現行ルールなら、最多本塁打記録は今もルースが…
スポーツライター 丹羽政善
子どもの頃、近所の友達と野球を楽しんだ公園はレフトが極端に狭く、まるで松坂が所属するレッドソックスの本拠地、ボストンのフェンウェイ・パークのような歪(いびつ)な形をしていた。
かつての球場の形は様々
もちろん「グリーンモンスター」と呼ばれている巨大な左翼フェンスなどないから、右打者に極めて有利。ショートの頭をちょっと越えるだけで、打球が柵を越えていった。
ある日、あまりにも本塁打が多いことから、誰かが、「レフトのホームランはすべてエンタイトルツーベースにしよう」と、いったことがある。定着したかどうかは記憶が曖昧だが、みんなが納得した。
その昔、大リーグの球場の形も、実に様々だったという。もともと、既存の公園を利用して始まったスポーツなのだから当然で、ジャイアンツやヤンキースが使用していたニューヨークのポログラウンドなどは、レフトまで277フィート(約84メートル)、ライトまで258フィート(約79メートル)しかなかった。
1931年に本塁打のルールについて数々の変更
そうした球場の違いによるハンディを正そうと、本塁打に関する数々のルールが変わったのが1931年。たとえば、フェンスまでの距離が250フィート(約76メートル)を切る球場の場合、柵越えの打球は本塁打ではなく、エンタイトルツーベースとなった。
その一方で、ワンバウンドで外野フェンスを越えた打球は本塁打という従来のルールは撤廃されている。
ルール変更前の最後の年となった30年、そうしたワンバウンドで柵越えした本塁打は14本しかなかったというから、さほど影響はなかったと思われるが、デビッド・ビンセント氏とジェイソン・スターク氏の共著による「ホームラン」によれば、22年は56本、翌年は52本あったそうである。
年 | チーム | 本 |
1914 | レッドソックス | 0 |
15 | レッドソックス | 4 |
16 | レッドソックス | 3 |
17 | レッドソックス | 2 |
18 | レッドソックス | 11 |
19 | レッドソックス | 29 |
20 | ヤンキース | 54 |
21 | ヤンキース | 59 |
22 | ヤンキース | 35 |
23 | ヤンキース | 41 |
24 | ヤンキース | 46 |
25 | ヤンキース | 25 |
26 | ヤンキース | 47 |
27 | ヤンキース | 60 |
28 | ヤンキース | 54 |
29 | ヤンキース | 46 |
30 | ヤンキース | 49 |
31 | ヤンキース | 46 |
32 | ヤンキース | 41 |
33 | ヤンキース | 34 |
34 | ヤンキース | 22 |
35 | ブレーブス | 6 |
計 | 714 |
同書は、30年は500打席あたりの本塁打が8.0本だったが、31年には5.6本に下がったというデータも紹介していて、こうしたルール変更の影響をほのめかしているものの、同時にこの年にボールに関する規定が変わったことにも触れていて、皮の質が重くなり、また、縫い目が高くなったことで、投手に有利に働いたとしている。
打者にも救済措置
ただこの年は打者にも救済措置があった。
たとえば、ポールを巻きながらフェアからファウルゾーンへ消えていく打球というのは、それまで審判が最後に打球を見た地点でホームランかファウルかを判断していたために、ほとんどがファウルと判定されていたが、それが現行のルール通り、フェンスを越えた時点でフェアかファウルかを判定するようになった。このため、本塁打が増えたと予想できる。
このころのポールは、せいぜい3~4.5メートル程度の高さしかなかったというから十分に役目を果たしていたのかは疑わしい点もあるが、この他にもスタンドの中の何か――たとえばスピーカーなどに当たってグランドに跳ね返った打球はそれまでインプレーだったが、それも本塁打と認められるようになったのである。
■サヨナラホームランも認められる
また、サヨナラホームランのケースでも、たとえば同点で迎えた9回裏、満塁で本塁打を打っても、勝つために必要なのは1点なので、打者には単打しか記録されなかったというが、この年を境に本塁打として記録されるようになったそうだ。一連の改革は、いずれも現行ルールにつながっていく。
ところで、そうしたルール変更がもう少し早く行われていれば、歴史はどうなっていたのか。少なくともベーブ・ルースの通算本塁打数は、今も塗り替えられず残っていたと考えられている。
サヨナラ本塁打については1例のみ。スピーカー当たってグラウンドに打球が戻ってきたケースは、少なくとも1930年に2度あるとされる。それらの数字は決して多くないものの、ポール際の打球の判定に関して現行ルールが適用された場合は、75本ほど本塁打になっていただろうと、野球歴史研究家のビル・ジェンキンス氏が推定している。
計算上はボンズを上回る
ベーブ・ルースの通算本塁打は714本なので、あと78本増えていれば792本となり、バリー・ボンズの762本より多かったはずだ、というわけだ。
ワンバウンド本塁打が多ければ、マイナス分も考慮しなければならないが、それを22本程度と見積もる説と、全くなかったという説があり、正確には分かっていない。たとえ、上記の数字から22本を差し引いたとしても、計算上はボンズより多くなる。
もちろん、ルースの本塁打に関しては、ライトが狭いヤンキー・スタジアムのおかげ、という見方もあるだろう。確かに、当時のヤンキー・スタジアムは、右翼ポールまでわずか295フィート(約90メートル)しかなかった。ルースは冒頭で紹介したポログラウンドでもプレーしており、そこでもそれなりの恩恵を受けたはずである。
今の時代でも不公平は存在
ただ、それらを検証する術はもはやなく、球場の広さにまで話を広げては、基準の線引きが難しい。そもそも、今の時代でも不公平は存在するのである。
本来、その解消を目的として59年に、58年6月1日以降に建設される球場は、少なくとも両翼は325フィート(約99メートル)、センターまでは400フィート(約122メートル)の距離を必要とすると定められたのだが、この数値はあくまでも努力目標。
2000年に開場したアストロズの本拠地ミニッツメイドパークなどは、レフトポールまで315フィート(約96メートル)しかなく、公然と"ルール破り"が行われている。
話を本塁打に戻せば、ルール上は08年にビデオ判定も導入されてグレーゾーンは消えたかに思われた。だが、まだ盲点があった。
フェンウェイ・パークならでは
今年4月、フェンウェイ・パークで行われたブルージェイズ対レッドソックス戦では、ライトポール際に飛んだ打球を巡って、議論が起きている。
原因はなんと、ライトフェンスに描かれたファウルラインとライトポールが一直線ではなかったためというからユニーク。ボール1個分ほどのギャップがあり、その隙間に打球が落ちたというのである。
その偶然性もさることながら、今なお、曖昧な球場が存在することがアメリカらしい。
ちなみに判定は、打球が落ちたのがフェンスのラインの内側だったことから、当初は本塁打とされたが、ビデオ判定により、打球はポールの外側に落ちていたためにファウルとなった。
こういうケースでは球場独自のルールが適用されるが、レッドソックスにとって想定外で、ルールがなかったそうである。
フェンウェイ・パークではそれが9度目のビデオ判定で、判定が覆ったのは6度目。大リーグ最古の球場ならではともいえそうだ。
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