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自転車レースの元王者は「落ちた偶像」か

自転車ロードレースで世界的に活躍したランス・アームストロング(米国、41)が、悪質なドーピング違反を理由に自転車界から永久追放されることが確定した。世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランス最多7連覇の記録なども抹消される。がんを克服して数々の栄光を手にしたスーパースター。がん撲滅運動にも尽力するなどして多くの人々から尊敬を集めた元王者は、名声を失った「落ちた偶像」なのか。

禁止薬物、元同僚らが相次ぎ証言

これまでアームストロング側は「何百回と行われたドーピングテストでは証拠物質は検出されなかった」と主張。今年2月、連邦捜査局はU.S.ポスタル時代(1998~2004年)の薬物使用については証拠がないとして捜査を終了し、2年に及ぶ調査の結果、この件については法的に"無罪"となった。

しかし、これより前から、かつての同じ所属チームの仲間が次々と「僕は禁止薬物を使った」「ランスが使うのを見た」「彼は勧めていた」などと、米国反ドーピング機関(USADA)に証言した。

元チームメートのうち、11人がアームストロングの使用を証言。連邦捜査局の調査を引き継ぐ形になったUSADAは今年8月、アームストロングに悪質なドーピング違反があったとして、ツール・ド・フランス7連覇(99~05年)を含む98年8月1日以降の記録の剥奪(はくだつ)とともに永久追放の処分を発表した。

これに対し、アームストロング側は一貫して禁止薬物使用を認めてはいないものの、「もう、この問題では争わない」との声明を出した。

7連覇剥奪、「この間は勝者はいなかった」

10月10日にはUSADAがアームストロングを永久追放すると結論づけるに到った膨大な調査報告書を開示し、その中で証言者の実名を公表した。

これを受け、国際自転車連合(UCI)も同月22日にUSADAがアームストロングに下した処分を承認。ツール・ド・フランス7連覇のタイトル剥奪と永久追放などが正式に確定した。

ツール・ド・フランス事務局では「この間(7連覇中の期間)は勝者はいなかった。白紙のままにしておく」としている。

国際オリンピック委員会(IOC)も、アームストロングが2000年シドニー五輪で獲得した銅メダルの扱いを検討している。

損失額はウッズに匹敵

こうした決定によって、アームストロングは約10社あったスポンサーとの契約金など計3500万ドル(約28億円)相当を失ったとされ、損失額はスキャンダルがあったゴルフのタイガー・ウッズに匹敵するといわれる。

米SCAプロモーションズは、同社が06年に支払った報奨金など750万ドル(約6億円)の返還を求める見通しだ。

特に、これまで4000万ドル(約32億円)も支援してきたナイキの撤退は話題になった。ナイキは選手のスポンサーから降りたことはほとんどなく、ウッズの場合も契約を破棄せずに支え続けたが、「今回はプライベートでなく、ナイキがサポートする競技でのルール違反だ。ナイキを10年以上も欺いた」として契約を打ち切った。

支援の撤退はアームストロング自身だけでなく広がっていて、「競技への信頼が失われた」として"自転車大国"であるオランダの銀行が、長年継続してきた同国最大のプロ自転車チームのスポンサーを今年いっぱいで降りることを表明している。

患者を支援、尊敬の的

ロンドン五輪前でも「尊敬する選手は誰か」と聞かれ、アームストロングの名前を挙げるアスリートは多かった。それほど、アームストロングが輝いていたのは、がんを克服して7連覇を達成した不屈の精神ゆえだ。

96年、まだ25歳だったアームストロングは精巣がんを発病。肺、脳にまで転移していて生存確率は50パーセントと宣告されたが、それを克服した。

その後、リハビリとトレーニングを続け競技に復帰。99年から05年にかけてツール・ド・フランス7連覇の偉業を成し遂げた。

こうした復活劇の一方で、がん患者支援団体「LIVESTRONG Foundation」を立ち上げ、ボランティア活動にも尽力した。

8年ほど前、黄色のリストバンドが日本でも流行したことを記憶されている人もいるだろう。ツール・ド・フランス勝者の象徴である「イエロー・ジャージー(マイヨ・ジョーヌ)」にちなんだリストバンドの売り上げは、この団体に寄付された。

