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選手らが生きた教材 指導者も「現場」でしか学べない

直属の上司は外国人――。そんな職場はもう日本の会社でも珍しくないのだろう。それを職場の国際化というのなら、サッカーはJリーグが1993年にスタートしてから猛スピードでそちらの方向に突き進んできた。そして、外国人上司に仕えた経験を生かして、独り立ちする優秀な日本人の部下も出てきた。昨季のJリーグ王者、広島の森保一(もりやす・はじめ)監督もそんな一人である。

山本昌邦氏

Jリーグ王者になった日本人監督は7人だけ

これまでJリーグでリーグ王者になった経験を持つ日本人指導者は松木安太郎(東京V=93、94年)、早野宏史(横浜M=95年)、桑原隆(磐田=97年、99年)、鈴木政一(磐田=2002年)、岡田武史(横浜M=03、04年)、西野朗(G大阪=05年)、そして森保監督の7人しかいない。

06年から浦和・ブッフバルト、鹿島・オリベイラ、名古屋・ストイコビッチ、柏・ネルシーニョ監督と6年連続で外国人監督がリーグを制した。森保監督はそんな世界にくさびを打ち込んでくれたわけである。

選手時代はいぶし銀のボランチだった。93年のW杯米国大会予選では「ドーハの悲劇」という辛酸もなめた。選手・森保を発掘したのは当時の日本代表監督だったオフト氏で、森保はオフト・サッカーの申し子ともいわれた。

広島から京都を経て03年に仙台で現役最後のシーズンを終えると、間を置かずにコーチ業に転身。04年は古巣の広島の育成部門で、05年からは吉田靖監督の下でU-19(19歳以下)日本代表のコーチを務めた。このチームはアジアの壁を乗り越え、07年のU-20W杯カナダ大会でベスト16に勝ち進んだ。

森保監督が開いた新しい扉

大会後は広島に戻り、ペトロビッチ監督(現浦和監督)を補佐した。10年からは同じ"ドーハ戦士"である黒崎久志監督に請われて新潟のヘッドコーチに就任。ペトロビッチ監督が浦和に転じると、その後任として広島に呼び戻され、監督就任1年目で優勝の快挙を成し遂げたのである。

オフト氏からはサッカーをロジカルにとらえるすべを、ペトロビッチ監督からは攻撃的なスタイルを学び、そこに自身の持ち味ともいえるバランス感覚をブレンドして快挙につなげたのだろう。外国人上司に仕えた経験を無駄にしなかったのだ。

森保監督以前の日本人の優勝監督にJリーガーとしての経験はない。森保監督はJリーグでプロ選手となり、優勝した日本人指導者の第1号でもある。そういう点でも彼は新しい扉を開いたと思うのである。

私が森保監督に賛辞を惜しまないのは、その歩みを振り返れば分かるように、一途に「現場」でコーチとしての自分を磨いてきたことにも好感を持つからだ。放送席に座って解説の仕事をするとか、回り道を一切してこなかった。アンダーエージとはいえ代表の仕事も経験している。クラブ、代表の両方の仕事に通じているのは彼の強みだろう。

文献などから得られる知識量には限り

私がやけに「現場」を強調するのは、仕事とは結局、現場でしか学べないからである。文献やスタンドから得られる知識量など、しょせんは限りがある(新しい知識を求め続ける姿勢はもちろん大切だが)。

現場には知識以上のもの、自分の予測をはるかに超えた刺激がそれこそ、ごろごろ転がっている。監督が、仲間のスタッフが、そして何よりも選手たちが生きた教材になってくれる。

かくいう私も選手から多くのことを学ばせてもらった。プロ選手の経験もなく、日本代表ではあったけれどW杯に出たこともない私に比べれば、よほど高い経験値を持った選手が周りにいた。

磐田のコーチだったころ、98年のフランス大会で初めて日本選手としてW杯の舞台に立った中山雅史や名波浩たちから、どれだけ多くのヒントを得たことか。

忘れ難いアトランタ五輪のブラジル戦

トルシエ監督の下でコーチを務め、02年W杯日韓大会を戦ったときは史上初の連続だった。ベルギー戦で取った初めての勝ち点1、ロシア戦でつかんだ初めての勝利、チュニジア戦で決めた初のベスト16……。その場に居合わせたことは、まさにコーチ冥利(みょうり)に尽きることばかりだった。

メキシコ五輪以来、28年ぶりに出場したアトランタ五輪のブラジル戦も忘れ難い。ただでさえ緊張する初戦。舞台となったマイアミのオレンジボウルは、ロッカールームがブラジルと壁一枚隔てた隣同士だった。試合前の最後のミーティングの際には、お互いの声が聞こえてくるくらいの距離感。ブラジルは明らかに威嚇にかかったのだろう。

すごい音量のわめき声をあげ、壁を手でバンバンたたいて気勢をあげた。こちらも「なめられてたまるか」と大音量でお返し。両チームのそんな応酬で壁が壊れるんじゃないかと思った。

試合前からそういう心理戦が始まっていることは、ロッカールームにいて初めて分かることだ。とんでもない不測の事態に監督がどう対応したか。それに選手がどうリアクションしたか。それが試合にどう作用したか。

試合後、選手はどういう態度をとり、いい流れを加速させるために、あるいは悪い流れを断ち切るために、コーチたちは次の練習にどんな態度で臨むべきか。そうしたことはすべて現場にいないと学べない。

選手寿命が伸びることによる皮肉な結果

ちょっと心配なことがある。スポーツ医科学の発展は練習と休養の理想的なサイクルをもたらし、選手寿命をどんどん伸ばしている。それはそれで結構なことなのだが、現役を長く続けるほどコーチとしてのスタートは遅れる、という皮肉な結果ももたらしている。回り回ってプロの監督としてのスタートを切るのが40代の半ばになってから、ということも珍しくない。

