭になかった。止められるとは思っていなかった。何も考えず、懸命に走った。

体はぼろぼろだったが、どういうわけか、あの4キロは結構、楽しかったよなあ、といま思う。充実した4キロだった。タイムのことなど頭からすっとばして、ひたすら歩を進めたあのときの気持ちを忘れてはいけない。あれがマラソンの醍醐味なのだろう。

悲しくて、寂しくて、むなしいけれど、まあ、良かった。おかげさまで、私は後悔せずに済んだ。

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