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西武・渡辺監督 4年目の苦悩、「明るさ」に陰り
スポーツライター 浜田昭八

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2011/8/21 7:00
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吉田義男元阪神監督は2度目の監督だった1985年からの3年間に、「天国と地獄」を味わったと回想した。1年目の85年にセ・リーグ優勝、日本シリーズで広岡達朗監督率いる西武を下して日本一になった。

だが、翌86年は勝率5割で3位。3年目の87年は開幕13戦目で最下位に落ち、浮き上がれないままに終わった。41勝83敗6分け、勝率3割3分1厘は球団ワースト記録。「勝ったときにこそ、補強に力を注ぐべき」が、地獄で得た教訓だ。

■渡辺監督も1年目に日本一に

今の西武は当時の阪神と似ている。渡辺久信監督が就任した2008年はパ・リーグ優勝、クライマックスシリーズ(CS)で2位日本ハムを下した。日本シリーズでは原辰徳監督が率いる巨人を4勝3敗で破って日本一になった。

だが、翌09年は勝率5割の4位。10年は盛り返して2位だったが、CSで3位ロッテに敗れた。今季は開幕後の出遅れが響き下位に低迷。CS進出も容易でない状況だ。

■台湾で指導者としての腕を磨く

就任1年目で日本一監督になった渡辺は、本人が照れるほどの賛辞に包まれた。

西武の主力投手として14年間で124勝(105敗26セーブ)をマークした後、98年にヤクルトへ移籍。ヤクルトで1年投げたあと台湾へ渡り、同地のプロ球団で投手兼任コーチで3年働いた。日本球界より低い報酬と悪いプレー環境にもめげず、指導者としての腕を磨いた。

04年に西武へ呼び戻され、2軍コーチを1年、2軍監督を3年務めた。日台両球界の若者と濃密に接したこの時期の経験が、現役時代"やんちゃなエース"だった渡辺を人間的に大きくした。

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