これは個人的な意見になるが、コーチの仕事に就くのは早いに越したことはない。私も30代で仕事を始め、40前には中村俊輔(現横浜M)や宮本恒靖、柳沢敦(現仙台)らを率いてU-20W杯を戦っていた。

私ごときでは説得力がないというのなら、世界に目を向けてもらいたい。マンチェスター・ユナイテッドの名将ファーガソン、レアル・マドリードのモウリーニョ監督も若くしてコーチ業にまい進した。FCバルセロナを最強軍団に仕立てたグアルディオラ氏(来季からバイエルン・ミュンヘン監督)も監督就任は37歳のときである。

コーチは若いうちから始めるのがいい

監督業は幾つになってもやれる面はあるが、コーチとなると余計に若いうちから始めるのがいいと思う。現役を退いて間もなくなら体はいくらでも動く。選手と一緒にプレーして見本となるプレーを実演できる。若い選手にはいい刺激になるはずだ。

指導者として一番重要なコミュニケーション能力を磨くにも時間はかかる。そういう意味でも修業は早い方がいい。コーチと選手では当然立場は違う。選手時代は監督やコーチやチームメートの話がつまらないと思えば、耳をふさいでも良かった。

プロになる選手というのは基本的に頑固というか、「自分はこうだ」というものを持っているから、それで通せるケースもある。

耳を貸そうとしない選手も含めて一つの方向に

しかし、指導者になれば、そうはいかない。人の話に耳を貸そうとしない選手にも自分の考えをしっかり伝えるのが仕事になる。それも「説明」ではなく「説得」のレベルで。

現役時代の感覚の延長で「聞かないやつは、それでいいんじゃないの」ではすまない。代表チームのように「ダメなら選手を取り換える」ことができないクラブチームではなおさら、預かった選手をどうにかして戦力化しないと勝利に近づけない。「話したくない」「聞きたくない」とそっぽを向いている選手も含め、チームを一つの方向にまとめていくには、やはり場数を踏む以外にない。

チームという職場は生き物で監督と選手、選手同士、摩擦やぶつかり合いは絶えない。コーチの仕事は「何かを教えること」「選手を育てること」という程度の認識では遅かれ早かれ壁にぶつかってしまう。

W杯優勝国は、すべて自国の監督に率いられたチーム

選手が一番伸びるのは、自分で長所や短所に気づき、それをどう伸ばしていくか、どう埋めていくか、自分で考え始めた時だ。聞く耳を持つようになるまで、じっくり説得するのは骨の折れることではあるが、自分で得心がいって前向きになれた時、人はすごいエネルギーを発揮する。

そういう引き上げるタイミングとか、その機をとらえて選手の求める刺激を的確に与えられるかどうかは、経験がないと難しい。そういう過程を「あの選手はこうやって伸びていったな」「チームはこうやって強くなっていったな」と体験的に学べるのは、どうしたって現場だけなのである。

このコラムを読んで下さっている方は、過去のW杯優勝国は、すべて自国の監督に率いられたチームだった、という事実をご存じだろうか。外国人監督が代表チームを率いてW杯に優勝した例は一つもない。ブラジルもイタリアもドイツもアルゼンチンもウルグアイもフランスもイングランドもスペインも、みんな同じ言語を共有する監督と選手で頂上を極めた。

思うに、W杯のようなシビアな戦いになると、勝敗を分けるのは本当に小さなディテールの部分になるのだろう。

外国人監督を減らせと言いたいのではなく…

上に勝ち進めば進むほど空気は薄くなっていき、一歩、足を前に運ぶのも大変になってくる。そういう過酷な状況でチームを一つにまとめ上げながら頂上にたどり着こうとすれば、同じ言語や文化を共有する者同士のコミュニケーションが最後はモノを言うのかもしれない。

なでしこジャパンが男子より一足先に世界の頂点に立てたのも、佐々木則夫監督という希代のコミュニケーターの存在抜きに語れないだろう。

誤解してほしくないが、私は「だから外国人監督に代表を任せるのは間違っている」とか「Jリーグから外国人監督の数を減らせ」などと言いたいのではない。

私のコーチ修業にオフトやトルシエ、スコラリ(現ブラジル代表監督)、ビラルド(元アルゼンチン代表監督)の4氏らが施してくれた果実は計り知れないものがある。

日本サッカーがいくら強くなっても、外国の監督やチームや選手から学ぶことは決して尽きない。外との交流を閉ざし、切磋琢磨(せっさたくま)をやめてしまったら途端に奈落の底に落ちるのがサッカーの世界である。むしろ今よりもっと往来を盛んにしてほしいくらいだ。

若い気鋭の日本人監督いでよ

私が強調したいのは、代表監督を日本人にしないとW杯に勝てない、ということではない。過去の事実を顧みて、優勝を狙わせるに値する日本人監督に早く出てきてほしい、ということである。

幸いなことに、今の日本の選手の経験値はどんどん上がっている。W杯に出た、だけではなく、W杯で勝った選手も、W杯で点を取った選手も、ヨーロッパのビッグクラブで活躍する選手もいる。それは見方を変えれば、素晴らしい指導者予備軍がどんどん増えていることを意味する。

こう語る今も、日本で、外国のどこかで、森保監督のように研さんを積んでいる日本人コーチがきっといる。そういう中から、あるいは指導者予備軍の中から、いつか必ずW杯優勝を託すに足る日本人指導者が出てくるだろう。

(サッカー解説者)

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