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北島康介らを育てた「選手に限界破らせる法」

競泳日本代表ヘッドコーチ 平井伯昌(上)

平井伯昌コーチ 
競泳の北島康介(平泳ぎ、日本コカ・コーラ)を五輪2大会2種目連覇に導いた名伯楽、平井伯昌(ひらい・のりまさ、東京SCコーチ)氏が、今夏のロンドン五輪に向けて新たな挑戦を楽しんでいる。北京五輪後、かねて指導してきた上田春佳(自由形、キッコーマン)に加え、寺川綾(背泳ぎ、ミズノ)や加藤ゆか(バタフライ、東京SC)の指導に携わってきた。
 この3選手は4月の代表選考会でいずれも日本記録を更新して代表入り、メダルを目指す。ロンドン五輪では競泳日本代表ヘッドコーチとして選手を率いる平井氏。選手を伸ばし、能力を引き上げてきたコーチングの要諦は、どこにあるのだろうか。

目標を達成するための「式」を作る

競泳のコーチは、選手の成長過程をともに過ごします。強い選手ほど、我々コーチの方が親御さんより接している時間が長くなります。だから若い頃からみている選手たちには水泳の技術の指導に加え、人間教育という観点でずっとやってきました。

コーチングとは「選手の夢を現実にさせてあげるための作業」といったらいいでしょうか。選手に練習をさせる、頑張らせて速くする、というものでもないんです。

「君はこれをこう直せば、速くなる」と、必ず一つの手順に落とし込み、課題の克服方法なるものを提示してあげる。それをもとに、選手は自分の課題を確認し、それを自覚しながら泳ぐ。そして直していく。そんな一連の過程が「練習」なんです。

五輪に出る、あるいはそこでメダルを取る。選手たちの目標は決まっています。それら「答え」を求めるための「式」、方程式みたいなものを一緒になって見つけてあげるのがコーチングではないかと、長年やっていて感じるようになりました。

選手自身が「気づく」ように

最初は僕たちコーチがそうした「式」を選手に提示してあげることが多いけれど、「どうしたら速くなると思う?」とあえて選手に問いかけたり、ビデオ映像を見せたりして、徐々に選手が自分自身で「気づく」ようにしていきます。

最終的には北島康介のように「コーチのいらない選手」になってもらえれば理想です。自分の感覚で「式」をみつけて、直していける。しかしそんな選手は康介が初めてです。最初はあそこまでできるとは思っていなかったですが、康介がああいう風になれたのをみて、「ああ、最後は独り立ちできるのだな」と改めて感じています。

目標という「答え」のための「式」は、目標を達成するための手段や方法です。まずはそれをきちんと作る。正しい式は選手ごとに違うし、それは毎年変わるかもしれない。その時点で、一番正しい式、方法論を模索していきます。

「式」を作ったら、それを具体的な「作業」に落とし込まないといけません。選手との会話のやり取りであったり、ドリルであったり……。難しい言葉などではなく、簡単なものに落とし込んだ方がいいですね。そして、練習でそれを「普通」にこなせるようにすることが大切です。

選手が気づかない本質を見抜く

競泳の現場で耳にすることがあります。「肩甲骨のスイッチが入ってないよ!」といったアドバイス。僕には何のことだか全然わかりません。そのほかにも「コーチ。今の泳ぎ、腹筋のスイッチは入ってましたか?」「うーん、入っていたかな? 入っていなかったよ」といったやり取りも。

私が12年間指導している、性格のおおらかな上田春佳が、そんなやり取りを聞くと首をかしげるんです。「平井先生。腹筋のスイッチって、私はないと思うんですけど……」。それを聞いたときには大笑いしてしまいました。

コーチングの究極の目標の1つは、選手が気づかない本質を見抜いていくことでしょう。あの北島康介も、最初は(平泳ぎで)200メートルが得意だなんて思ってなかったわけです。前半から積極的にレースができるスプリンターで、本人は「僕は50メートルや100メートルの選手だ」と思っていました。

