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イチローが飛び込んだ「現実の世界」

スポーツライター 丹羽政善

10日のブルージェイズ戦で2安打、5打点をマークしたヤンキースのイチロー。1試合5打点は2004年8月17日以来、キャリア3度目だった。

試合後、多くの米メディアがイチローを囲む。人垣が2重、3重にできた。

なぜ背伸びを?

立ったまま取材に対応していたイチローの方を見ると、彼の頭が一つ抜けている。あそこまで背が高かったかな、と思いながらふと足元を見ると、彼は背伸びをしていた。

今度は「なんで背伸びを?」と考えながら足元に目を凝らすと、足の下に小さなボールのようなものが挟まっているのが見えた。イチローは、そんな時間をも利用して、体をケアしていたのである。

試合前、イチローはクラブハウスでゴロンと横になると、筒のような道具を使って入念にストレッチする。シアトルではおなじみの光景で、川崎宗則が今はそれを引き継いでいる。だが、ヤンキースのメンバーには新鮮に映るらしく、足を止めてそれを眺める選手もいる。

イチローが持ち運ぶ特注のバットケースも珍しいようだ。それを初めて見たとき、デレク・ジーターなどは「これが噂のやつかあ」と、まじまじと見つめていた。

早くもチームにとけ込む

移籍してほぼ3週間。当初はイチローがジーターと話しているだけでもオールスターゲームのような空気を感じ、その光景が新鮮に映ったものだが、今では31番という背番号も見慣れ、「レフト・イチロー」にも違和感はない。

ニューヨーク・デイリーニュース紙のアンソニー・マッキャロン記者も「もう、チームにとけ込んでいる」と話した。

「最初は、うまくなじめるかと思ったけれど、今や、そこにいることが当たり前という感じだ」

それほど時間を必要としなかったのは「イチローがまさにヤンキースの求めていた選手だったからだろう」という。

「ヤンキースとしてはトレードデッドライン前に、パズルを完成させたかった。レフトを守れて、スピードのある選手というピースが欠けていたんだが、イチローはそのピースそのものだった」

当然、ここまで18試合の評価を問えば「不足はない」。

リードオフで起用するつもりはない

ただ、オフェンスに関してはどうなのだろう。10日のブルージェイズ戦で移籍後2度目のマルチ安打を放ったが、それまでの16試合は打率2割5分8厘。新しい環境に刺激されて元のイチローに戻るのでは、という期待は今のところ、外れている。

出塁率も上がらぬまま。ジョー・ジラルディ監督は先日、正直にイチローをリードオフで起用するつもりはないことを明言した。

「彼の出塁率が4割ならそうする。でも、彼はそうではない。3割1分かそこらだ。それだったら、グランダーソンやジーター、カノの方が高い。3、4年前なら、話は違っただろうけどね」

それでも、物足りなさはないかとマッキャロン記者に聞いて返ってきた答えは、「ノー」だった。

「チームは、イチローがかつてのようにヒットを重ねるとは考えていない。環境が変わって打ち始めるとしたら、それはチームにとってボーナスだ」

広い左中間を守ってくれればいい

同じようなことを、ニュージャージーにある「バーゲン・レコード」紙のピート・カルデラ記者も話した。

「打率が2割5分だったとしたらそれは残念だけれど、チームは3割を打てるイチローを求めているわけではない。広い左中間をカーティス・グランダーソンと守ってくれれば、それでいい。それがヤンキースの求めたイチローだ」

確かに、2割6分前後で推移する打率を問題視する論調はない。移籍後、得点圏ではことごとく凡退し、最初の16打席はノーヒットだったが、それが話題になることもなかった。

四球は16試合目で初めて選んだが、そのとき、すぐ近くにいたカルデラ記者は「今のが移籍後、初めてだっけ?」と聞いてきたほど。

無関心、というわけではないのだろうが、今のイチローで十分、という期待の低さは、どこか寂しい。

失うものが何もないトレード

考えてみれば、ヤンキースがトレードで差し出した交換要員にそれがにじんでいた。

マリナーズは見返りとしてD.J.ミッチェルとダニー・ファクハーという2人の投手を得たが、どちらか1人がメジャーに上がれればいい方で、上がったとしても、敗戦処理投手がいいところだろう、といわれている。

要するにイチローは、どこにでもいるような選手と交換されたのである。

前出のマッキャロン記者も語った。

「ヤンキースにとっては、失うものが何もないトレードだった」

メジャーの評価が知れる

結局、このトレードでは、ある意味、イチローに対するメジャーの評価が知れたことになる。

5打点を挙げた翌日からイチローは、2試合連続でスタメンを外れた。休養が理由だが、相手が左投手だったからでもあるようだ。今までなら、考えられなかった起用のされ方である。

イチローはこのオフにフリーエージェントとなるが、打撃状態がこのままなら、どこと契約をしたとしても、今回と同じように新しい役割の受け入れを迫られるのだろう。

仮にイチローがマリナーズに残っていれば、複数年の再契約ができたはず。年俸は下がるにしても、これまでの貢献も多少は考慮されたはず。ポジションや打順でも、安定が保証されたはずだ。

イチローはただ、その安定を放棄して、現実の世界に飛び込んだ。そこで見えている世界は今、どう彼の目に映っているのだろうか。

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