2019年7月19日(金)

アタッキング・フットボール(西野朗)

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攻めてこそサッカーの醍醐味

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2012/4/12 7:00
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昨シーズン限りで、10年にわたって指揮を執り続けたG大阪の監督を退いた。一人の監督が一つのクラブに在任した年数として10年はJリーグ最長記録らしい。世界的に見ても珍しいのは、それだけこの仕事は浮き沈みが激しいということだろう。

一寸先は闇の世界

私もほんの数カ月前まで自分が今のような境遇になるとは思いもしなかった。月並みな表現になるが、本当に一寸先は闇の世界なのである。

監督を続けることだけがハッピーなら、昨年末の時点で私には「青」のガンバから「赤」のレッズ(浦和)へ、という選択肢があった。浦和からのオファーに感謝しつつ、どうしてもそれを受けることができなかった。

ガンバというクラブでずっと監督をやってきた中で、新天地でトライしたい気持ちと同時に、後ろ髪を引かれるような思いをどうしても消せなかった。切られたタイミングと次の選択をしなければならないタイミングがあまりにも近すぎて、どうにも踏ん切りがつかなかった。

■柏時代の3年目にJリーグ最優秀監督に

振り返ると、1990年に選手生活にピリオドを打ち、指導者に転じた私が監督として最初に任されたチームはU-20(20歳以下)の日本代表だった。

96年アトランタ五輪にU-23(23歳以下)代表監督として出場した私は、97年から柏のヘッドコーチに就任。翌98年に監督に昇格した。柏の前身、日本サッカーリーグの日立製作所は早大を出た後、社会人、選手、コーチとして私を育ててくれた故郷のような場所だった。

1年目は第1ステージ10位、第2ステージ8位、年間順位8位と苦労したが、2年目からは第1、第2ステージとも4位、年間順位3位と上昇、ヤマザキナビスコカップ優勝というクラブにとって初タイトルをもたらすこともできた。

3年目は年間順位こそ3位に終わったが、第1、第2ステージ合算の勝ち点ではリーグ1位となり、Jリーグの最優秀監督に選ばれた。クラブのある人間から「ずっとウチで監督をやりたいだけやればいいんだよ」と言われたりした。

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