でも、実際には日本記録も世界記録も200メートルの方が先に出せているわけで……。アテネ、北京五輪では200メートルについては確実に勝てるとふんで、100メートルに挑戦させるというスタンスを取りました。そうすることで、本人の可能性やキャパシティーを広げられたと思います。

昔は「200メートルの上田春佳」だったが…

12年間指導してきた上田春佳は今回の4月の代表選考会において100メートル自由形で五輪派遣標準記録を切りました。でも、5年や10年前なら、100メートルでそんなにできるなんて本人はまったく思っていなかったと思います。

最初は400メートルや200メートルをやらせていたし、自他ともに認める「200メートルの上田春佳」でしたから。将来的には100メートルもトライさせようかとは思っていましたが、ともかく(成長に)時間のかかる子だろうなと感じていました。

彼女には中学生のころから「お前は大学生を卒業してからの方が絶対に速くなるよ」と言い続けてきました。人間関係や、水泳以外の見聞を広げてから、もう一回水泳だけに集中したときに伸びるはずと確信がありました。そういうことは性格を見ていれば、分かります。選手の成長をどこまで予測できるか、もコーチングに含まれるものです。

4年前から指導してきた背泳ぎの寺川綾にしても、東京SCに来てから100メートルの記録が1秒6ほど伸びていますが、たぶん本人はそんなに伸ばせるとは思ってなかったのではないでしょうか。

常識をうのみにせず

本人も気づかぬ才能を見抜いていき、掘り起こし、意識させる。選手自身は「赤」と思っていても、実際は「青」だったということは往々にしてあります。「なんだ、俺ってこういうタイプだったのか」「あれ、私ってもっとできるんだ」……。そういう風に気づかせてあげるのも我々の役目です。

北島らの本質をどうやって見抜いてきたか? その理由の一つは「常識をうのみにせず、疑って、考えてきたから」だと思います。常識とは「日本人だったら普通はこうだ」「普通ならこれはできないだろう」といった発想ですね。康介を本格的に指導し始めたときに、そうした発想を捨てざるを得ませんでした。

中学3年生の北島とシドニー五輪を目指そうと走り出したころ、周りからよく言われたものです。「あんな体の硬い選手では無理」「(五輪で戦う目安になるタイムには)100メートルであと4秒、200メートルであと8秒もあるぞ。2年ほどしかないのに伸ばせるのか」

五輪が手が届くまでに近づいてきたから狙う、というパターンは多いと思いますが、あのときの僕と康介は五輪がまだ遠いところにあったのに狙っていた。だから「無理だよ」などといった声とずっと戦ってきたんです。

限界に目を向けるのではなく…

「普通なら」という発想でやっていたなら、おそらく北島を五輪に行かせてメダルを取らせてあげることはできなかったでしょう。「普通、普通って……それは誰が決めたんだよ!」と、僕はそこから出発したわけです。

たとえば高地トレーニングにしても、北島のような体の線が細いスプリンタータイプには向かないという指摘が当時はありました。でも、スピードスケートの選手は高地でもトレーニングやスピード練習をやっているじゃないかと。北島に高地でさせた練習は、メダル獲得へ通じました。

物事にはセオリーがあります。人間の体がどう反応するかなどのセオリー。これは勉強しなくてはいけません。でも変な常識や限界などは考えないことです。限界に目を向けるのではなく、「この選手はどのくらい才能があるんだろう。それを最大限に発揮したらどれくらいになるかな……」と考え始めると、楽しくなります。「あの考えにあてはめると、これが限界かな……」と考えてしまうと、コーチングはストップしてしまいます。挑戦がなくなりますから。

選手たちをなぜ伸ばせたのか、と聞かれれば、コーチである自分自身が「限界」を作らないように努力してきたからなのかもしれません。指導の限界を作らずに、選手の良さを伸ばすという面だけをみようとすると、結構楽しく指導できるものなんですよ。

目標を狭めてフォーカスするのではなく

アテネ五輪の直前、北島を教える一方で、中村礼子(背泳ぎ、アテネ・北京五輪で2大会連続銅メダル)も預かったとき、「いまは北島で金メダルを狙っているときなのに、中村もやっている場合じゃないだろう」といわれました。

