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香川vs.吉田 プレミアで実現した夢の「日本人対決」

サッカージャーナリスト 原田公樹

ついにイングランドにも、こんな日がやって来たのである。これまで日本人選手にとって「鬼門」とされたプレミアリーグで"日本人ダービー"が実現した。30日、MF香川真司が所属するマンチェスター・ユナイテッド(マンU)が、本拠地のオールドトラフォードでDF吉田麻也とFW李忠成のいるサウサンプトンと対戦。香川は左MFとして、吉田は右センターバックとしてそれぞれ先発した。

香川と吉田がマッチアップする場面も

まだリーグ戦で出場機会のない李はベンチスタート。それでも、試合前に配られた「チームシート」と呼ばれるメンバー表には、3人の日本人選手が名前を連ねたのである。

結局、サウサンプトンの李は出場機会がなく、同時に3選手がピッチに立つことはなかったが、マンUの香川は左MFとして先発して前半8分にFWルーニーの同点ゴールをアシストするなど活躍、後半は右MFとして28分までプレーした。サウサンプトンの吉田はセンターバックでフル出場して攻守両面で奮闘した。

香川と吉田は試合中、マッチアップする場面もあり、73分間にわたって日本人対決が実現したわけである。試合は首位に立つマンUが地力を発揮して、2-1で逆転勝利を飾った。

香川、吉田のプレーに高評価

今季はこの3選手と、アーセナルからウィガンへ期限付き移籍しているFW宮市亮を加えた計4人の日本人選手がプレミアリーグでプレーしている。

だから今季「日本人ダービー」が実現するのは、時間の問題だったが、長年、イングランドサッカーを取材し続けてきた私としては、ようやくこの日が来たか、と感慨深い夜だった。

しかもこの歴史的な一戦の前半は、香川にとってマンU移籍後のベストゲームだったし、後半の吉田はサウサンプトンで最も活躍した選手だった。

これは決して日本人のひいき目ではない。試合後、複数の地元英国人記者も「前半はシンジ、後半はマヤの試合だった」と話していた。実際、翌日の英国大衆紙の採点でも、それぞれチーム最高点がつけられていた。

単なる「日本人ダービー」という現象だけでなく、試合内容の面でも大きなインパクトを残したのである。

長らく、この世界最高峰のリーグであるプレミアリーグは、日本人トップ選手たちの挑戦を拒み続けてきた。なぜ今回、この歴史的なダービーが実現したのだろうか。この10年を振り返ると、日本サッカーの成長の歩みが見えてくる。

かつて日本代表で活躍した稲本だが、プレミアでは当初、順応できずに苦戦した

01年に稲本と西沢が初めてプレミアに

1992~93年シーズンから改組改称されて始まったプレミアリーグ。そのクラブへ初めて日本人選手が移籍したのは、ちょうど10年目の2001~02年シーズンだった。

G大阪からアーセナルへ期限付き移籍した稲本潤一(現川崎)と、C大阪からボルトンへ期限付き移籍した西沢明訓(直前はスペインのエスパニョールに期限付き移籍していた)の2人だ。

さらに01年10月にはGK川口能活が当時ファーストディビションと呼ばれた2部リーグのポーツマスへ移籍。02年のワールドカップ(W杯)日韓大会を前に、イングランドで日本人選手が活躍する元年になると思われた。

だが、西沢と稲本はこのシーズン、リーグ戦への出場機会がなかった。2人が出場するカップ戦やリザーブリーグを取材するため、ずいぶん地方の小さなスタジアムへ行ったものである。

プレミア特有の速さなどに順応できず

稲本はプレミア特有の速さやフィジカルにうまく順応できずに苦戦。西沢は本来、センターフォワードだったが、サイドで起用されることが多く、チームになじめなかったことが原因だった。

川口もまたリーグ戦11試合に出場したが、結局レギュラーに定着できなかった。

02年W杯が日本と韓国で開催されたあとの翌シーズン、西沢はC大阪へ戻ったが、稲本はフラムへ期限付き移籍。MF戸田和幸が清水からトットナムへ移籍した。

稲本は持ち前のフィジカルの強さを武器にして19戦に出場して2得点とまずまずの活躍だったが、戸田は4戦に出場しただけ。プレミア独特の速いゲーム展開に慣れずにレギュラーに定着できず、日本人ダービーは実現しなかった。