米国では有名人に講演を依頼するためのサイトがあるが、「cancer survivor」というガンを克服した人の項目があるほど。競技人生が最も輝く20歳代で発病しながら7度も世界トップのレースを制し、さらにガン患者支援に力を注ぐアームストロングは格別に尊敬されてきた。

こうした自転車界のスーパースターの永久追放――。この衝撃的なニュースは世界中を駆け巡ったが、米国内での受け止め方は意外なほど冷静だ。

「ようやく禁止薬物使用が証明されたか」という感じ。99年の初優勝以来、アームストロングには禁止薬物使用の噂がつきまとっていたからだ。

薬物使用の噂が絶えず

1903年から始まったツール・ド・フランスでは当初、痛みや疲れを紛らわすため、興奮剤を飲む選手が続出。このため30年ころには薬物使用を禁止したが、レース中に意識を失う選手が相次いだという。

五輪でも68年のメキシコ大会、グルノーブル冬季大会から正式にドーピング検査が行われるようになった。しかし、選手の薬物使用は決してなくならなかった。

定番は筋肉増強剤のステロイド。88年ソウル五輪で、男子100メートルのベン・ジョンソンが金メダルを剥奪されたのは有名だが、当時、東欧の女子選手の使用も噂されていた。「声とか低くて、絶対おかしいんだけれど、証拠が出ないんだよ」と、日本代表競泳コーチの話を何度も聞いたことがある。

現在はこうした判明しやすい禁止薬物の使用は減り、自転車ロードレースのように裕福な競技や国の選手は最先端の薬物を使用し、その痕跡を消す技術もあるため、違反が発覚しにくくなっている。

アームストロング側は調査手法を批判

アームストロングが行ったとされるのはステロイドとエリスロポエチン(EPO)の使用と、血液ドーピング。後者の2つは血液中の赤血球を一時的に増やすことで酸素の運搬能力を高め、持久力を向上させる作用があるといわれる。

アームストロングが連覇を重ねるにつれ、「アームストロングのチームは薬まみれ」との噂が強まり、ほかの年度の優勝者らがドーピング検査に引っかかった。こうした選手の勝利が剥奪されるのを見るうちに、黙っていることに耐え難くなったチームメートが告白し始めた。

ただ、アームストロングの使用を告白したチームメートについては、USADAと"取引"があって罰則が軽減されていて、アームストロング側はこうした調査手法を批判している。

アームストロングへの訴追をやめるよう求める議員もいる。「アームストロングが競技以外で行っていることを考えれば、もっと寛大な処置でもいいのではないか」「そもそも自転車競技界が薬物まみれなのだから仕方ない」との声もある。

敬意は依然衰えぬが…

正式な記録剥奪が決まる直前、地元テキサス州で開催された「LIVESTRONG」の15周年記念行事に出席したアームストロングは、約4300人の自転車愛好者と交流。そのときも「競技は競技。がん撲滅で彼がしてきた活動はまた別」と敬意を集めていた。

だが、「真面目に競技をしている選手が割を食うのはおかしい」とアームストロングに批判的な意見が大多数だ。

今年6月、薬物使用について虚偽の証言をしたとして偽証罪などで起訴された元ヤンキースのロジャー・クレメンスに対して、 ワシントンの連邦地裁の陪審は無罪の評決を下した。クレメンスは満足そうだったが、そうしたスポーツ選手には冷ややかな見方が強い。

アームストロングもまた薬物使用を一貫して認めていないが、もしドーピング違反が事実ならば素直に認めた方がよいのではないか、と思ったりもする。過ちを認めた後の行い次第では再び尊敬の念も集めるのが米国社会の懐の大きさ。

がんを克服して自転車競技に復帰した執念を見ても、強じんな精神力の持ち主であることは明らかだ。「大きな過ちから立ち上がった勇者」として、再び英雄になってほしい気もする。

(原真子)

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