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斎藤佑樹の爽やかさの陰に潜んだ計り知れぬ実力

この爽やかな風貌と、挫折のザの字もない"履歴書"にだまされてはいけない……。5勝目(8月27日、対西武)を挙げ、本領を発揮してきた日本ハム・斎藤佑樹の姿に、私は今、初めて会ったときの印象が間違いなかったことを確信しつつある。

あんなきれいな顔は見たことない

もう遠い記憶のようになってしまったが、あの澄んだ瞳は今もありありと思い出すことができる。うわさの斎藤と初めて対面したのは今年2月16日、日本ハムの名護キャンプを訪ねたときだった。

かつて近鉄で一緒だった吉井理人投手コーチに引き合わせてもらった斎藤は一点の曇りもない澄み切った顔をしていた。

「プロ野球選手の顔っていうのはどこかにくすんだ部分とか、ギトっと脂ぎったものがあるんだ。それまでの苦労とか、いっちょうやってやるぞっていう野心とか、そういうものがにじみ出るんだろうな。それが普通の野球選手。ところがさ、斎藤にはないんだよ、ギラついたものが。おれも長年プロ野球で飯食ってるけど、あんなきれいな顔は見たことないな」

「ここ一番」で活躍する男

同行していた新聞記者にそういうと、どこをどう取り違えたものか「そうですか。やっぱりプロでは通用しませんか」と返してきた。

「違うよ。やつは俺たちには計り知れない男だってことだよ。評論家連中は通用しないと言ってるが、この試合だけは落とせんというレギュラーシーズンの『ここ一番』とか、クライマックス・シリーズの要所で活躍する男だと俺は思うよ」

記者はポカンとしていたが、私は斎藤が発散している何か底知れないものをそのとき感じ取ったのである。

「あんな顔みたことない」という私の言葉を否定的な意味で受け止めた記者はおそらく他の多くの評論家、記者諸氏と同じく、ドラフト前後から流布されていた、通り相場の斎藤評に毒されていたのだろう。

評価はあまり高くなかったが

「駒大苫小牧からすぐ楽天に入り、プロの訓練を受けた田中将大とは大学の4年で雲泥の差がついた」

「斎藤の速球は大学レベルでは通用しても、プロでは通用しない」

「斎藤は人気先行。あの体力ではプロではもたない」

もっともらしい解説からおやじ的ジェラシーがまじったあてこすりまで、とにかく斎藤に対する「業界」の評価はあまり高くなかった。

しかし、私は彼の人生を直視した。早実で甲子園の大旗を手にし、早大でも六大学制覇に大学日本一。大学では1、2年のときがよくて、3、4年のときはいまひとつだったけれど、要所の試合は必ずものにしてきた。

持ち味のないことこそが武器

ということは何を意味するか。取り立てて人をうならす球を持っているわけではない彼がなぜ、無類の勝負強さを発揮し、プロという舞台にまで上ることができたのか。

ひょっとすると彼は、その場その場の状況やレベルに対応する並外れた適応能力を持っているのかもしれない。私はそう考えた。

彼にはおよそ、持ち味というものがない。どの球も並みよりちょっと上という程度の平均的な投手だ。しかし、その持ち味のないことこそが、彼の武器なのではないか。

そう考えたとき、私は斎藤という男の輪郭がおぼろげながらみえてくるような気がした。

持ち味のない代わり、彼はその場その場で最も通用する球を選択し、相撲でいえば押し相撲であれ四つ相撲であれ、相手に合わせた取り口を取ることができる。千変万化。これといった形がないことは、実は彼のなかのたぐいまれな順応性と表裏一体の部分なのではないだろうか……。

2月の春季キャンプで初めて会ったときの斎藤(中央)の印象は間違っていなかった

高度な順応性

その順応性は私が1月のこのコラムで書いたように、自主トレの段階から際立っていた。自主トレとも思えぬたくさんの観衆が日本ハムの千葉・鎌ケ谷の合宿所に詰めかけるなかで、彼はどう行動したか。

「他人に流されず、自分のペースで調整したい。普段通りにやって、それで実力がなければ2軍で鍛え直せばいい。だから格好をつける必要もない」。そういって斎藤はマイペースを貫き通したのだった。