川口はシーズンを通じてほとんど出番はなかったが、プレミア昇格をすでに決定し、消化試合だったリーグ最終戦の後半頭から途中出場した。

中田vs.稲本は実現せず

翌シーズン、戸田はデンハーグ(オランダ)へ移籍し、川口はノアシェラン(デンマーク)へ移籍した。イングランド唯一の日本人選手だった稲本は、引き続きフラムで準レギュラーを獲得し、22戦に出場して2得点を決めた。

なかでもアウェーのマンU戦で決めたスライディングゴールは10年近くたったいまでも、繰り返しテレビでも映像が流れる。この試合はフラムが3-1で勝利したこともあり、フラムファンの間では語り草になっている。

04年6月の日本代表―イングランド戦で左足骨折の重傷を負った稲本だったが、04~05年シーズンはウェストブロミッジ(WBA)へ移籍。試合勘を取り戻すため、チャンピオンシップのカーディフへ期限付き移籍し、その後WBAへ復帰したものの、プレミアリーグには3戦に途中出場しただけだった。

その翌シーズンはフィオレンティーナ(イタリア)から中田英寿がボルトンへ移籍してきた。中田は卓越したテクニックを武器に準レギュラーとして21戦に出場して1得点。ケガから完全復活した稲本もWBAで準レギュラーとして22戦に出場したが、日本人ダービーは実現しなかった。

昨季、宮市が日本人として5季ぶりにプレミアの舞台に

06年W杯ドイツ大会を最後に中田は現役から引退。2部へ降格したウェストブロミッジの稲本は、ガラタサライ(トルコ)へ移籍した。06~07年シーズンから4シーズンは、イングランド2部リーグ以上でプレーした日本人は1人もいなかった。

10年の南アW杯後、MF阿部勇樹が浦和から、チャンピオンシップのレスターへ移籍。レスターはプレミアリーグ昇格候補の一番手とされたが、結局10~11年シーズンに昇格できなかった。阿部は1年半プレーしたあと、12年1月に古巣の浦和へ戻った。

昨季(11~12年シーズン)の前半は宮市が所属元のアーセナルでプレー。リーグ戦への出場機会はなかったが、シーズン後半はボルトンに期限付き移籍して、プレミアリーグで12戦に出場。実に5シーズンぶりに日本人選手が、プレミアの舞台でプレーしたのである。

そして迎えた今季、4人の日本人選手がプレーしている。

現在も含め、かつてイングランドの2部以上のクラブに所属した選手は11人いる。そのうちプレミアリーグに出場したのは、わずか6選手しかしない。

中位以下のクラブでもレベル高いプレミア

プレミアリーグはパスやシュートやプレースピード、展開がものすごく速い。それに対応できるだけの体力や肉体、そして技術が要求される。とくにこの10年は、スポーツビジネスとして大成功を収め、高給を求めて世界中から代表クラスが集まってくるため、よりレベルが上がっている。

また他国のリーグと異なり、特定のチームだけが常に強いわけではなく、20チームの実力が、最も拮抗したリーグといわれる。かつてはマンU、チェルシー、リバプール、アーセナルが4強といわれていたが、現在はこれにマンチェスター・シティーやトットナムを加え、5強とも6強ともいわれる。下位チームがこれら5強や6強に勝つことも珍しくない。

そのため平均的にレベルが高い。日本のトップの選手たちが、たとえ中位以下のクラブでも、簡単にレギュラーを奪えなかったのは、そのためだろう。

「時代じゃないですか?」

サウサンプトンの吉田は今回のマンU戦を含めて、20試合連続でプレミアリーグ戦にフル出場を続けている。このままいけば、今季末には史上最もプレミアリーグで成功した日本人選手ということになるだろう。その吉田にちょっと気は早いが「なぜ長年、日本人選手が越えられなかった壁を吉田選手は越えることができたのか」と聞いてみた。

すると「俺は1ミリも成功したとは思ってませんよ。でも、どうなんですかねぇ。時代じゃないですか?」と返ってきた。自らの努力も相当にあるのだろうが、そんなことはおくびにも出さず、そう答えたのである。

確かに相対的に見れば、時代なのかもしれない。日本サッカーの強化策は90年代初頭から本格的に始まった。Jリーグが開幕し、W杯を日本で共催し、女子を含めた各年代の代表が各W杯に出場する時代になった。いまや日本代表のメンバーを見れば、23人中15人程度が欧州のクラブでプレーする選手たちだ。

日本人ダービーを実現させた吉田は24歳、香川は23歳。日本サッカーの強化に費やした年月とおよそ符合する。スポーツとは一朝一夕に強くなるものではなく、長い歴史の上に成り立っているものなのだと、改めて感じた。

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