錦織、シャラポワ…米IMGアカデミーからなぜ育つ

今年最初のテニスの四大大会、全豪オープン(27日まで)で、昨年の8強に続き16強入りした錦織圭(23、日清食品)。この日本のエースが13歳から練習拠点としているのが米フロリダ州のIMGニック・ボロテリー・テニス・アカデミーだ。全豪オープンで4強入りしたマリア・シャラポワ(ロシア)ら数々のトップ選手が育ったこのアカデミーは、いったいどんな場所なのか。
■広大な敷地にテニスコートが50面以上
昨年末、IMGニック・ボロテリー・テニス・アカデミーを訪ねたところ、とにかく広いことに驚かされた。カート自動車が敷地内のあちこちを走り回っている。
この施設はテニスが有名だが、そのほかにもサッカー、アメリカンフットボール、野球、ラクロス、ゴルフ、バスケットボールのアカデミーもある。
正面玄関を入ってすぐのところに美容院、ネイルサロン、カフェテリア、ジム、訪問客用の宿泊棟、寮などが並んでいる。もちろん、テニスコートも広がっていて、全米オープン基準のハードコートがアウトドアに35面、インドアに4面、またクレーコートも16面ある。
■コート入り口に名選手の名が書かれたボード
一番近くに観客席付きのコートがあり、その入り口にはアカデミー出身選手の名前が書かれたボードが掲げられていた。
アンドレ・アガシ、ピート・サンプラス、モニカ・セレシュ(いずれも米国)といったかつての名選手のほか、現役ではシャラポワ、エレナ・ヤンコビッチ(セルビア)ら、そうそうたる選手の名前が並ぶ。もちろん、その中には錦織の名もある。
米国のウィリアムズ姉妹のように数年間ここで指導を受けただけの選手もいるが、錦織、シャラポワ、ヤンコビッチはアカデミー育ちだ。
アカデミー生はビデオ選考で合格した子、有望と見込まれてアカデミーにスカウトされた子もいれば、「各国のテニス協会や奨学金を出す団体に頼まれ、選手の選抜を引き受けることもある」とディレクターのロハン・ゴエツキさんはいう。「盛田ファンド」の援助を受けた錦織もその1人だ。

現在、アカデミーには小学生から高校生まで約210人いる。約20%はホームステイなどをして同アカデミーの敷地外に住んでいるが、残りは敷地内で寮生活。午前か午後のどちらかに学校に通い、どちらかをテニスに費やす。
■アカデミーでの指導はシンプル
「(心身の)健康と競争。ここではその2つを同時に手にできる。(目標となる)トップ選手がいるし、自分よりちょっと上手な選手、自分より実力が少し下の選手もいる。とてもいい環境だ」とゴエツキさん。
直前までオランダテニス協会で働き、過去にはリカルド・クライチェク(オランダ)、マリオ・アンチッチ(クロアチア)らのツアーコーチも務めたことがある人だ。
このアカデミーでの指導はシンプル。「テニスの場合、ある程度、基本がある。フォアだったら脇を開いて打つとか。そうした基本的なことは(ここで)教わる」と錦織。そのほかは実戦あるのみだ。
アカデミーは4つのレベルに分かれていて、それぞれの中で試合を行う。そして、定期的にあるカテゴリーで一番勝率がいい選手と、上のカテゴリーの一番勝率が悪い選手が入れ替え戦に臨む。

■試行錯誤して、自分に合ったものを見つける
こうしたアカデミー内の試合以外にも、米国は日本と比べて格段にテニスの大会数が多く、いろんな国籍、タイプの選手が出場してくる。テニスの腕を磨くには、この上ない環境なのだ。
勝ち方は教えられるものではない。「練習である状況を設定して、徹底的に反復練習をさせる。そこから学んで、自ら解を見つけて、試合で生かす。とにかく練習すれば、勝つ可能性は広がる。それを自分で生かしていくしかない」とゴエツキさんは言い切る。
選手の個性はそれぞれ。だから、試行錯誤して、自分に合ったものを見つけるしかない。
錦織は「いいところをどんどん伸ばしてくれた」と話す。「僕でいえば、フォアハンド。実は何回もフォームを直すようアドバイスされたけれど、結局直してないです。『ふんふん』と聞いているふりをして、自分のいいようにやっていた」と錦織。そのままのスタイルを押し通し、盛田ファンド初の同アカデミー日本人卒業生となった。