それだけをみても、高度な順応性がみてとれる。自分が置かれている状況を周りの様子を含めて、実に正確に把握することができる。

その能力は今風に「空気を読む力」と言い換えてもいいかもしれない。それが高度な順応性をもたらす。

通用する球、しない球を見極め

札幌ドームに大観衆を集めて行われた入団会見、先発しても5回、6回で交代させるなど「壊れ物」のようなベンチの扱い。どこまでもうたぐり深いマスコミの目。そうした現実のすべてから彼は自身の置かれている立場をしっかりと把握し、前に進むためのエネルギーに変えていったのだと思われる。

打たれながらも自分の通用する球、しない球を冷静に見つめ、自分の姿を作り替えていった結果が8月27日、西武打線を7回まで零封した投球に表れた。8回途中、中村剛也に3ランを浴びて降板したが、自己最長の7回1/3まで投球回を伸ばした。

たぐいまれなる順応性を武器とする異才が、その本領を発揮してきたというべきだろう。

マスコミもこのごろやっと、その実力を認め始めたようだが、何よりバッターボックスに立つ打者たちが、対戦するたびにスタイルを変え、攻め手を変えてくる斎藤の手ごわさに気付き始めているはずだ。

コンプレックスが力の源

それにしても、たぐいまれな投手である。

折れそうで折れない斎藤。その力の源はコンプレックスではないかと思う。球界の貴公子然とした斎藤が持つコンプレックス。劣等感という言い方がそぐわないとすれば、反エリート意識とでも言おうか。

斎藤こそ球界のエリートではないか、と人は言うだろう。官僚でいえば「キャリア組」、実業界でいえば「老舗の御曹司」。どう転んでも出世間違いなし。そんなイメージで斎藤は捉えられていると思う。

そういう目でみていると、斎藤という男を見誤る。高校時代に頂点を極めた斎藤だが、プロのスカウトには「ここが彼のピーク」という見方があって、高校卒業時点の評価は田中の方が上だった。

肉体的にも恵まれているとはいえず

肉体的な面からみても斎藤は決して恵まれているとはいえない。高校あたりまではハンディとも感じなかったと思うが、大学、プロと進むにつれて、周りはどんどんでかくなり、同僚や対戦相手の投げる球もどんどん速くなっていく。それと比べ、どんどん普通の球になっていく自分の真っすぐ。

決して心の底をみせない斎藤の本心は誰にもわからない。私もそのことを斎藤に聞いたわけではない。しかし、私は投手経験者として、自分より球の速いやつと並んで投げるときの何ともいえないプレッシャーや敗北感を知っている。

はた目にはわからないが、斎藤もその手の劣等感と無縁だったとは思えない。これまでに何度か自分の限界が試されるようなしんどい場面を体験し、そのたびに工夫して生き延びる道をみつけてきたのではないだろうか。

「たたき上げ」の選手

沸騰する斎藤フィーバーに成績が追いつかないかもしれない、という気持ちにもなったことだろうが、そのたびに冷静に自分を見つめ、乗り越えてきたのが斎藤ではないか。

苦労知らずのエリートと思ったら大間違いで、斎藤自身にしかわからないハンディを乗り越えてきた「たたき上げ」の選手なのだ。

楽天の田中と違う道を歩み、昨年までの4年間を大学ですごした斎藤の体はまだまだ鍛えられていない部分がある。だから年間を通しての働きは10勝に届くかどうかというところで、多くを期待してはいけない。

しかし、これから体力面を含め、まだまだ伸びる可能性はあるし、何より「ここ一番」となれば、順応性に富んだ彼はいい意味で評論家諸氏の予想を裏切る活躍をする、と私は思うのだ。

変幻自在の才

そういえば、2月のキャンプで会ったとき、私は彼にエールの気持ちを込めて語りかけたのだった。「環境に順応することが大事だよ。高校なら高校なりに、大学なら大学なりに、プロならプロなりに。この世界(プロ)でも、おまえならできるよ」

相手のレベルや環境に合わせ、変幻自在の才を発揮してきた斎藤は今、「プロなり」の姿に変身しつつあるのだ。

(野球評論家)

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