琴奨菊、稀勢の里と日本人の新しい大関が相次いで誕生した大相撲界。勢力図が変わり始める中、好角家の次の興味の一つは次世代の大関候補へと移りつつある。そこに名乗りを上げている新鋭が栃乃若(23、兵庫県出身)だ。
初場所は西前頭4枚目で8勝7敗と勝ち越した
■在日韓国人3世、 父の薦めで相撲へ
195センチ、173キロ。横綱白鵬や大関把瑠都らと並んでも見劣りしない体格の持ち主は、新十両となった2010年秋場所以降、じりじりと番付を上げてきた。初場所は西前頭4枚目で8勝7敗と勝ち越し、3月の春場所では自己最高位で上位と戦う。
本名は李大源(リ・デウォン)。在日韓国人の父と、韓国人の母を持つ在日3世で、国籍は韓国だ。若い衆の頃は本名の李(り)で土俵に上がっていた。1文字のしこ名は「り~い~」と独特の抑揚を付けるのが難しく、「呼び出し泣かせ」とも話題になった。最近は「次の日本人横綱は任せた」と声をかけられ、少し困惑することもある。
初めて土俵に上がったのは小学2年の時。生まれ育った兵庫県尼崎市のちびっ子相撲大会に、父の薦めで出場した。結果は2位。決勝で敗れた悔しさだけが残り、翌年の夏休みに開かれた相撲教室に通った。性に合っていたのだろう。小学5年からは大阪の相撲道場で本格的に相撲に打ち込んだ。
■小学6年で180cm、120kg
もともと体は大きかった。小学1年の時、周りとの体格の違いに担任教師はドッジボールで利き腕で投げることを禁じた。「一度右手で投げてみたら、クラスメートの顔を直撃してしまって……。先生に『言わんこっちゃない』って顔をされた」。5年生になると体操服も皆と同じものは着られなくなった。ランドセルも背負えなくなり、バッグで通学。卒業の頃は身長180センチ、体重120キロの巨漢だった。そんな小学生が相撲を取っていると聞けば周りも放っておかない。
「相手とケンカができないとだめです」。やや物騒な物言いで中田久美(47)は豪放に言い放つ。「ケンカできる選手がコートの中に何人いるか。それでバレーボールは決まります」
15歳で日本代表に選ばれた。日
「世界を知らなければ世界には勝てない」。日立時代、当時の監督、山田重雄からそうたたきこまれて育った。世界一は目指すものではなく、当然つかむべきものだった。ロサンゼルス五輪の「銅」は首からすぐ外し、1
自分が「バレーはケンカ」と思って戦ってきたから、要所で腰が引けるセッターを久光製薬監督の中田久美は認めない。本人によれば勝負強いセッターとは「大事な局面で意表を突くトスをする。勝負どころであえてセオ