イチロー、ルーティンの柔軟性と野球哲学
スポーツライター 丹羽政善
ホーム球場での試合の場合、午後7時10分プレーボールなら、クラブハウスのドアは午後3時40分に開き、メディアの入室が許される。
その時間になっても、通常はイチローの姿はそこになく、室内ケージで汗を流している時間だ。
イチローのルーティンを追う視線
ケージを出るとイチローは、クラブハウスとグラウンドをつなぐ通路脇の鏡の前で、スイングの最終チェック。額にうっすらと汗をかき、バット1本を手にクラブハウスに戻ってくるのは、午後4時頃である。
それまではカプリ丈のトレーニングパンツにTシャツ姿。ロッカーで練習用のユニホームに着替えると、あとは午後4時15分から始まる全体練習まで、グローブやスパイクの手入れ、ストレッチなどをして時間を過ごす。
先日、メディア以外にもそんなイチローの動きを追っている視線があった。
6月中旬に昇格してきたダスティン・アクリーという新人選手の目が、数メートル先にいるイチローにじっと向けられていた。
ルーキーには刺激的
声をかければ、2009年のドラフトで全体の2位指名を受けたアクリーはいう。
「(イチローの)ルーティンを見ているんだ」
イチローの試合前のルーティンは、選手によっては、時計代わりになると口にするほど時間に正確だが、初めてそれを目の当たりにするルーキーには、なにかと刺激的だったようだ。
「試合前のどの段階で汗をかくのがいいのか。その方法や程度にもいろいろあるけれど、何となく参考になったような気がする。目の前に"教科書"があるのだから、これからもいろんなことを学びたい」
ただ、そのイチローのルーティンであるが、例年とは少し違う部分もある。これまではデーゲームの試合前、外でストレッチ、キャッチボールを行っていたが、5月のある時点からそれをしなくなった。
柔軟に変更
ちょうどヒットの出なくなった時期と重なるような気もするが、体の声を聞きながら、それが何年も続くルーティンであっても柔軟に変えていくのは、イチローらしい。
以前は、ナイトゲームの試合前にも、全体練習の前にグラウンドで体を動かしていたが、ある年のシーズン終盤に入って、ピタリと止めた。
また、別の年には、試合後にサウナで汗をかき、それをマッサージ代わりにしたこともあるが、数カ月でその習慣も止めている。
軸となる部分は変わらないが、枝葉となる部分に関しては、体の欲するままにアレンジしているということか。
そんな話をしていると、アクリーがいった。
「僕はまだ試行錯誤している。一応、ルーティンはあるけれど、必要なら変えていきたい」
「今のままでいいんだよ」
そのときである。隣のロッカーでやり取りを聞いていたベテランのジャック・カストが苦笑しながら言った。
「何を変える必要がある? デビューしていきなり本塁打も三塁打も打って。今のままでいいんだよ」
さて、そんなルーティンによって支えられてきたのが、継続性のある記録だと思うが、イチローにとって今年は11年目で初めて、ということが少なくない。
出場79試合目でようやく今季初本塁打が生まれたこともそうだが、5月の打率が3割を割ったのが初めてなら、シーズンの折り返しを終えて、年間100安打を下回ったのも初めてだった(92安打で折り返し)。
08年も危なかったが…
過去を振り返れば、1度だけ危なかったことがある。
08年は80試合を終えて、95安打。さすがに届かないだろうと思われたが、イチローはちょうど折り返しになる81試合目に5安打を放って、きっちり大台に乗せた。
4本目を放ったところで、「あと1本で『100』というところには、強い思いがあった」そうで、折り返しでの100本は、やはり、それなりの意識があったよう。
しかし今年は、91安打で81試合目を迎え、その試合で1安打したものの、もし3桁安打に到達するには、延長30回ぐらいまで試合がもつれる必要があった。
安打数とチーム成績の連動性
7月2日の試合を終えた時点で、83試合を終えて92安打。残り全試合に出場するとして、年間安打は約180本ペースだ。200安打に乗せるなら、後半でペースを上げる必要がある。
上げられるか?