でも思うのですが、仮に僕がマンツーマンのように康介だけ指導していたら、僕は康介のことを縛ってしまったのではないでしょうか。あの時、「選手を何人か複数抱え、その選手たちにもメダルを取らせ、決勝に残らせるパワーが僕自身になければ、康介にも『金』を取らせてはあげられないのでは」くらいに思っていたんです。

目標を狭めてフォーカスするのか、広げるのか――。当時の僕は自分の考え方を広げようと考えていました。あのときに狭めたのではなく、広げたことで、様々な個性の選手、それぞれに対する対応能力が向上したのではないかと思っています。

コーチもチャレンジする状況に

どうして選手の本質を見抜けるのか。もう一つの理由は、「見抜く必要がある状況」にコーチ自身が身を置いているかどうかにもあると思います。たとえば康介や(上田)春佳だけなら、見抜く必要は何もありません。小さいころからずっと一緒にやってきて、性格から本質から何まで分かっちゃってるわけですから。

でも、そこに礼子や三木二郎(個人メドレー、シドニー・アテネ五輪に出場)が加わってきたり、あるいは寺川綾や加藤ゆか(ともに4年前から指導)が入ってきたら、また新たに新しい選手を見抜いていかなければなりません。

振り返ると、いつも、周囲からみれば大変だろうなというときに限って、僕は指導する人数を増やしているんです。昨年の秋も(寺川・加藤・上田を指導するかたわら)山口観弘(平泳ぎ、志布志DC)を預かったり、ほかにも高校生を受け持ったり……。

振り返ると、自分でも「なんであのときこんなことしてるのかな」と思うことはありますが、自分のなかで「こういうときこそ逆に自分のチャンスだ」と感じているふしがあるんです。

選択のある場面で「大変だから絞ろう」と思うのか、「いや、ここでこそ挑戦だ」という方を進むのか。コーチである自分がもっとチャレンジ精神を持たないと、行き詰まっている選手らを伸ばすこともできないと思います。

長くコーチングをやってくると、自分のなかで「これは安全」という部分ができてきます。自分のなかに成功パターンというものがたくさんできてくるので……。たとえば昨年の秋、ロンドン五輪へ向けて寺川と加藤と上田の3人だけで出発しようと思えば、それほどチャレンジしなくても僕はうまくできたとも思います。でも、そうでない方を僕は選んだ。やはり人間、刺激が薄くなると成長が止まるような気がします。

コーチが選手を変えようと思うと、変わらない

鈴木陽二先生(ソウル五輪で背泳ぎの鈴木大地を金メダルに導いた名コーチ)と話していて、2人で納得することがあるんです。

「コーチが(選手を)変えようと思うと、変わらない」

こうだああだと言って変えようとしても、なかなか選手は変わらないものです。むしろ選手が自然と変わるような練習やプログラムをいかに考えるか。「この練習をやったら君はこうなる」「この練習をすれば自然に変わる」と。ドリルとは、その最たるものでしょう。

選手にいろいろと説明を尽くし、変わるように仕向ける。コーチがやった、ではなく、選手が自然と変わるのが理想ですね。

たとえば「この道具を使えば君はこう変わる」と。その方が選手も成長するし、再現性もあります。加藤ゆかなんて、いろいろ忘れるんですよ。「お前、あの点はやったか?」と聞くと「あっ、忘れました」。試合でもあります。「すいません、次は念を押して下さい」なんていうことが……。

原点に返りつつ、応用にも挑む

頭ごなしで何かをさせる年齢ではない選手も多いので、そうした選手を納得させるコーチングは本当に難しいです。本に出ていることを教えても仕方ないし、思いつきでやっても選手に見破られるだけです。

でも、選手を変えるように仕向ける引き出しの「幅」なら、広がってきたと思います。寺川や加藤といった選手を教えながら、山口など高校生も指導することで、自分のなかでバランスを取っている感じがします。

コーチングの基礎をやりつつ、応用もやるといった感じでしょうか。両方を同時にやった方が、自分としては古くならないというか……。コーチングの原点に返りつつ、応用にも挑む。コーチとして頭を使う状況に、自分を置いているのかもしれません。

(続きは9日に掲載)

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