「中国サッカー、覚醒の鍵」 岡田武史・前代表監督(下)
サッカーの岡田武史・前日本代表監督は、今季から中国スーパーリーグ(日本のJ1に相当)の杭州緑城を率いることになった。2月中旬からチームとともに鹿児島・指宿でキャンプを張っていた岡田監督へのインタビュー。「下」では眠れる獅子と言われる中国サッカーが目覚めるポイントなどについて聞いた。(聞き手は運動部編集委員 武智幸徳)

毎年のようにチームを投げ出すオーナーが…
――岡田さんは、うちのクラブにはカネがない、という話を盛んにされています。中国というと日本に比べて今は金回りがいい印象があるので、本当かなと思ってしまうのですが……。
「もちろんピンからキリまであるよ。広州恒産のスター選手、コンカはアルゼンチン代表でもないのに『世界一の高給選手』と言われている。その年俸も上海申花が今季獲得したフランス代表のアネルカが抜くらしいけれど。広州恒産の運営経費は年間約70億円で、控えも中国代表が並ぶとんでもないチーム。それに比べたら、杭州は運営経費が13億円だよ。ものすごい差がある」
「杭州のカネの無さには私も行ってびっくりしたよ。練習施設とか見ると、とてもカネがないとは思えないからね。親会社は中国でも大手のデベロッパーで羽振りは良かったんだけれど、政府が不動産バブルを警戒して富裕層が2件目の家を持つことを規制する法律を作ってから厳しくなったらしい。13億円の運営経費はスーパーリーグ全体で見ると中より下。強化費はその半分くらい」
「広州恒産は不動産、上海申花はIT系企業の金持ちオーナーがいて、潤沢な資金を持っている。そういうリーグの在り方がいいかというと、決してよくはないと思う。毎年のように、もうやめた、とチームを投げ出すオーナーが現れるらしいから。カネだけかかってリターンが不確定という理由で、ユース部門を突然つぶすオーナーもいる。かわいそうなのは放り出された若い選手だよ。私の場合は、そういう日本とは違うシステムの中で仕事をするのもたまにはいいか、という感じでやっているけれど」
杭州は18歳にいい選手がそろっている
――そういう金満チームに対して、岡田さんはユース出身者を大量にトップに引き上げて勝負に出ようとしている。
「杭州は18歳にかなりいい選手がそろっている。もともと、7歳から18歳まで400人の選手を住まわせる学校付きの寮があって育成には力を入れている。その成果で18歳が優秀なのかと思ったら違った。今から3年くらい前に、オーナー指令で全国から15歳前後の優秀な子をかき集めたらしい。その子たちが目の前にいたわけ」
「私は無理に若返らそうとして、選手を取り換えたわけじゃない。自分がやりたいサッカーに照らして、客観的にうまい選手を残していったら若返っただけ」

「でも、中国ではユースの選手をトップチームで使って勝てるわけがない、という感覚があるので周りは猛反対する。それでオーナーにトップチームの8人を切って、代わりにユースから7人引き上げると直談判した。今年はそれで戦う。認めてくれないならやめると」
目標はスーパーリーグ優勝
――南アフリカのW杯も大会前の周りの予想というか評価は低かった。岡田さんと選手は本気でベスト4を目指していた。
「目標はスーパーリーグ優勝。周りはクレージーだと笑ってる。メディアの予想ではうちは入れ替え戦に回るらしい(笑)。よそのクラブに引き抜かれた中国代表もいるし、ユースから大量昇格という常識外れのこともやっているし。でも、自分ではよそのクラブとそんなに差があるとは思っていない。スペインリーグとかイングランドのプレミアリーグで優勝を狙うと言っているわけじゃないからね」
「問題は選手の勝手な思い込み。サブまで中国代表をそろえた広州恒産に勝てるわけがないとか。でもね、たとえコンカが年俸20億円の選手だとしても、そんなにすごい選手というわけではない。アネルカはすごいし、ボールを持たれたら確実にやられるかもしれないが、それならアネルカにボールを入れさせない工夫をすればいい」
「うちのチームは若くて経験がないだけ内弁慶なところがある。そこを払拭(ふっしょく)していければ、簡単ではないが、十分可能性はあると思っている」
オファーをもらったとき、衝撃というか衝動が起きた
――岡田さんが先鞭(せんべん)をつけることで、これから日本人監督の職場がどんどんアジアに広がっていく可能性がある。
「中国のリーグでいうと、韓国人の監督なんかもっと前からいるわけ。ご存じのようにブラジル人の監督なんか世界中にいる。中国は場所によっては沖縄に行くより近いんだから。外に出ても能力的には十分やれるのに、何となく大変なことだと思って、これまでは外に出てやろうとしなかった。それだけのことじゃないかな」
「自分の場合、引き受けたのはサッカーだけじゃない。今回のオファーをもらったとき、自分の中で衝撃というか衝動が起きた。これからの世界のカギを握る中国を実際にこの目で見たいと。報道でしか知らない反日感情とは実際にどんなものなのかと」
「早稲田の学生だったころ、高麗大のサッカー部と一緒に韓国国内を巡業したことがある。釜山の試合では空き瓶と缶と罵声を投げつけられてショックを覚えた。でも、普段一緒に旅をしている高麗大の学生とか関係者とは違和感なくつきあえた。このギャップは何? とその時感じた。日本と中国も政治とか上のレベルではいろんな駆け引きがあってごたごたしているのかもしれないけれど、大半の国民同士はもっと普通につきあえるのではないか。そんなことを確かめたいと思った」