■選手にとってはいい環境
常夏のフロリダ。コートの合間にヤシの木が茂り、青い空、緑の芝生が広がる――。アカデミーの中は楽園のようだが、敷地の外に一歩出れば、目の前はだだっ広い道路が広がり、建物がところどころにポツポツとあるだけだ。
寮生が外出する際には許可がいる。こうした環境に、女子選手の中には煮詰まってしまう子がいるという。「ケアはしているよ。でも基本的に、悪い誘惑がないから選手にはいい場所だと思う」とゴエツキさん。
だが、錦織は苦でなかったそうだ。13歳当時、まだ背が低く、一言も英語が話せなかった錦織だが、好きなテニスを存分にできるので、耐え難いものではなかったという。
■アカデミーの選手の大学進学率は96%
これだけ充実した施設だが公的支援はない。スポンサーと授業料が運営を支える。
アカデミーの授業料は年間3万6315ドル(約327万円)、敷地内の寮に住むなら4万9885ドル(約449万円)。このほか学校代もいる(高校の場合、1万7035ドル=約153万円)。日本円にして総額約600万円。奨学金が打ち切られると、アカデミーを去る子もいるという。
授業料は高いか安いか? 「悪くないと思うよ。好きなテニスに青春を懸ければ、大学への道が開けるんだ」とゴエツキさん。
米国は大学スポーツが盛んだ。世界トップクラスのアカデミーでテニスに打ち込み、学業も優秀ならば、スタンフォード大などトップ校からも奨学金を受け、大学でプレーできる。
たとえプロになれなくても、大学では学費免除。そのための推薦状の準備、エッセーの書き方の指導もアカデミーは行っている。事実、アカデミーの選手の大学進学率は96%にも上る。

だが、プロになるのはたったの2%。テニスのプロは宣言するだけでなれるのだが、競技生活を維持するのが「他のスポーツと比べて、余りに厳しい」とゴエツキさん。ゴエツキさんはツアー選手のコーチも長く務めていたため、その言葉に力がこもった。
■"稼いでいる"のは世界のトップ50ぐらい
テニス選手の場合、野球やサッカーのようにチームが面倒をみてくれるわけではない。バドミントン、卓球、水泳などといった競技と比べれば、テニスは試合数が多く、賞金も桁違いに大きいビッグビジネス。それでもコーチ帯同でツアーを回れるのは、世界ランク100位以上の選手ぐらい、個人トレーナーも帯同できるようになるのはトップ20位前後だ。
男子プロテニス協会のランキングには世界各国の2千人弱が名を連ねるが、出費も多く、「"稼いでいる"といえるのは世界のトップ50ぐらい。本当にスペシャルといえる存在はトップ20くらいだけ」とゴエツキさんはいう。

■本当にシビアなプロの世界
100位前後の選手であっても、四大大会以外の大会では予選を戦わないといけないケースが多い。予選にはポイントがつかないため、ポイントを稼ぐために下部ツアーにも出なければならない。
航空券などの手配も自分でして世界中を旅し、コーチやトレーナーなしでガツガツした雰囲気の漂う下部ツアーを勝ち抜いていく。
「そうした状況で、常にポジティブであり続けることは、大変なんて一言では言い表せない」とゴエツキさん。シビアな世界を勝ち抜き、世界のトップ100位に新たに入ってくる選手は毎年6~7人程度という。
アカデミー出身の選手は、プロデビュー直後はグループで遠征するなどアカデミー側がサポートしてくれる。コーチを探したり、選手の出身国のテニス協会と話し合って、スポンサーを探したり、資金繰りのメドも考えてくれる。世界的マネジメント会社のIMGとつながりがあるからこそのメリットだ。
■アカデミーは貴重な選手発掘の場
大金を稼ぐようになった選手はアカデミーを離れ、別に拠点を持つ人もいれば、シャラポワのようにアカデミーとカリフォルニアを行き来する人もいる。錦織は近くに住み、アカデミーを拠点にし続ける。栄養を考えた食事が3食用意されるので、便利なのだという。
育成というお金がかかる事業を、私企業がしているのが米国のすごさだ。IMGにとって、アカデミーは貴重な選手発掘の場。世界中から多くの種を集めて育てれば、そのうちのいくつかは大きな実になる――。
錦織やシャラポワら大きく育った選手から、別のビジネスにつなげる。それはアカデミーにあるバスケットボール、野球、アメリカンフットボールなどの競技も同じで、実に手間暇のかかるシステムだが、米国でだからこそできるビジネスなのかもしれない。
ちなみにアカデミーは、他国の選手に練習場所を貸し出すし、お金さえ払えば誰でも(多少のテニスの心得があれば)参加できるテニスキャンプもある。
栄養指導、映像解析、筋トレまでプロとほぼ同じ内容。運が良ければ、錦織やシャラポワの練習を見ることができるかもしれない。大人なら5日で約1300ドル(約12万円)、ジュニアなら2週間で約4000ドル(宿泊つき、約36万円)から。昨年のクリスマス休暇には、多くのちびっ子たちがやってきていた。
(原真子)