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角界の伝統、どう次代に…定年の伊勢ノ海親方に聞く

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2011/9/27 7:00
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伊勢ノ海親方の森田武雄(元関脇藤ノ川)さんは、この秋場所千秋楽を最後に日本相撲協会の定年(65歳)を迎えた。昭和36年(1961年)初土俵。「今牛若」と異名をとるほど土俵狭しと暴れたが、小兵ゆえにケガにも泣いた。三賞は7回(うち技能4回)。三役は7場所で、昭和44年には清国との優勝決定戦に進出したこともある。

秋場所千秋楽を最後に日本相撲協会の定年を迎えた伊勢ノ海親方

秋場所千秋楽を最後に日本相撲協会の定年を迎えた伊勢ノ海親方

同47年に26歳の若さで現役引退、立川親方となり、昭和57年に師匠(前頭筆頭柏戸=横綱柏戸を育てた)が亡くなり、名門伊勢ノ海を継承した。親方稼業は異例の約40年の長さ。協会ナンバー2の事業部長など理事4期(8年)を務めた。新弟子暴行死など事件続きの協会にあって終盤は「再発防止検討委員会」などの委員長として事件の根絶に忙殺された。また相撲解説者として冷静な分析と重みのある声でファンが多かった。

「伊勢ノ海」は、角界の中にあっては名門中の名門。八百屋の長兵衛が囲碁好きの伊勢ノ海五太夫にわざと負けるというのが八百長の語源となっているほどで、江戸時代から続く由緒ある名跡である。定年により伊勢ノ海五太夫(12代目)は元幕内北勝鬨(きたかちどき)に引き継がれた。

――現役時代とは比べられないほどかっぷくがよく、健康そのもので定年を迎えられました。

「だれしも思うことでしょうが、振り返ればそんな年になったのだなあという感慨がある。私の新入幕の対戦相手を見て下さい。初土俵が昭和36年5月、昭和41年の九州場所が新入幕。その14日目にもろ差し名人の鶴ケ嶺さんを破っている。鶴ケ嶺さんは、この敗戦が引退へのきっかけとなった。鶴ケ嶺さんは寺尾や逆鉾の父で、彼らは今や豊真将や鶴竜の師匠。それを考えると年をとったなあと思う」

――ほかに対戦相手を見れば若秩父、明武谷らの名があります。

「大昔の人ばかり。私も大昔なんだねえ」

――柏鵬時代(柏戸、大鵬)から北玉時代(北の富士、玉の海)へ移り変わるその時代のまっただ中、小柄な体ながら足クセ、引っかけなどで土俵いっぱい暴れ回り、横綱・大関陣を悩ませました。

「幕内に上がって最初の対戦が開隆山でした。翌場所初日も開隆山。立ち合いはどうにもならなかった。すごい鋭い立ち合いで1発でもっていかれた。幕の内ってすごいな、というのをそのときに実感した」

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