「それがなぜ杭州なのかというと、実はどこでも良かった(笑)。最初にオファーをくれたということと、実際に訪れてみたら、街のたたずまいが素晴らしいんだ。今は杭州にして良かったと思っている」
■子どもたちに何を残してやれるか
「ハンチントンの『文明の衝突』じゃないけれど、日本と中国と朝鮮半島の情勢というのは、これから緊張を増していくかもしれない。そうしたときに政府レベルでは解決できない問題の糸口を、人と人のグラスルーツの小さな絆によって見つけられるのではないか」
「北京でチョウが羽ばたくとニューヨークで嵐が起こるバタフライ効果のようなことも、ネットの時代では起こり得るかもしれない。自分にできること、サッカーを通じて何かできるのかを考えたら、自分の子どもたちに何を残してやれるかといえば、そういうものしかないという思いもある」
――監督として円熟の境の仕事を日本で見られないのは残念。岡田さんは今年20周年を迎えるJリーグについて、最初の10年で選手のプロ化が進み、次の10年で指導者のプロ化が進んだ。これからの10年は経営のプロ化がカギになると言っている。
「経済環境が悪い、チームの成績も下がる、動員力も下向き。そんなときにこそ夢を語らないと。リスクがあっても、やってみようという部分がないと、人は集まってこないんじゃないかな。登るべき山をしっかり示して……」
「東日本震災後、目に見える資本主義から目に見えない資本主義にパラダイムはシフトした感じがする。量から質への転換というか。信頼とか絆(きずな)を結ぶのを怠って、経営の安定が必要、そのためにはスポンサー集めをこれくらいやらないと、とか……。そんなことばかり追っていくと、衰退していくような気がする」
中国サッカーが目覚めるには「自立」が必要
――サッカー界ではこの20年くらい、いずれ中国が出てくる、と言われ続けてきた。しかし眠れる獅子は眠ったままできた。目覚めさせるポイントは何か?

「自立だと思う。うちの選手は95%がトレーニング施設内の寮暮らし。年俸が安いから3食付きの寮暮らしの方が便利だし、経済的なんだろうけれど、これだとリフレッシュできない。それで私が25歳以上の選手は寮から出せ、というと『外で暮らさせたら何をするかわからない』と猛反対される」
「寮にはコーチも住んでいる。せめて選手だけにしろ、と言っても見張ってないと何をするか分からない、の一点張り。管理するから自立できない、自立してないから管理する、の堂々巡りの議論になってしまう」
「サッカーは複雑系の競技だから、場面ごとに何をするかの判断は瞬時に自分で決めるしかない。それには自立心が絶対に必要。杭州の選手もちょっとこちらからサジェスチョンすると、みるみるプレーの質が改善される」
「でも、例えばGKに、CKの際の守りの配置はおまえが全員に指示してみろ、というと、途端に慌てふためいてしまう。昔の日本がまさにそうだった」
サッカーのチームなら変えられる
「だから、私が今、練習でやっているのは、必ず選手が自分たちで考えないとできないものを中心に組んでいる。中国の社会を変えるのは難しいけれど、サッカーのチームなら変えられる。実際、日本でもそれをやってきたつもりだ。日本のサッカーがアジアの中でトップに立てたのも、選手が自立するようになってからだ。スーパーリーグのほかの外国人監督も目指すところは同じだと思う」