2018年11月20日(火)

五輪選手らを丸裸に 練習最適化、大舞台に強く
ポスト平成の未来学 第7部 切り開く教育

未来学
2018/5/31 2:00
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大舞台で最高のパフォーマンスを出しきる――。そのためにトップアスリートたちは無理だと思うような練習を乗り越え、痛みにも耐えてきた。しかし、その汗と涙が納得いく試合につながるかといえば、必ずしもそうでない。

大型の高気圧酸素治療室などをそろえ、選手をサポートする帝京大学スポーツ医科学センター。技術を駆使してアスリートを育てる(東京都八王子市)=寺沢将幸撮影

大型の高気圧酸素治療室などをそろえ、選手をサポートする帝京大学スポーツ医科学センター。技術を駆使してアスリートを育てる(東京都八王子市)=寺沢将幸撮影

何が問題なのか。最先端のスポーツ施設が誕生すると聞き、その解を求めるため、僕(39)は電車に飛び乗った。

東京都八王子市にある帝京大八王子キャンパス。門をくぐって坂道を登る。緑まぶしい芝生の広場を回ると、塗りたてのペンキの香りがしそうなピカピカの建物が現れた。今秋にオープンするスポーツ医科学センターだ。これだけの設備は、日本のプロチームでも恐らく持っていない。

内装工事中の屋内に入ると、水色の金属でできた巨大な円筒が横たわっていた。丸い窓から人の顔がのぞくそのさまは、まるで小型の潜水艦のよう。音もなく泳ぐ深海魚の姿さえ、目に浮かんできた。

「高気圧酸素治療室と言います」。松下隆センター長(68)が説明してくれた。室内の空気圧を高めることで、マスクから送り込む酸素の吸収効率を上げ、ケガの回復を早める。酸素治療室の隣には磁気共鳴画像装置(MRI)、コンピューター断層撮影装置(CT)、X線と大病院並みの検査設備がずらりと並び、医師や鍼灸(しんきゅう)師も常駐。練習などで負傷した運動部員を即時に診察、場合によっては翌日に手術することもできる。

「通常なら全治2~3カ月以上のケガをした部員が1カ月で回復。大学日本一を決める試合に間に合った」と松下さん。前人未踏の大学選手権9連覇を成し遂げた帝京大ラグビー部には、こんな秘密兵器もあったのか。

ビッグデータのおかげで、斬新な戦術が次々と生み出されているが、やるのは生身の人間だ。高度な戦術を完遂する技術を身につけるには、「反復練習しかない。それだけの練習をするには強い体がいる」と、科学的手法を取り入れ、平昌五輪で6個もメダルを獲得したスピードスケートのヨハン・デビットヘッドコーチが言ってたっけ。

21世紀に入っても、スポーツには昔ながらの地道な努力は欠かせない。そこがスポーツの魅力でもある。ケガをしない体づくりは要諦だが、同センターはさらに先を行く。

「潜水艦」をくぐり抜け4階へ。何の変哲もない一室に案内されたと思ったら、床にはセンサーが埋め込まれていた。一歩踏み入れるたびに、足が床を蹴る力や角度が計測される。ここで片足スクワットなど数種目を行ってもらい、映像と組み合わせて分析すると、個々の選手の筋肉のバランスや動きのフォームなどを丸裸にできる。

理想の姿勢、体への負担、将来の伸びしろ……、こうしたスポーツ界の技術革新により、指導者のカン頼みだった部分を可視化される。故障も未然に予見し、練習メニューも、個々の能力の最大化に最適な質、量が提示できる。

例えば、走り込みが苦手な選手は単純な体力不足ではなく、「遺伝的に瞬発力に優れる一方、持久力では劣る。長い距離を走り続けることは練習の効率が悪い」という具合だ。自分に合わない練習を愚直にやったのに、伸び悩むことはなくなる。

運動量の多いラグビー、サッカーは選手交代に生かす。後半20分を過ぎると運動量が落ちるなら、エースFWでも納得した形で交代させられる。逆に、20分間だけならトップスピードを維持できる選手の価値もグンと上がる。

先端科学は一般にも広まっていく。従来なら埋もれていた異能を発掘し磨くことも可能だ。米プロスポーツでは選手の脳のMRI画像を分析、性格に合った指導を行う研究も進む。集団練習になじみにくい選手もオーダーメードのトレーニングで才能を最大限に発揮できる。今、僕が学生だったら、もっと効率的に体力や、より高度な技術を身につけられたかもしれないのに。

デジタルネーティブ世代が主流の今、トレーニング手法に詳しい子供たちが当たり前になる。選手を導き、支える存在は必要だが、上意下達方式は通じなくなるだろう。

エリートレベルだけでない。体育会的文化が和らぎ、合った指導を受け、それぞれのペースで成長が実感できれば、「運動は楽しい」という原点も根付く。老若男女が体を動かす機会も増えるはずだ。

エリート養成「好き」こそ重要

かつて五輪の表彰台を席巻した旧ソ連、中国などでは、スポーツは国威発揚の一種であり、国内から運動能力の高い子供を集め、国の徹底管理のもとで鍛えてきた。米国や西欧では地元クラブでスポーツを楽しむ伝統があり、そこから自然とトップ選手も生まれてきた。一方、日本で長く選手育成を担ってきたのは学校の部活動。一部の強豪校を除けば教員の専門知識や経験が不足している場合もあった。

変化の兆しが見え始めたのは20世紀後半。水泳や体操の民間クラブが各地に誕生し、1993年に開幕したサッカーJリーグのクラブは欧州にならい、ユースチームを併設。プロチームを頂点にしたピラミッド型のクラブ運営の流れは今、他競技にも波及しつつある。

21世紀に入り、世界中でスポーツに力を入れる流れが強まるなか、日本オリンピック委員会(JOC)も2008年、「ジュニア世代から整った環境で集中的に強化することが必要」とJOCエリートアカデミーを創設した。

将来有望とされた子供たちが中学1年から高校3年までの最長6年間、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターに寄宿。近隣の学校に通いながら、少数精鋭で専門競技のほか英会話などのプログラムも受ける。

現在はレスリング、卓球、フェンシング、水泳(飛び込み)、ライフル射撃、ボート、アーチェリーの7競技があり、これまで80人超が入学した。卓球日本代表の張本智和(14)、18年レスリング世界選手権で優勝した須崎優衣(18)ら華々しい活躍をする生徒もいる。一方、多感な時期に親元から離れ、厳しい競争の中で、思うような成果があげられないケースもある。

遺伝子研究が進んだ今、瞬発力や持久力など選手がどの分野に秀でているかまである程度分かるようになっている。日本ではまだ活用されていないが、遺伝子分析に積極的な欧米でも、子供に対しては効率が悪いから使わない。ある程度成長した選手がより適した競技を探すために使われている。

いくら才能があっても好きでなければ続かない。幼い頃からの猛練習で精神的に燃え尽きることもある。合った競技に早期に出合うだけでなく、指導者や環境に恵まれることがより重要だからだ。実際、04年から全国各地の自治体がそれぞれ、運動神経のいい子を発掘し、適正種目を見つけて育成する事業を始めたが、五輪選手はまだ1人しか誕生していない。

16年リオデジャネイロ五輪に出場した日本選手331人にJOCが実施した調査によると、各選手が競技を始めた動機は「楽しそうで面白そうだったから」が女子で60%、男子で50%と最多。どんなに科学が進んでも「好き」という気持ちと「モチベーション」は不可欠なのだ。(谷口誠、鱸正人)

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