イチローはスランプを抜けたのか
スポーツライター 丹羽政善
アメリカには、スポーツ専門のラジオ局というのが存在する。24時間、話題はスポーツだけ。ときおり挟まるのは、交通情報程度だ。
シアトルにも2局あって、いかにもクセのありそうなラジオパーソナリティーが、半ば過激さを競い合う。
連日のようにイチローの名が
シアトルはまだ、ニューヨークなどに比べればソフト――つまり、節度が保たれているとされるが、先日、ニューヨークの記者が、「ダラスにはタブーがない」と話していた。
「彼らは、選手だけでなく、記者らも名指しで攻撃する」
ここ2~3週間、イチローの名前がそのスポーツラジオ局から聞こえてこない日はない。
前回のコラムでも伝えたように、5月の月間打率が2割1分に終わり、6月も最初の9試合で38打数5安打(1割3分2厘)と低迷すると、ついに打率が2割5分をわずかに上回る程度になり、「どうしたんだ?」という疑問が、「He is done!(彼は終わった)」と断定調に変わった。
「イチローも年齢には勝てない」
あるパーソナリティーは言う。
「年齢による衰えだ。イチローも年齢には勝てない」
別のパーソナリティーは言った。
「彼はもう、これまでの選手に戻ることはないだろう」
6月10日、イチローがスタメンを外れると、ここぞとばかり彼らは腕をまくったが、その翌日の試合からイチローは6試合連続複数安打をマーク。18日も1安打して7試合連続安打と当たりを取り戻してきている。
「シングルヒットしか打てない選手に、どうして1800万ドル(約15億5000万円)も支払う必要があるんだ」という声も聞かれたものの、最近の7試合では14安打のうち5本が長打(1三塁打、4二塁打)という内容。これと前後して、彼らの姿勢、論調がガラリと変わった。
リスナーに問いかけ
15日午前、車を運転しながらラジオを聞いていると、「イチローはスランプを抜けたと思うか」と、パーソナリティーがリスナーに問いかけ、電話をかけてきたあるリスナーが、「打ち始めたかもしれないが、チームにイチローは必要ない。ダイビングキャッチもしないし、一塁にヘッドスライディングもしない……」というと、パーソナリティーがそれに反論した。
「あなた、それは無茶だ。一塁にヘッドスライディングするなんて、本来、愚かなプレーだ。それよりも、過去10年に渡って、年間200安打以上を打ち続け、毎年3割を打っている選手を評価しないのか?」
いつの間にか"野党"から"与党"に
それに対して相手が、「それは過大評価だ」と返せば、パーソナリティーは真っ向から否定した。
「それこそ詭弁(きべん)だ。あなたは、2001年を最後にプレーオフから遠ざかっているチームの不振を、イチロー1人になすり付けようとしているにすぎない。それは間違っている」
前の日まで、リスナーの批判に「その通り!」と膝を打っていたパーソナリティーが、いつの間にか"野党"から"与党"になっていた。
スランプを抜けたかどうかに関しては、もう少し様子を見る必要があるという、至極まともな結論に落ち着いたが、それに関しては、イチロー本人も認めているところがある。
イチローも慎重姿勢
ヒットが出始めてもイチローは「もう、自分のことで必死」と話し、慎重な姿勢を崩さない。
過去、2005年の7月31日から8月5日まで、5試合連続無安打というのがあり、無安打ということでいえばそれが最長だが、このときは8月6日の試合から13試合連続安打を記録。しかも、13試合で20安打を放って不安を払拭した。
それを基準とするならば、最低でも10試合程度は回復を図るのに必要な試合数といえるだろう。
スタメンを外れた10日を境とするならば、現在、7試合で14安打(30打数)。10試合で17~18安打なら、イチロー本人も、"あのときは自分のことで必死だった"とコメントの時制が過去形になるかもしれない。
「人間として乗り越えないと」
それにしてもさすが、と思わされたのは、休み明けの11日に2安打したその精神力である。
スタメンを外れた日の試合後、イチローは、米国人メディアに囲まれ、「試されている。野球選手としてだけでなく、人間として(今の試練を)乗り越えなくてはならない」などと話したそうである。
それほどまでの決意で臨んだ翌日の試合で2安打。無安打に終われば、今度はどんな逆風にさらされたか。その中で結果を残すすごみを感じた。
ところで15日、マリナーズはついにダスティン・アクリーという二塁手の昇格を決めた。
アクリー昇格の一方で
2009年のドラフトで全体の2番目に指名された選手で、その素質は誰も疑わない。ここまで大事に育て、満を持してのコールアップとなった。
その一方で、ルイス・ロドリゲスという控え選手が、マイナー行きを宣告された。イチローが「バックアップとしては、かなりレベルが高い」と評価していた選手である。
柔和な目で別れを惜しむ
15日の試合後、イチローは帰ろうとして、クラブハウスの出口で足を止めた。
近くには、ロドリゲスのロッカーがあり、不在だった主がどこからか戻ってくると、イチローは彼に声を掛け、別れを惜しんだ。
同じチームで11年目。選手の入れ替わりには慣れているはずなのに、なかなか見られないイチローの柔和な眼差しがそこにあった。