ファン心理とすれば、不安が先にくるかもしれないが、別の見方をすれば、これをどうイチローが乗り越えるかという、楽しみもあるだろう。
イチローの安打ペースが上がれば、チームの勝利に結びつく可能性も高いだけに、チームが終盤までプレーオフ争いをしているなら、イチローの安打数もまた、安全圏に達しているのかもしれない。
2つの連動性。それこそ、これからの見どころである。
話は変わるが、28日に行われたブレーブス戦で、イチローの考え方とメジャーの、おそらく一般的な考え方に食い違いが見られた。
2点ビハインドの七回1死一、二塁という場面で、二塁ベース上にイチロー、一塁にアダム・ケネディがいた。
打席のジャスティン・スモークのカウントが3-0(3ボール、ノーストライク)となったところで、イチローがスタートを切る。単独スチールだ。
リスクを冒さなくても…
ケネディも続いてスタートを切ったが、相手捕手のブライアン・マッキャンは、セカンドに投げて、ケネディを刺している。
試合後、多くの米メディアがこのプレーに対してどう反応したかといえば、カウント3-0からスタートを切ったイチローの判断を疑った。
イチローは、「二、三塁になれば、ヒット1本で2点が入る」と話したそうだが、米記者らは「カウント3-0なら、四球になる可能性が高い。リスクを冒すまでもなく、チャンスは広がったのでは」という見方だったのだ。
どちらが正しいかーー。
結果論でもあり、やり直しがきかない以上、判断は難しいが、ダブルスチールが成功していれば、セオリーの裏をかき、虚をついたという見方が成立しよう。
哲学の違い
スモールが実際に歩いたことで、「ほら、みてみろ」ということにもなるが、それは、一塁が空いたことで、投手が勝負を避けたまで。
不利なカウントで成長著しいスモークと勝負したい投手はいない。次は、左のアクリー。セオリー通りだ。
では、動かずに一、二塁のままだったらどうなったか。これが分からない。米メディアが予想したようにスモークが四球を選んだかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
浮かび上がったのは、野球に対するフィロソフィー(哲学)の違いだが、では、どちらのフィロソフィーが正しいかということになれば、その基準はチームの監督が目指す野球次第といえよう。
監督がセオリー重視派なら、盗塁を認めないというか、そもそも「動くな」のサインを出したはず。逆に、状況にフレキシブルな監督なら、選手の自主性に任せるだろう。
監督は「問題なかった」
マリナーズのエリック・ウェッジ監督はどちらか。あのプレーに関して、彼は「イチローの走塁に問題はなかった」と話した。
米メディアの中には、それを勘ぐるところもあったが、考えていることがすぐに顔に出るタイプの彼の表情からは、特別、裏を読み取ることもできなかった。動かなかったということは、やはりなにか、暗黙の了解があったということか。
いずれにしても、2アウトからのセーフティーバントや走塁などでも、イチローと米メディアの考え方は、ときに対立する。イチローがダイビングキャッチをしないことに関してもそうだ。
なかなか埋まらない溝
つきつめれば切りがないが、そこにはなかなか埋まらない溝もあるといえる。
ところで、アクリーがいなくなってから、カストとしばらく雑談になった。
アクリーの履いていたカウボーイブーツに目をやりながら「ファッションはイチローと随分違うね」と話せば、「いや、近いうちに変わるぜ」とニヤリ。
そして、隣のスモークの靴を指さしながら、「ほら、コイツだってカウボーイブーツだったけれど、ブランドものの靴になった」と笑った。
そのカスト自身も、キャンプのころ、イチローのようにジーンズの裾をロールップしたことがある。だが、みんなから「違う」とからかわれていたのだが……。